早いものであれから10年。
| 今年は誕生日のデコレーションを自分で作成 |
| 接種後約10時間後目がトロンとしてくる |
標高1600mの街で繰り広げられるランバート家の日々 LIFE IN THE MILE HIGH TOWN
早いものであれから10年。
| 今年は誕生日のデコレーションを自分で作成 |
| 接種後約10時間後目がトロンとしてくる |
| 昨日の朝雪かきをしようと外に出て この景色に見とれてしまいました |
| コンドから出てしばらくすると山道があり そこが私の長年のお散歩コース |
| 時にはのんびりするのも悪くない |
![]() |
| これで温泉があったら完璧 |
カリーナとケヴィンは、たまたま同じエリアに来ていた友人達と、チュービングというタイヤに乗って雪上を滑走できる施設に行ったのですが、そこは激混みだったようでコロナの心配もあり断念。そのままコンドの近くの林間でそり滑りをすることになったものの、ほどなくして一家族の父娘が転倒し、両親が泣き続ける娘を心配してそのまま病院へ直行し、レントゲンを受けさせるという事態が発生。結果的に事無きを得ましたが、そり滑りを提案したのがケヴィンだったので、しばらく心配しました。
たまたまケヴィンは凸凹なコースをもっと踏み固めようと、車にスノーシューを取りに戻った最中だったようで、戻って様子が急変していてびっくり。その父娘の様子を観ていたカリーナは、「ミラが『こっちがいい!』と言い張って、いきなり急な方にお父さんと行っちゃって、左にぶつかった後バウンドして右にぶつかって、そりがひっくり返っちゃった」と証言。
このエリアのそり滑りの動画を2年前に載せています。これよりはかなり急な坂だったらしいです。
***
| 15年もコンドに来ていてこのトレイルを知らなかったなんて! |
ネット上では「#わきまえない女」という、思わず「お見事!」と言いたくなるハッシュタグ付きで、様々な意見や経験が飛び交っているようですね。張本人は謝罪をして発言を『撤回』しましたが、日本社会で今まではびこってきた男性の意識がうっかりと世界に向けて発信されてしまい、ジェンダーギャップ153カ国中121位の現実の氷山の一角を、世界に見てもらう良い機会になったのではないかと、私は個人的に思っています。
批判が収まらないのを見かねたIOCが、9日に改めて声明を出したようですが、当初あっさりと「この問題は終了したと考えている」と発表した点には私は首を傾げました。オリンピックには、恐らく目に見えない様々な利害が複雑に絡まっているのでしょう。
いつもの癖で「どうせ上は何も変わらないのだろうな」と思っていたので、その後何百人もの五輪ボランティアが辞退したという報道を見て、そういう形の抗議に一筋の光を見た思いです。しかし、この失言に続く失言。空気が全く読めていないどころか、読む気すら見えない。今までそれが容認されてきた社会構造、そして差別を温存する笑い声を想像し、そんな中で頑張っている女性議員や委員の方々に心から同情します。
悲しいことに私のような一般的な中年女性が若かった頃は、当時インターネットがなかったこともあり、不公平を感じつつもそれに立ち向かうよりも、むしろ無駄な労力は使わずに、男性を適当に引き立てて自分達ができるだけ損をしないように立ち回る、もしくはそれを逆手に取る、という処世術を身につけてしまいました。しかし今回のようなケースを見ていると、「もしかすると何かが動くかも?」という淡い期待が湧いてきました。
***
何年か前にこちらのNPRというパブリック・ラジオで、ゲストスピーカーが日本についての話をしていて、その中で「現在日本における男女格差は、まるでアメリカの1950年代のようです」と言っているのを聞きました。
1950年代って一体どういう時代?
思いつくことは、朝鮮戦争と戦争特需、小津安次郎の「東京物語」くらいしかなかったので、試しに「1950年代の流行」を検索してみました。
1950年:ビニール・レインコート。ブレザージャケット。ネッカチーフ、チラリズム。
1951年:第1回NHK紅白歌合戦(ラジオ)。LPレコード。ソフトクリーム販売。
1952年:カブ[ホンダ]販売。流行通信が創刊[日本織物出版社」。国会中継の放送開始。公衆電話が登場。鉄腕アトム連載。
1953年:テレビ放送スタート。「おこんばんは」トニー谷。オロナイン軟膏。お茶づけ海苔。 NHK紅白歌合戦 。クリスチャン・ディオール来日。 日本初のスーパーマーケット紀伊国屋開店。
1954年:第1回モーターショー 。サブリナパンツ。ゴジラ公開。
1955年:高度成長期突入。「三種の神器」電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョン。歌声喫茶。
1956年:シンタロー刈り。太陽の季節(石原裕次郎・日活)。ケ・セラ・セラ。
1957年:ホッピング(玩具) 。犯罪専用電話「110番」が全国に拡大。
***
日本を出て21年、カリーナが生まれてから10年。アメリカとイギリスで生活し、子供をアメリカの公立の学校に通わせる中で、ずっと当たり前だと思っていたことが実はそうではないということが結構ある、ということに徐々に気づき始めました。
私が公立の学校教育を受けた昭和50年代から60年代は、学校で出席を取るときは男子から始まり次に女子という順番でした。卒業証書を受け取る時なども、まずは男子そして女子が続いたのだと思います。
→思えば、小学生の時点で「男子の方が女子よりも立場が上だ」という意識が、私の中に自然と芽生えていた気がします。それはつまり洗脳ではないでしょうか?
中学高校になると、女子が家庭科をやっている時に男子は木工をしていたり、男子が柔道をしている時に女子はテニスをするというように、男女が分けられることが増え、男性らしさと女性らしさの押し付けが更にはっきりしてきました。(*どうやらこれは63年に改定されたらしく、現在は男子も家庭科を、女子は技術の授業もあるようで何よりです。)
→高校1年生の時に、学年全体で2泊3日で浅間山にキャンプに行った時、男子に重いまな板やキャベツを運ばせ、横でふざけて遊ぶ男子を横目に女子がカレーを作りました。今の私なら自分でまな板を担ぎ、男子にも料理を手伝わせます。
大学生になると、サークル仲間でスポーツ観戦等の恒例のイベントがある時は、場所取りをする男子のために女子がお弁当を大量に作って持っていく、ということが慣例になっていました。
→そこで女子力を発揮する先輩達の姿を見て、年上のお姉様方は素敵だなと思う自分がいました。
これが社会人になると、総合職と一般職の区別化、職場でのお茶汲みや給湯室の掃除当番は女性社員にしか割り当てられませんでしたが、それを当たり前と思い「男性も当番に混ぜて欲しい」ということすら考えたことがありませんでした。
→ロンドンで働いたオフィス2ヶ所では、男性が自分でミルクティーをいれていました。
東京で私がいた場所は女性が多い職場で、社内での地位こそは低かったものの、ある程度の仕事を任されて課を上手く回していました。時々顧客からクレームがあり「(女の)お前じゃ話にならないから上司を出せ!」(←上司が男という前提)と言われた時は、問題が上司のところに行く前に体を張ってなんとかここで解決させようと、同期の男の子を上司と偽り電話口に出して危機を乗り越えたものです。「本当に馬鹿にされているよね」と同僚と憤慨しつつ、仕方ないと諦めていました。
蛇足ですが、「これももしや差別的ではないか?」と思い始めた日本文化の1つ、それは夫婦茶碗のサイズです。調べてみると由来は江戸時代の「決まり採寸」のようですが、これも「女性は弱い」という文化の現れではないかと思いませんか?どこの文化で男女の皿のサイズが違うのか、もしそういう国があったらどなたかぜひ教えてください。
***
’86年夏から1年間アメリカの高校に留学しました。ホストファミリーにお世話になりながら、外国人なんて滅多に来ない田舎の学校に通いました。そこでの数々の驚きは今でもたくさん記憶に残っていますが、まず感心したのは学生達が学年・男女分け隔てなくいい感じに混じり合って学生生活を送っていることでした。日本語のように敬語の使い分けが難しくない英語の特徴でもありますが、生徒が先生に対して同等の言葉づかいで遠慮なく意見を言い、優秀な生徒が時々先生を言い負かしている姿にも驚きました。
そんなカジュアルな雰囲気の中でもいざという時、例えば時々ある学校のダンスパーティーや、ホームカミング、プロムなどの大イベントでは、男子が女子を紳士的にエスコートする姿も印象的でした。
生まれて初めて女性のスクールバスドライバーを見たことも、私にとっては衝撃的なことでした。
大人になってこちらに移住してから有り難く思うことの1つは、女医が多いことです。我が家のファミリードクターはずっと女医さんですし、妊娠中にお世話になった産婦人科も4〜5人の先生でクリニックを回していましたが全員女医。帝王切開をしてくれたのもそのうちの1人でした。一昨年五十肩でお世話になった外科医や、時々行く内分泌科の先生もみんな女性です。
日本では小学生から社会人まで、健康診断の時にずっと上半身を裸にされていましたが、こちらに来てからあれはセクハラだったということを悟りました。アメリカ人の女医さん達は、聴診器を当てる時に誰もそんなことをしないからです。カリーナにそんな話をしたら、目を剥いて驚くことは確実です。そんなことからも、こちらの子供達は小さい頃から自然と女性の権利を学んでいるのです。
アメリカでもそれなりに女性出世の妨げになる壁というものは存在し、最近日本でも聞く表現ではないかと思いますが、それはグラスシーリングと呼ばれています。それでも私くらいの年齢になると、会社でエグゼクティブのポジションで活躍している女性の友人も少なくありません。
やや話は逸れますが、ある日本人の友人が、20年以上昔に同僚に「あいつは女のくせに俺より多い給料をもらっている」と言われて、彼女が上司にあまり深く考えずに「あの人が私をビッチと呼びました」と言ったら、その同僚は速攻でクビになって驚いた、という話もあります。
***
私の母は、「鉄の女と呼ばれるサッチャーさんのように、強い女になりなさい」と、よく言っていました。NHKの放送終了時に流れるこの映像(検索したら出てきてびっくりです)を見ながら、「日本はこんなに小さな国だから、将来広い世界を見に出て行きなさい」というような要旨のことを言われたことも覚えています。(←幼い頃、父が出張で留守の時は遅くまで起きているのを許されて、嬉しかった記憶があります。)男兄弟もおらず、家の中ではジェンダー格差を全く感じないでそんな母に育てられたことは、今考えると幸運だったと思います。
アメリカ同時多発テロ事件の後、私はケヴィンに「チカは怖いから『奥様・ビン・ラディン』だよ(上手い!😂)」と命名されてしまい、しかも今や私に加担する娘まで増えてしまいました。強い女と怖い女の違いは教えないといけませんが(汗)、カリーナには私よりも強くて、どこに行っても女性のわきまえなんて気にせずに、堂々と生きていけるような人間に育って欲しいと切に願います。
10月から続くネズミの話。昨晩久しぶりに捕まえたので、今朝散歩がてらに小川まで歩いて行き放そうとするものの、なかなか出てこない😂
これはちょうど1年前の写真なのですが、1月26日は私が移民としてアメリカに渡った記念日です。
2000年にこちらに来たので、去年ちょうど20周年を迎えました。当日ふと思い立って近所に住んでいるママ友たちに「これから乾杯しに来ない?」と誘ったら、「もちろん!」と1つ返事で集まって来てくれました。
| 子供が同級生グループ みんな2ブロック圏内に住んでいる |
| いつもハロウィンを一緒に祝うデニースも後から駆けつけてくれました 彼女の子供たちも同じ学校で少し年下 |
年明け早々、相変わらず世界は混乱気味ですが、そんな中我が家の明るいニュースは、ケヴィンのママも今週の火曜日にワクチン接種を受けられるようになったことです。
カリーナの学校も、予定通り1月5日から週に4日の対面授業に戻りました。11月に「次の登校予定日は年明け」と学区が発表した時の親の反応は、「クリスマス休暇明けなんて、感染者が急増するに違いないよねぇ」と殆ど期待をしていなかったので、予定通りの再開は棚ぼた的でした。
しかし実際のところ、ボールダー自体はアメリカの多くの地域とは違い感謝祭後の感染者の急増はなく、むしろ新規感染者数は減少傾向にあります。州立大学がある街としては上出来だと感心する一方、実は今回は小中高等学校を順番に再開し、大学生はオンライン授業のままと差別されているのでした。秋に新学年度がスタートした時は、コロラド大学を震源として感染者が急増し、一時学生達にはレストランにも入れてもらえないほど厳しく制限がかけられました。
***
前回、10月〜11月に4週間学校に通った時は、天気が良くまだそこまで寒くなかったので、ルンルン気分で自転車で送り迎えをしていました。スクールバスは走っているのですが、たかだか10分程度でもなんとなく乗せるのには抵抗があるのです。バスドライバーさんに会えないのは寂しいですけどね。
今回は家を出る時間帯はまだ氷点下なので、さすがに自転車通学者も減りました。初めの2日間は車で送り迎えをしていたのですが、5分の道のりを毎日車というのは私の性格上(環境に良くないと)向いておらず、朝だけ片道2キロ強の道のりを徒歩に切り替えることにしました。すると、これがとても気持ちがいい!冒頭の写真の風景を見ると、朝一番に心が洗われるような気分にすらなります。
8時にカリーナを学校に送り届けた後に、1人で今まで通ったことのない路地を家に向かって歩いてみると、面白いデザインの家があったりしてこれまでに知らなかった街並みが見えてきました。その中で最も私の興味を引いた場所は「教会地区」。
| 昔ヨーロッパを旅行した頃が懐かしくなります |
| 見よ、この筋肉を! |
| この直後にダウン |
| 山種美術館にて |
![]() |
| 我が家のフェンスの花 水仙→アヤメ→クレマティス&コロンバイン |
![]() |
| 標高3300mに向けて1時間の道のり |
![]() |
| 夏のスキー場のスロープをハイキングで逆上 |
![]() |
| なぜか頭にパンツをかぶってオンライン授業を受けるカリーナ |
![]() |
| ケヴィンの両親にプレゼント |
そしてクリスマスイブ。今年もプレゼントはシンプルにしようと言っていたにも関わらず、ツリーの下は所狭しとプレゼントが並びました。
![]() |
| 友達と半袖でハイキング! |
![]() |
| 上の写真を取った直後に山から1時間半走って降りてくるケヴィンに遭遇😂 |
![]() |
| ハイキング後はワインとチーズ 歩いている時間より喋っている時間の方が3倍以上? |
| どうやら夜に誤って中に入って出られなくなったらしい |
| チーズをあげてみました(食べなかったけど) |
| さようなら〜! |
数日前に友人のインスタグラム(以下IG)の投稿で、「今年は別れの年でした。父、仕事、そして次は可愛いマイガール.....」と書いてあるのを見て、彼女の愛犬のハスキー犬タシャが亡くなったことを知りました。彼女は去年から今年にかけて人生の大きな変換期に差し掛かり、そうでなくても大変な思いをしていたので、IGにコメントを残すのではなく直接連絡してみることにしました。
![]() |
| アシャとタシャ 2009年 10月 |
![]() |
| シンガ 2009年 11月 |