2021年4月16日金曜日

3月11日

 早いものであれから10年。


10年間で人間ってこんなに変わるんだ、と感心します😂


今年は誕生日のデコレーションを自分で作成

去年のカリーナの誕生日にWHOがパンデミックを宣言。10年間のカリーナの人生には歴史的な出来事が詰まっているだけでなく、その出来事が本人の誕生日に重なっているのが特徴です。

ケヴィンの両親がワクチン接種を終えて既に2ヶ月以上経過しており、ケヴィンもこの日に2回目の接種をしたので、久々にマスクなしのディナーになりました🎉🎉ちなみに、この写真を見た多くの友達から、「パパの笑顔がかなり幸福度を上げている」というコメントをいただきました。


ママが、カリーナと14日が誕生日のケヴィンのために、エンゼルフードケーキを作ってくれました。卵白だけで作る真っ白でふわふわなケーキです。ケヴィンが子供の頃はいつもこれだったそう。それに手作りベリーソースとカスタードクリームを添えました。カリーナが生まれてからは、気の毒にその陰に隠れがちなケヴィンの誕生日も一緒にできて、満足度が高い(?)家族のバースデーパーティーでした。


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接種後約10時間後目がトロンとしてくる

この日の午前中に、2回目のワクチン接種を終えたケヴィン。心配していた通り、約10時間後くらいから副作用がで始めました。この晩は10時過ぎにガタガタと震えながらベッドに入り、夜中にかけて体温が上昇。病気ではないとわかっているので、どんどん熱が上がるのを観察するのが面白くて、苦しそうに横たわるケヴィンの額に定期的にピッと非接触体温計かざしていたら、最高39.5℃くらいまで熱が上がっていました。

翌朝高熱は下がったものの、キッチンでちんまりとコーヒーを飲んでいる最中にいきなりぶるぶるっっっと震えたのを見たときは、流石にこちらも驚きましたが、その様子はまるで震えるチワワのようでした😆副作用はその日(接種翌日)の午後には引き、その晩はスキーコンドまでずっと運転できるまで回復していました。

来週の金曜日に私も2回目を接種するので、その時は自分もそうなるのかと覚悟を決めています。ちなみに、ケヴィンはモデルナ、私はファイザーです。
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カリーナに今年の誕生会はどうしたいかと尋ねたところ、今まで15〜25人の友達を招待していたのですが、今年は本当に仲の良いグループだけでやりたいとの返事。ついにそんな年齢になったのだなあと感慨深く思いながら、仲良しグループのお母さんたちにメッセージを送りました。

今年に入ってからなのですが、コロナウィルスのPCR検査の簡易スタンドが学区内の小中高を巡回しており、カリーナの学校にも2週間に1度の割合で回ってきます。生徒と学校関係者は誰でも受けられて結果は大体24時間以内に出るので、たまたま誕生会の3日前に学校に来たPCR検査を友達にも受けてもらい、無事に4人とも陰性結果を持っての会となりました。


例年のように賑やかなパーティーはありませんでしたが、ささやかながらも意味が深い誕生日を迎えられて、カリーナも満足そうにしていました。ティーンエイジャーまであと3年。まだまだ子供らしくて可愛い時期を、大切にしていきたいなあと思います。





2021年2月19日金曜日

山籠り

昨日の朝雪かきをしようと外に出て
この景色に見とれてしまいました


今年は暖冬ですが、最近それなりに雪が降るようになりました。

先週末からアメリカ各地は大寒波に見舞われていますが、ボールダーも今年の最低気温を記録しました。ここはテキサス州と違って冬の間パイプが凍らないような構造になっているので、大惨事に至ったという話は聞いていませんが、去年ダラス近郊に引っ越した友人一家は、2階のパイプの水漏れから始まりその後天井が崩壊するという悲劇に見舞われてしまいました。


テキサス州の問題として指摘されているのは、電力網がその他の地域と完全に切り離されている点で(ありがちな政治と金絡みの話)、近隣州からの電力供給を全く受けられなかったことが被害を更に深刻にした、と批判されています。ウォール・ストリート・ジャーナルは、この災害は政治の産物だという社説を出しています。それに反してフォックス・ニュースは、ここぞとばかりに不安定な風力発電(グリーンエナジー)への依存が問題だと指摘し、バイデン政権の気候変動対策を攻撃しています(うんざり)。

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話はコロラドに戻り、先週末はここの学区は4連休でした。

我が家は予定通りスキーコンドがあるウィンターパークに籠っていたのですが、今回の大寒波は山間部よりもボールダーを含む山麓の方がひどく、実は山の方が気温が高い週末でした。その直前に、ウィンターパーク・リゾートの若い従業員の間でコロナのクラスターが発生し、それが大々的にニュースになった為みんなに避けられたようで、普段はシーズン中最も混むこの週末が閑散とした状態になっていました。

このクラスターですが、どうやらルームメート同士が規則に違反して仕事後に連んでいたのが原因だったようで、リゾート自体は安全で、ケヴィンによるとリフト乗り場で働いている人達はみんなおじさんだったそうです。リタイアした人達が狩り出されたのでしょうかね?

コンドから出てしばらくすると山道があり
そこが私の長年のお散歩コース

情けないことに、私は連休初日の朝に冷蔵庫の一番下の段の引き出しに入っているものを確認している時、腰がグギッといってしまいました。嫌な予感がして、酷くなる前に何とかしようとできることをしてみましたが、久しぶりに重めのぎっくり腰になってしまい、完治するのに丸5日かかりました。

たまたまカリーナも、前日に体育で縄跳びをしている時に足首をひねって痛がっていたので、その日はケヴィンだけ好きに滑ってもらうことにしました。じっとしているのも腰に悪いかなと思い、午後は2人で散歩にいき、その後街に歩いていき買い物を楽しみました。

時にはのんびりするのも悪くない

しかし翌日痛みは悪化し、2日目は私だけコンドに残ることに。たまたま手に入った刺身用サーモンがあったのでカルパッチョを作り、夕食はコロラド産ライチ味日本酒と合わせてみたらなかなか美味しかったです。

これで温泉があったら完璧

3日目は山間部も気温がマイナス18℃まで下がったので、その日は家族でお休み。

カリーナとケヴィンは、たまたま同じエリアに来ていた友人達と、チュービングというタイヤに乗って雪上を滑走できる施設に行ったのですが、そこは激混みだったようでコロナの心配もあり断念。そのままコンドの近くの林間でそり滑りをすることになったものの、ほどなくして一家族の父娘が転倒し、両親が泣き続ける娘を心配してそのまま病院へ直行し、レントゲンを受けさせるという事態が発生。結果的に事無きを得ましたが、そり滑りを提案したのがケヴィンだったので、しばらく心配しました。

たまたまケヴィンは凸凹なコースをもっと踏み固めようと、車にスノーシューを取りに戻った最中だったようで、戻って様子が急変していてびっくり。その父娘の様子を観ていたカリーナは、「ミラが『こっちがいい!』と言い張って、いきなり急な方にお父さんと行っちゃって、左にぶつかった後バウンドして右にぶつかって、そりがひっくり返っちゃった」と証言。

このエリアのそり滑りの動画を2年前に載せています。これよりはかなり急な坂だったらしいです。

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4日目の朝、前屈はできるようになったものの、まだ立ったままブーツの調整は無理かなという状態だったので、諦めてまた1人でコンドに残ることにしました。その日は別の場所に散歩に行きましたが、新たなトレイルを見つけて気に入ったので、これからはこっちに向かって歩こうと。

15年もコンドに来ていてこのトレイルを知らなかったなんて!

クロスカントリースキーを楽しむひと組+可愛い犬に出会った以外は誰もおらず、1人で考え事をするのに打って付けの道でした。何を考えていたかというと、老後は日本とコロラドの比率をどうするか。春と秋はできたら日本に居たいなと思い、冬もコロラドは寒いから日本の方がいいかな?と思いつつ、静かな雪の中をこうやって散歩する年老いた自分も想像できるかなと思ったり。6月〜9月は確実にコロラドに居ると思いますけどね。


2021年2月9日火曜日

だから日本で女の子を育てるのは大変だと思う(溜息)

ネット上では「#わきまえない女」という、思わず「お見事!」と言いたくなるハッシュタグ付きで、様々な意見や経験が飛び交っているようですね。張本人は謝罪をして発言を『撤回』しましたが、日本社会で今まではびこってきた男性の意識がうっかりと世界に向けて発信されてしまい、ジェンダーギャップ153カ国中121位の現実の氷山の一角を、世界に見てもらう良い機会になったのではないかと、私は個人的に思っています。

批判が収まらないのを見かねたIOCが、9日に改めて声明を出したようですが、当初あっさりと「この問題は終了したと考えている」と発表した点には私は首を傾げました。オリンピックには、恐らく目に見えない様々な利害が複雑に絡まっているのでしょう。

いつもの癖で「どうせ上は何も変わらないのだろうな」と思っていたので、その後何百人もの五輪ボランティアが辞退したという報道を見て、そういう形の抗議に一筋の光を見た思いです。しかし、この失言に続く失言。空気が全く読めていないどころか、読む気すら見えない。今までそれが容認されてきた社会構造、そして差別を温存する笑い声を想像し、そんな中で頑張っている女性議員や委員の方々に心から同情します。

悲しいことに私のような一般的な中年女性が若かった頃は、当時インターネットがなかったこともあり、不公平を感じつつもそれに立ち向かうよりも、むしろ無駄な労力は使わずに、男性を適当に引き立てて自分達ができるだけ損をしないように立ち回る、もしくはそれを逆手に取る、という処世術を身につけてしまいました。しかし今回のようなケースを見ていると、「もしかすると何かが動くかも?」という淡い期待が湧いてきました。

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何年か前にこちらのNPRというパブリック・ラジオで、ゲストスピーカーが日本についての話をしていて、その中で「現在日本における男女格差は、まるでアメリカの1950年代のようです」と言っているのを聞きました。

1950年代って一体どういう時代?

思いつくことは、朝鮮戦争と戦争特需、小津安次郎の「東京物語」くらいしかなかったので、試しに「1950年代の流行」を検索してみました。

1950年:ビニール・レインコート。ブレザージャケット。ネッカチーフ、チラリズム。

1951年:第1回NHK紅白歌合戦(ラジオ)。LPレコード。ソフトクリーム販売。

1952年:カブ[ホンダ]販売。流行通信が創刊[日本織物出版社」。国会中継の放送開始。公衆電話が登場。鉄腕アトム連載。

1953年:テレビ放送スタート。「おこんばんは」トニー谷。オロナイン軟膏。お茶づけ海苔。 NHK紅白歌合戦 。クリスチャン・ディオール来日。 日本初のスーパーマーケット紀伊国屋開店。

1954年:第1回モーターショー 。サブリナパンツ。ゴジラ公開。

1955年:高度成長期突入。「三種の神器」電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョン。歌声喫茶。

1956年:シンタロー刈り。太陽の季節(石原裕次郎・日活)。ケ・セラ・セラ。

1957年:ホッピング(玩具) 。犯罪専用電話「110番」が全国に拡大。

1958年:東京タワー完成。即席チキンラーメン。缶コーヒー発売。日本初のバイキングレストラン。月光仮面が放送。「イカす」。

1959年:カミナリ族。タフガイ。トランジスタ・グラマー。第1回日本レコード大賞開催。週刊少年サンデーと週刊少年マガジン創刊。

ちなみにアメリカの方は、市民権運動、マッカーシー上院議員の赤狩り、音楽ではエルビス・プレスリー、映画ではジェームス・ディーン、アラスカ州とハワイ州の誕生、といったものが並びます。

....日本女性の社会的地位って、この時代のアメリカ並?!....

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日本を出て21年、カリーナが生まれてから10年。アメリカとイギリスで生活し、子供をアメリカの公立の学校に通わせる中で、ずっと当たり前だと思っていたことが実はそうではないということが結構ある、ということに徐々に気づき始めました。

私が公立の学校教育を受けた昭和50年代から60年代は、学校で出席を取るときは男子から始まり次に女子という順番でした。卒業証書を受け取る時なども、まずは男子そして女子が続いたのだと思います。

→思えば、小学生の時点で「男子の方が女子よりも立場が上だ」という意識が、私の中に自然と芽生えていた気がします。それはつまり洗脳ではないでしょうか?

中学高校になると、女子が家庭科をやっている時に男子は木工をしていたり、男子が柔道をしている時に女子はテニスをするというように、男女が分けられることが増え、男性らしさと女性らしさの押し付けが更にはっきりしてきました。(*どうやらこれは63年に改定されたらしく、現在は男子も家庭科を、女子は技術の授業もあるようで何よりです。)

→高校1年生の時に、学年全体で2泊3日で浅間山にキャンプに行った時、男子に重いまな板やキャベツを運ばせ、横でふざけて遊ぶ男子を横目に女子がカレーを作りました。今の私なら自分でまな板を担ぎ、男子にも料理を手伝わせます。

大学生になると、サークル仲間でスポーツ観戦等の恒例のイベントがある時は、場所取りをする男子のために女子がお弁当を大量に作って持っていく、ということが慣例になっていました。

→そこで女子力を発揮する先輩達の姿を見て、年上のお姉様方は素敵だなと思う自分がいました。

これが社会人になると、総合職と一般職の区別化、職場でのお茶汲みや給湯室の掃除当番は女性社員にしか割り当てられませんでしたが、それを当たり前と思い「男性も当番に混ぜて欲しい」ということすら考えたことがありませんでした。

→ロンドンで働いたオフィス2ヶ所では、男性が自分でミルクティーをいれていました。

東京で私がいた場所は女性が多い職場で、社内での地位こそは低かったものの、ある程度の仕事を任されて課を上手く回していました。時々顧客からクレームがあり「(女の)お前じゃ話にならないから上司を出せ!」(←上司が男という前提)と言われた時は、問題が上司のところに行く前に体を張ってなんとかここで解決させようと、同期の男の子を上司と偽り電話口に出して危機を乗り越えたものです。「本当に馬鹿にされているよね」と同僚と憤慨しつつ、仕方ないと諦めていました。

蛇足ですが、「これももしや差別的ではないか?」と思い始めた日本文化の1つ、それは夫婦茶碗のサイズです。調べてみると由来は江戸時代の「決まり採寸」のようですが、これも「女性は弱い」という文化の現れではないかと思いませんか?どこの文化で男女の皿のサイズが違うのか、もしそういう国があったらどなたかぜひ教えてください。

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’86年夏から1年間アメリカの高校に留学しました。ホストファミリーにお世話になりながら、外国人なんて滅多に来ない田舎の学校に通いました。そこでの数々の驚きは今でもたくさん記憶に残っていますが、まず感心したのは学生達が学年・男女分け隔てなくいい感じに混じり合って学生生活を送っていることでした。日本語のように敬語の使い分けが難しくない英語の特徴でもありますが、生徒が先生に対して同等の言葉づかいで遠慮なく意見を言い、優秀な生徒が時々先生を言い負かしている姿にも驚きました。

そんなカジュアルな雰囲気の中でもいざという時、例えば時々ある学校のダンスパーティーや、ホームカミング、プロムなどの大イベントでは、男子が女子を紳士的にエスコートする姿も印象的でした。

生まれて初めて女性のスクールバスドライバーを見たことも、私にとっては衝撃的なことでした。

大人になってこちらに移住してから有り難く思うことの1つは、女医が多いことです。我が家のファミリードクターはずっと女医さんですし、妊娠中にお世話になった産婦人科も4〜5人の先生でクリニックを回していましたが全員女医。帝王切開をしてくれたのもそのうちの1人でした。一昨年五十肩でお世話になった外科医や、時々行く内分泌科の先生もみんな女性です。

日本では小学生から社会人まで、健康診断の時にずっと上半身を裸にされていましたが、こちらに来てからあれはセクハラだったということを悟りました。アメリカ人の女医さん達は、聴診器を当てる時に誰もそんなことをしないからです。カリーナにそんな話をしたら、目を剥いて驚くことは確実です。そんなことからも、こちらの子供達は小さい頃から自然と女性の権利を学んでいるのです。

アメリカでもそれなりに女性出世の妨げになる壁というものは存在し、最近日本でも聞く表現ではないかと思いますが、それはグラスシーリングと呼ばれています。それでも私くらいの年齢になると、会社でエグゼクティブのポジションで活躍している女性の友人も少なくありません。

やや話は逸れますが、ある日本人の友人が、20年以上昔に同僚に「あいつは女のくせに俺より多い給料をもらっている」と言われて、彼女が上司にあまり深く考えずに「あの人が私をビッチと呼びました」と言ったら、その同僚は速攻でクビになって驚いた、という話もあります。

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私の母は、「鉄の女と呼ばれるサッチャーさんのように、強い女になりなさい」と、よく言っていました。NHKの放送終了時に流れるこの映像(検索したら出てきてびっくりです)を見ながら、「日本はこんなに小さな国だから、将来広い世界を見に出て行きなさい」というような要旨のことを言われたことも覚えています。(←幼い頃、父が出張で留守の時は遅くまで起きているのを許されて、嬉しかった記憶があります。)男兄弟もおらず、家の中ではジェンダー格差を全く感じないでそんな母に育てられたことは、今考えると幸運だったと思います。

アメリカ同時多発テロ事件の後、私はケヴィンに「チカは怖いから『奥様・ビン・ラディン』だよ(上手い!😂)」と命名されてしまい、しかも今や私に加担する娘まで増えてしまいました。強い女と怖い女の違いは教えないといけませんが(汗)、カリーナには私よりも強くて、どこに行っても女性のわきまえなんて気にせずに、堂々と生きていけるような人間に育って欲しいと切に願います。


2021年2月4日木曜日

いまだに続く野ネズミとのイタチごっこ

10月から続くネズミの話。昨晩久しぶりに捕まえたので、今朝散歩がてらに小川まで歩いて行き放そうとするものの、なかなか出てこない😂


ネズミ捕りがまるでお家のようになってしまい、いくら振っても出てこないので、静かに置いて自発的に出てきてもらうことにしました。


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最近またネズミが活動的になっており、家の中に潜んでいるのはわかっていたのですが、なかなかネズミ捕りにかからずにいました。しかし土曜日にダイニングルームに座っていると「ガリ、 ガリ、、、」と音がするので何だろう?と思い、一瞬上でハムスターが運動している音が振動しているのかと思ったのですが、「あ、ネズミかも(恐怖)」と家族の動きが凍りました。

カリーナが「ここ!」と引き出しを開けると、、、おお〜糞だらけになっている(涙)一体こんなところに何を食べに来たのだろう?と見ると、驚いたことにキャンドルを食べられていたのでした。しかもアルミの部分まで食べちゃって、小さなカラダは大丈夫なの?

引き出しを抜くと、壁とその空間の間に小さな隙間があり、そこから出入りをしていた様子。人がまだ起きている時間帯に活動するなんて、相当飢えていたのだろうかと思ったり。


またもや中身を空っぽにして、入っていたものを消毒するという作業をする羽目になりました。お陰で不要なモノを半分ほど捨てられてスッキリしましたが。
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その晩、ネズミ捕りに普通のネズミのベイト剤をつけて、空の引き出しの中に置いてみたのですが成果はなし。3日経過しても何も起こらないので、もういいかと匂いがするものがなくなり整理された引き出しを戻した晩に、悔しいことにしっかりと戻って来ました。「キャンドルの匂いがまだ残っていたか...」と言いながらまた中身を消毒する羽目に(溜息)

ケヴィンが「この野ネズミたちは甘いものが好きだから、今晩はチョコレートチップを置いてみる」と仕切り直したところ、思惑どおりそれを食べに戻って来ました。

秋から何度も掃除や消毒に時間を費やしていますが、上のビデオを見るとやっぱり可愛くて殺せない😅ネズミ捕りを持って小川まで歩いている時に、昨日ハイキング中に見た鷹を思い出し、「あそこに放したら一発でやられるんだろうなあ」と思い、それをケヴィンに話すと「他の家で普通のネズミ捕りで即死はかわいそうだけど、食物連鎖だったら仕方ないかもね」

うーん、せっかくここまでして生かしてあげたから、うちには戻って来て欲しくないけど、できるだけ長く生き延びて欲しい、、、。

ここに放したら一巻のお終い😇
よく見える目で小動物を探しているんだろうなぁ、と思っていたところでした

2021年1月26日火曜日

私の『移民記念日』

これはちょうど1年前の写真なのですが、1月26日は私が移民としてアメリカに渡った記念日です。

2000年にこちらに来たので、去年ちょうど20周年を迎えました。当日ふと思い立って近所に住んでいるママ友たちに「これから乾杯しに来ない?」と誘ったら、「もちろん!」と1つ返事で集まって来てくれました。

子供が同級生グループ
みんな2ブロック圏内に住んでいる


この写真を「あれから1年だよ」とみんなに送ったら、「室内でマスクなしで一緒にいるなんて、嘘みたいだねぇ」「ここに写ってる私たち、このあと世の中がどうなるか知らなかったんだよね」「あの頃は良かったねぇ」と、ため息交じりの返事が帰って来ました。

いつもハロウィンを一緒に祝うデニースも後から駆けつけてくれました
彼女の子供たちも同じ学校で少し年下

「早くマスクなしでハグができる日が戻るといいね」と返事を送ると、「ほんと、待ちきれない〜。私いつでも誰にでもハグしまくるよ!」という返事が戻って来ました(爆笑)


そして今日でアメリカ移住21周年です。アメリカ生活にはそれなりに適応しましたが、日本人ほど里帰りを楽しみにしている国民は他にあまりいないような気がします。私と同じような境遇の日本人の友人達と、「早く日本に里帰りしたいねえ、、、」と嘆く日々です。

追伸:今日ケヴィン父は2回目のワクチン接種を受けました。

2021年1月10日日曜日

明けましておめでとうございます


新年明けましておめでとうございます。

年明け早々、相変わらず世界は混乱気味ですが、そんな中我が家の明るいニュースは、ケヴィンのママも今週の火曜日にワクチン接種を受けられるようになったことです。

カリーナの学校も、予定通り1月5日から週に4日の対面授業に戻りました。11月に「次の登校予定日は年明け」と学区が発表した時の親の反応は、「クリスマス休暇明けなんて、感染者が急増するに違いないよねぇ」と殆ど期待をしていなかったので、予定通りの再開は棚ぼた的でした。

しかし実際のところ、ボールダー自体はアメリカの多くの地域とは違い感謝祭後の感染者の急増はなく、むしろ新規感染者数は減少傾向にあります。州立大学がある街としては上出来だと感心する一方、実は今回は小中高等学校を順番に再開し、大学生はオンライン授業のままと差別されているのでした。秋に新学年度がスタートした時は、コロラド大学を震源として感染者が急増し、一時学生達にはレストランにも入れてもらえないほど厳しく制限がかけられました。

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前回、10月〜11月に4週間学校に通った時は、天気が良くまだそこまで寒くなかったので、ルンルン気分で自転車で送り迎えをしていました。スクールバスは走っているのですが、たかだか10分程度でもなんとなく乗せるのには抵抗があるのです。バスドライバーさんに会えないのは寂しいですけどね。

今回は家を出る時間帯はまだ氷点下なので、さすがに自転車通学者も減りました。初めの2日間は車で送り迎えをしていたのですが、5分の道のりを毎日車というのは私の性格上(環境に良くないと)向いておらず、朝だけ片道2キロ強の道のりを徒歩に切り替えることにしました。すると、これがとても気持ちがいい!冒頭の写真の風景を見ると、朝一番に心が洗われるような気分にすらなります。

8時にカリーナを学校に送り届けた後に、1人で今まで通ったことのない路地を家に向かって歩いてみると、面白いデザインの家があったりしてこれまでに知らなかった街並みが見えてきました。その中で最も私の興味を引いた場所は「教会地区」。

昔ヨーロッパを旅行した頃が懐かしくなります

ダウンタウンの北の一角に、いろいろな種類(デノミネーション)の教会が集まる地域があります。そこの路地は今まで通ったことがなく、まるで別の街、それもヨーロッパにいるような感覚に。


「裏はこんなになっていたんだ」と驚き、この長屋のような光景は、もしや昔は馬が入るところだったじゃないかと思ったり。


朝7時半過ぎに家を出て、8時半頃に帰って静かにカフェオレを煎れて飲む、というのが最近の密かな楽しみになりました。コロナ渦で午前中のミーティングやジムに運動に行くことが全くなくなってしまった、今ならでの新しい習慣であります。

というわけで、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2020年12月31日木曜日

ケヴィン父 コロナワクチン接種!

見よ、この筋肉を!

コロラド州も、医療従事者へのワクチン接種が12月中旬に始まりました。医者の友人が先々週に受けたという話を聞いてしばらく経った後、75歳以上の一般人への第一ラウンドが始まり、ケヴィンのパパ(=76歳)のところへ保険会社からEメールが届きました。

連絡が月曜日に来て、接種は火曜日。(メールを毎日ちゃんとチェックしていて良かった!)

病院から帰って来て、話好きのパパは友人達に電話で「ちゃんとメールをチェックした方がいいよ」とアドバイスをしていたようですが、どうやら今回のラウンドは保険会社にメール登録をしている人に対する試験的なものだったようです。

確かに電話で連絡するよりマンパワーがかからず、簡単な通知方法です。

知り合いの中でワクチン接種第一号になったパパ。年間700人近い数の知り合いに誕生日に電話をして、ハッピーバースデーの歌を送るよう人なので、普段から行いが良い人に良いことが起こるのは、なんとも気分が良いものです。

次のラウンドは、70歳以上、教員、スーパーマーケット従業員とのことなので、ママへの順番も早く回ってくるよう願っています。

2020年

去年の大晦日には、まさか今年がこんな年になるとは夢にも思いませんでした。しかも私はあの晩に喉の痛みを覚え、元旦に家族にお雑煮を作って食べた後、1月4日の昼まで寝込むことになりました。普段は熱が出ても薬を飲めば大体1日で治るのに、あの時は丸3日間薬が効かずにベッドの中で寝たきりでした。熱であんなに寝込んだのは生まれて初めてでした。

発症する数日前にバスに乗ってデンバーまでお雑煮の材料を買いに行ったので、その時にインフルエンザが移ったんじゃないかとずっと思っていましたが、その後ケヴィンや友人達に「あれ、コロナだったんじゃないの??」と冗談半分で言われ、どうやら12月中にアメリカにもウィルスは入って来ていたと聞くと、まさか....?

(「じゃあもしそうだとしたら、どこからそのウィルスが来たわけ?」とその前の週に何が起こっていたかを思い起こすと、ケヴィンがロスを経由してニュージーランドから帰って来ていました...。)

この直後にダウン

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今年、私の運の強さが発揮されたと思われた出来事は、実は日本で初の感染者が見つかる直前の1月中旬から1週間ほど、1人でお忍びで日本に帰国していました。

たまたま12月上旬のサイバーマンデーに、ユナイテッド航空がマイレージ航空券の大幅割引をしていることに気づきました。普段の半分のマイレージで往復できると知って、「とりあえず予約しておいて、ケヴィンとうまく調整がつかなかったらキャンセルすればいいし」と思って予約したが最後、この私がそれを諦めるはずがなかったのでした。

妹夫婦と食べた今年初のお寿司

ところが年始に寝込んでやっと起き上がった後に、副鼻腔が詰まった感じがして「これで飛行機に乗って大丈夫だろうか?」と心配になりました。以前に風邪気味で旅行をした時に何回か、飛行機着陸後に最長1週間耳が通らなかった、という経験をしているので(そして気圧の変化と共にあのどうにもならない強烈な痛み!)、それを思い起こすと不安になったのです。

その後1週間で出発できるか微妙な感じだったので、妹夫婦と親友以外にはギリギリまで日本行きを知らせず予定も立てず、という状態でした。

たまたま他のことで医者に会う予約があったので、専門は違ったものの意見を聞いたところ、鼻スプレーを勧められました。早速鼻が詰まって苦しい夜間に使ってみたところ、一瞬にして鼻腔が開き「これで大丈夫だ」と確信したのが出発の3日前。そしてこの計画は決行となったのでした。

山種美術館にて

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鼻スプレー、風邪薬、のど飴、、、思いつくものを全て持参して飛行機に乗り込み、問題なく東京に到着。その後も咳止めの漢方薬を服用しつつ8日間時間を無駄なく使えました。「ちょうど私と入れ替えに、春節休暇の観光客が来るんだね」と今思えば呑気なことを言っていましたが、あっと言う間に状況は急変。その後約1ヶ月かかってその波がアメリカにも押し寄せたのでした。

日本滞在中に、いつものように買いだめをしましたが、「5月にまた来た時に買えばいいか」と思って買わなかったものがそれなりにありました。

今回の教訓:買えるものは後回しにせずスーツケースに入るだけ買っておけ

私の周りの日本人は、春から夏にかけて一時帰国する人が多く、3月ごろに「ああ〜ついに手持ちの物資が底をついてきた〜」と嘆いていました。みんな自分の帰国日程に合わせて貴重な日本の製品を1年間小出しで使っているんだなと(涙)

2月末頃にはまだ、「5月末だったらいけるんじゃないか」と思っていましたが、その後状況は良くなるどころか悪化の一方。2021年ももしかして6月頃はまだ無理ではないかと思い始めてきましたが、オリンピックは一体どうなるんだ??

***

我が家のフェンスの花
水仙→アヤメ→クレマティス&コロンバイン

というわけで、2020年は1月に日本へ行った以外は一歩もコロラド州から出ないで終わりました。そのお陰で普段見逃す夏の花を楽しめ、6年ぶりに冬のキャビンへスノーシューで登りましたし、夏の静かなスキー場でハイキングをしたりしました。そういう意味では貴重な年だったと思います。

標高3300mに向けて1時間の道のり


夏のスキー場のスロープをハイキングで逆上


そして何よりも、家族が全員元気でいれれたことに感謝しなければいけません。

皆さま、良いお年をお迎え下さい。

師走

ホリデイシーズンの我が家の周りの様子です。今年は早くからクリスマスライトを点ける家も多かったです。


こちらは、ここから車で30分ほどの郊外の個人宅。カーステレオである番号に設定すると音楽が流れていて、それに合わせてライトショー状態です。これはステージ関係の仕事をしたことがある人のやることではないか?と私は思うのですがどうなのでしょう?30分で音楽が一周します。



12月も引き続きオンライン学習でした。
前にもちょっと書きましたが、今回は韓国からお父さんのお仕事で約1年半こちらに滞在予定のクラスメートを誘って、週2回合同学習にしてみました。去年の8月末から3月上旬まで学校に通ってせっかく英語を覚えたのに、自宅にずっといるのでは気の毒です。少しでも彼女の滞在を楽しいものにしてあげられたら良いなと。そしてこの子がとっても優秀。さすが研究者のお子さんです。

なぜか頭にパンツをかぶってオンライン授業を受けるカリーナ


ケヴィンの仕事チームのオンラインクリスマスパーティーの様子。クリスマスソングの歌詞を今年風にアレンジして歌い、ギラギラのコスチュームで披露していました。


今年は初めてカリーナと2人でクリスマスクッキーを焼いてみました。このスイス風クッキーを焼くのはほぼ10年ぶり!


ケヴィンの両親にプレゼント


そしてクリスマスイブ。今年もプレゼントはシンプルにしようと言っていたにも関わらず、ツリーの下は所狭しとプレゼントが並びました。


しばらく誰とも接触していなかったので、クリスマス当日は家族全員でプレゼントを開けました。その後ケヴィンはバタバタとスキー場へ。(道連れとなった気の毒なカリーナ)



クリスマス翌日は、気温が16℃まで上昇。もしかすると私が2000年にここに来て以来最も暖かいクリスマスだったかもしれません。

友達と半袖でハイキング!

上の写真を取った直後に山から1時間半走って降りてくるケヴィンに遭遇😂

ハイキング後はワインとチーズ
歩いている時間より喋っている時間の方が3倍以上?


アメリカに住んでいても、やはり日本人として一年のけじめはつけたいと毎年思うのですが、周りがパーティーやスキーのことを考えている時に大掃除をするのはいつも大変。

今年は社交行事がないのである意味楽なはずだったのですが、いざ掃除をしようと思っていた週末があまりにも暖かかったせいで時間差で友人達が我が家のポーチに集まり、それ以外にもやるべきことが終わっておらず、結局2階まで手が回らず心残りでした。それでもカリーナの手を借りて、できるだけ掃除をして一年を締めくくりました。

2020年12月22日火曜日

野ネズミ捕獲&解放の日々

*2021.1.4. <アップデート>
物置に今シーズンまだ出していないダウンジャケットを取りに行ったら、フードのファーの部分が全てかじられていることが発覚(愕然)。巣作りに使われたものと思われます...。


秋の話に戻ります。

ある朝、前の晩に使ったため蓋が開けっ放しになっていた檜風呂(我が家の1階にはカスタムで作られた檜風呂があります)の蓋を閉めようとしたケヴィンが見たものは、なんと野ネズミ!

どうやら夜に誤って中に入って出られなくなったらしい

ケヴィンを見て慌てたそのネズミは排水溝に入りそうになったので、彼が咄嗟に水を出して反対側に行かせようとした為に水を浴びて、文字通り濡れネズミになってしまいました😓

どうやって捕まえようかと考えた結果、靴箱で捕まえて道を渡った反対側の教会に逃すことにしました。

チーズをあげてみました(食べなかったけど)


あまりにも可愛らしいので毛づくろいをする姿をしばらく眺めていると、動きがハムスターにそっくりなことに気づきました。やはり同じ齧歯類なのだなあと感心。ちなみに、こちらはうちのハムスターの動き。



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その10日後、キッチンの横の食材置き場からコーンスープの入った箱を取り出し中を覗くど、ぎょぎょっ👀小さなネズミの糞のようなものが入っている!

この糞のサイズだと、あの時に逃した野ネズミが戻って来たのかなあと思いつつ、コーンスープがあった場所に戻ってカートを動かしてみると、小さな糞と噛みちぎられたキャンディーの包み紙が散らばっていました。外のソファの下にドブネズミが住み着いたり、家の中に野ネズミが入って来たりするのは決まって寒くなるこの時期です。

現場近辺のものを全てどかしてみると、このネズミは甘いものしか食べていないことに気づきました。その直前の5日間の旅行中に砂糖の味を覚えたようで、犠牲になったものはハイチュウみたいなキャンディー3つ、カリーナが大切に取っておいた日本のマンゴー飴1つ、ケヴィンのチョコレートの一角のみでした。

小さなネズミにとっては相当な量。周りにクラッカーや穀類もたくさんあったのに、全く手をつけていないということは、重度の砂糖中毒になってしまったのではないかと不安になりました。

午前中1時間以上かけてそのエリアを掃除する羽目になった私は、あの可愛い野ネズミでも殺意を覚えましたが、動物愛護の第一人者のカリーナは頑として殺さない方法をと訴えた為、生捕りにして殺さないネズミ捕りを仕掛けて夜を迎えました。

23時頃にコンピューターに向かっていると、横でカチンという音に驚いて思わず椅子の上で飛び上がりました。その後カサカサと音がするも、しばらくすると静まり返ったので、恐る恐るネズミ捕りを見るとやっぱり入口がしまっており、持ち上げてみると中からの動きは感じないけれどそれなりに重くなっていました。その晩は、一晩置くのは気の毒だと思いつつもベッドに入りました。

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「カリーナ、ネズミ捕れたよ」
と言うと、普段ベッドでだらだらしている人があっと言う間に飛び起きました。

以前、「ネズミを逃すのなら、何マイルも先まで連れて行って放さないとまた戻ってくる」と誰かが言っていたので、今度は道を渡ったところではなくちょっと離れた公園に行くことにしました。

「じゃあ、オンライン授業が始まる前に行くか!」
カリーナと2人で車に飛び乗り、1マイルほど離れた公園に向かい、入口を開けると、、、

さようなら〜!

前のネズミの写真とよーく見比べると、やはり同じ種類のネズミのようです。ネズミは1匹捕まえると複数潜んでいることがあると聞いた通り、その後3匹捕まえて逃しました。最後の目撃は、トイレに座っていたケヴィンの前に出現し、目があった後にまた小さな隙間に戻ったそうで、結局その後は戻ってきていません。冬になったので動きが鈍くなったのかもしれません。

3匹捕まえたうちの1匹は、うっかり14時まで逃すのを忘れてしまい、入り口を開けたら出てこないので中を覗いたら、奥で丸くなって眠っていました😂 叩いても振っても出てこないので、小さな枝で突いてまた振って中を再度覗くと、今度はネズミ捕りの両方の壁部分に脚を踏ん張らせて落ちないように頑張っていた!


うちから1ブロック先で老人ホームを建設している大きな工事現場があるので、もしかすると今年はそこから野ネズミが流れて来たのかもしれません。住む場所を奪われた野ネズミにとっては災難ですね。

2020年12月18日金曜日

さようなら アシャのプレイメイト達

数日前に友人のインスタグラム(以下IG)の投稿で、「今年は別れの年でした。父、仕事、そして次は可愛いマイガール.....」と書いてあるのを見て、彼女の愛犬のハスキー犬タシャが亡くなったことを知りました。彼女は去年から今年にかけて人生の大きな変換期に差し掛かり、そうでなくても大変な思いをしていたので、IGにコメントを残すのではなく直接連絡してみることにしました。

アシャとタシャ
2009年 10月


先ほど、別の友人から来たクリスマスカードをじっくり眺めていたら、いつものように写っている愛犬シンガの写真の下に小さく「2009~2020」と書いてあることに気づき、「おお、ここも...」

昨日IGの彼女に連絡する際、懐かしいタシャの写真を送ろうと思い2009年のアルバムを見直している時に、シンガの写真も久しぶりに見たところだったのでした。

シンガ
2009年 11月

この犬は本当にやんちゃで、当時の自分のブログを今読み直して「ああ〜、そうだった〜!(涙&笑)」

どれほどやんちゃだったか興味がある方はこちらを→シンガ襲来(注 トップにこの12/18の投稿が出ますが、下にスクロールダウンすると続いて2009年の投稿が出てきます)お預かり中のドタバタが細かく記録されています。


秋には別の友人夫婦の愛犬レイブンも亡くなり、そのアナウンスメントのEメールを読んで寂しくなったなあと思っていたところでした。飼い主達はみんな私達と同世代。私達がイギリスから本帰国した2005年頃に知り合い、3組ともその後ほどなくして結婚して犬を飼ったので、この3匹の犬達はアシャよりかなり年下でした。

我が家はアシャがいなくなって6年。未だにアシャはいい犬だったねえ、と話ながら、犬の寿命がもうちょっと長ければいいのに、と思うのです。