2009年4月7日火曜日

旅立ち

日本の至る所から桜の便りが流れてきます。週末は東京もお花見日和だったようで、友人から送られて来る桜の写真や上空から撮影された東京各地の桜の名所の動画をオンラインニュースで見て、今すぐに荷物をまとめて日本行きの飛行機に飛び乗りたい気持ちの私です。今週ケヴィンは絶妙なタイミングでワシントンD.C.に出張に出ており、明日あたり有名なポトマック川の桜を眺めることになりそうです。日本人の私を差し置いてなぜ?と思ったりもしますが、結構ケヴィンらしい巡り合わせなような気もします。

砧公園 Photo by Yukko
こちらの昨晩、日本時間の7日に、一つの力強い人生が幕を閉じました。大正生まれのその人は5人の子供を抱えて40歳そこそこで未亡人となり、その後約50年間を見事に生き抜きました。数々の才能を持って生まれ、老後はクラシックギターを習い始めたりと高齢者としては多数の趣味を持ち、1970年代から海外旅行に出かけて世界中を見たその人は、90代になってもワインとチョコレートを楽しみました。

大学1年生の年末に私が遊びに行った時のこと。私が夜中まで必死に年賀状を書いていた晩、一度床に入ったその人は、私が起きていると眠れないから、とヨーロッパ旅行後10年間大切にしまっておいたコニャックのボトルを持って起きだしてくるような人でした。「チョコレートと一緒に飲むとおいしいのよ」と言いながら。そしてお料理が上手で、昨年夏の手術の翌日、病室で私たちに料理の指示をだす程気丈な人でした。

今日の早朝にその知らせが届いてから、私を取り巻く世界が少し変わりました。その人の魂は肉体を失ったためにある意味で物理的には私と距離がなくなり、そして魂は非物質として常に私の周りにいるのかもしれない、と考えるようになりました。今日一人で出かけたハイキングトレイルで、青い空を見て、白い雲を見て、緑の木々を見て、木々の間を走り抜ける風の音を聞いて、もしかしたらその人はそこにいるのかな、と思う私がいました。

今朝電話で話した友人は若くしてお父さんを亡くしておりますが、彼女が「親からは死んでからも教わることが多い、というのは本当よ」と私に言いました。確かに私が祖母から教わることはこれからもまだまだある、と一人で山を歩きながらつくづく思ったのでした。そして一生私の自慢の祖母であるということも変わりない、とも。

こんなプライベートなことをここに書くのはどうかな、とちょっと悩みましたが、私の思いを形として残すことにしました。読んでくださった方、お付き合いいただきありがとうございました。

おばあちゃん、おじいちゃんにはもう会えたかな?

5 件のコメント:

  1. 写真を使ってくれてサンキュー!嬉しいわ♪
    あとおばあちゃまついにだったのね。ちかちゃんの想いもステキな文書でつづられてて共感できました。私もおばあちゃんが亡くなってすぐのころは、今見てるかなぁなんて思ったことがよくありました。

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  2. そっか、おばあちゃま、ちかちゃんのより近くに来てくれていると思うよ。今は。
    日本で桜が満開のこの頃にかぁ。
    春だし、桜満開だし、おばあちゃまの旅立ちなんだよね、ほんとに。
    何いってるかわかんないね、私。

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  3. Chika,
    That unique cloud seems symbolic of your bachan's presence and watching over you.
    Mama Papa

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  4. 優しいお言葉をありがとうございました。2日間1人静かに過ごしたおかげで心の整理も大分つきました。本当に偉大な祖母でした。

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  5. 満開の桜が終わり、キレイに散っていく桜吹雪を見てなんだかおばあちゃんの旅立ちと重なりました。これから毎年、桜を見るとふとおばあちゃんのことを思い出すような気がします。偉大なおばあちゃんだったよね。1月に2人で別府に行った時のおばあちゃんのいい笑顔、忘れられないな。

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