ところが予想に反して肺炎疑惑は晴れました。「とにかく週末は休んでください」と言われ、元々の予定を変更してケヴィンとカリーナだけにケヴィンの両親の家に1泊2日で行ってもらうことにしました。
土曜日の夜。早く寝たいのになぜか目が冴えて眠れず、「今週昼間に結構寝ていたので、寝過ぎで眠れないのだろうか」と思いつつも、夜中の1時頃にやっと眠りに落ちました。ところがウトウトしていると、緊急車両がサイレンを鳴らしながら数台続き、ハッと目が覚めて心臓がバクバクしましたが、また眠ろうとしたところ、さらに数台通過。「こんな時間に交通事故?病気で寝ようとしているのに全くついていないなあ」と時計を見ると午前1時52分。今度は外が騒がしくなってきたので起き上がって確かめることにしました。
すると、家の周りに緊急車両がうじゃうじゃいる(唖然)
ブラインドを開けてびっくり(この段階では何も知らず、 留守だったケヴィンのためにとりあえず写真を撮ってみた) |
以前「囚人が逃げ出して山方面に逃げた」という事件があった時もこんな感じに道を塞がれたので、何が起こっているか知っておいた方が良いと思い外に出てみることにしました。すると今度は天井の火災探知機が遠慮がちにピッ、ピッと鳴り出し(電池交換が必要な時にこの鳴り方をする)、「真剣に寝ようとしている時に限って、こんなことになって」と憤慨しながら電池を取り、玄関のドアを開けた瞬間、外で火事が起こっていることを匂いで知ったのでした。
外に出るとその火は隣のブロックの先のハイキングトレイルの辺りのようで、うちから歩いて5分くらいのところです。今回はさすがに避難させられるかもしれないので、荷物をまとめておいた方がいいかもしれない、と咄嗟に思いました。
うちの西側の道を境界線に、そこから西の家はその後1時間以内に強制避難となりました。翌朝には南側も避難地区に入り、私も夜のうちにまとめておいた荷物を車に一応積んでおきましたが、結果的に私は家にずっと残ることができてラッキーでした。約400世帯はそのまま翌晩も家に戻れませんでした。
あっという間に延焼範囲が広まり不安な夜を過ごしましたが、ほぼ徹夜明けの5時半過ぎに一眠りすることにしました。夜中どこかからやってきた人達が、うちの前に立って写真やビデオを撮りSNSに投稿する姿に呆れていましたが、朝もこんな状態(消火活動する飛行機を追っている)。この後この道は歩行者天国状態になります。
荷物をまとめる住民の横で火事を眺める野次馬や、レモネードスタンドを設置する家族の姿を見るのは気分が良くありませんでしたが、消火活動に当たる消防隊の姿には本当に有り難いと思いました。朝になって飛行機とヘリコプターの音が聞こえ始めた時どんなにホッとしたかは、野次馬にはきっとわからない気持ちでしょう。うちの近所の住民の間では、どうやって消防士さん達にお礼をすべきか、というメールが回っています。
TV局も最後まで取材です |
普段3月は最も降雪量が多い月なのですが、今年は全く雪が降っておらず前代未聞の乾燥度で、夏に山火事を心配する声が上がっていました。火事が発生した19日は110年前の記録を破り、最高気温が26.6度。この状態だと雷一つでいつ発火するかヒヤヒヤです。しかし、まさかこんなに早い時期に山火事が起こるとは思っていませんでした。
結果的に、74エーカーを延焼後鎮火されたこの山火事の原因ですが、禁止されているキャンプファイアーの火の不始末でした。
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