2022年2月22日火曜日

不運が続いた12月

12月は散々な目に遭いました。今となっては”不幸中の幸い”と思えるようになりましたが、3度目の災難に見舞われた時は「これは流石にヤバいかもしれない」と真剣に思い、キッチンから塩の袋を丸ごと取り出して我が家の敷地の四隅に撒きました。

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まず12月初旬に、後続車に追突されました。

相手はシボレーの頑丈なピックアップトラックで、私は小さなミニ(クーパー)クラブマンです。コロナ渦のサプライチェーン問題のせいか修理が混んでいるのだか知りませんが、未だ車は修理ができていません。

事故の直前、左折車線で数台の車が信号待ちをしており、私は多分3台目でした。青信号で左折した直後に私の前の車が道路右側の駐車場に入るために減速したので、私も減速しながら左に膨らんでそのままその車を超えて進むはずでした。が、そこに後ろからパーン!と衝撃が。

首がガクンと背もたれに当たった瞬間に「ぎゃっ!」と叫び、一瞬何が起こったのか訳がわかりませんでしたが、我に返って「ぶつかられたんだ!」と状況を把握しました。後ろを見ると、シボレーの女性も唖然としている様子でした。

車から出るとすぐにその人が「ごめんなさい」と言ったので、「じゃあ私は警察を呼びます」と冷静に対応できた自分に、今これを書きながら改めて感心してしまいます。

「おぉ.........」

ディスパッチャーに状況を説明すると、「怪我はありませんか?」と聞かれました。パーンという衝撃音のせいか耳鳴りはしていましたが、それ以外は平気だったのでその旨を伝えました。救急車は結構ですと言いましたが、数分後にパトカーが到着して、それに続き消防車とセットで救急車まで来てしまいました(^^;)

とても明るいお兄さん達3人が出て来て、「簡単に検査をしますか?断る権利もありますけど、これ無料ですから心配しないで」。アメリカはとにかく医療費が高いので、実は内心「これって後で請求来るの?」と心配していたのでした。

「今年は何年?」「今あなたが今いる街の名前は?」「大統領の名前は?」と矢継ぎ早に質問され、頭を押さえたり手足の痺れ等ないかと簡単な身体検査をしてくれました。「大丈夫そうだけど、私の目はレントゲンではないので、万が一体調が変わったらすぐ病院に行ってくださいね」と告げられ、彼らは立ち去りました。その時に、「その牽引棒のおかげで助かったね。この車、そのまま運転して帰れそうじゃない?」と言われてよく見ると、確かにその出っ張りがなければもっと潰れてガラスも粉々だったかもしれないなと思いました。

自転車用ラックを付ける牽引棒に救われました。

相手の車を見たら、頑丈なピックアップトラックの前は何のダメージはありませんでしたが、下の部分まるで判子のようにこの四角い跡がついていました、、、。

これがつっかえ棒の働きをしたらしい

1時間ほどで現場検証が終わり、相手の保険の情報もしっかりもらったので、レポートの紙切れ一枚ををもらって現場を去りました。車は普通に動きました。

もともとこの日に出かけたのは買い物のためでした。ショックで「今日はそのまま家に戻ろう」と現場を去りながら思ったものの、これじゃ事故に遭うために家を出たんじゃないかと思うと悔しくなり、やはりスーパーマーケットに寄ることにしました。事故に遭いたての時は、後ろがひしゃげた車を運転するのも駐車するのも、穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったです。

そして、2ヶ月以上も修理の順番が回って来ずに未だこの状態で走り回っており、まだ恥ずかしいですがそこまでは気にならなくなりました。この話をすると、やはりパーツが手に入らないとかコロナ渦の労働者不足の問題で、事故後に半年以上もレンタカーを使っている友人がいるというような話が入って来るので、それに比べれば私はラッキーな方かなと思えますし、何より幸運だったのはムチ打ちにもならず、土曜日の夕方にふと思い立って1人で出かけたので、後ろにカリーナが座っていなかったことだと思います。

今のところ、3月に入ったら修理をしてもらえる予定です。それが終わったらすぐに洗車したい。。。

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2つ目の悪運はその2週間後でした。家を出て1ブロック走ったところで、タイヤに異常があるランプが点いていることに気づきました。パンクでした。2016年からこの車に乗っているのですが初めてのパンクで、「まったくついてないなあ」と思いながらケヴィンにタイヤ交換に持って行ってもらいました。

その数日後のクリスマスイブに、ケヴィンと2人で車を取りに行きました。ケヴィンは乗って来た車でそのまま家に帰り、私は1か所寄る場所があり用事を済ませて家に帰りました。

家に帰ってガレージに停めて、帰っているはずのケヴィンがまだだったので、どこにいるのだろうと車内から電話をしながらリモコンでガレージのドアを閉めました。すると私の目の前でガレージドアがグラグラと左右に揺れ始め、ちょうどボンネットの上あたりで半分が歪み、明かり取りの窓が割れて粉々になり、上からガラスが車に降り注ぎ、ドスンと一旦地面に着地した後に30cmほどまた上がり停止しました。ドアはそのままロック機能が働いたのか、上にも下にも動かなくなってしまいました。

「ぎゃあ〜」と私が叫ぶのをケヴィンは電話の向こう側で聞き、「どうしたの?!大丈夫?!」

この状態で9日間のロードトリップに出ることに
目張りと下に詰め物をした直後の内側の様子

ガレージ内と外側に飛び散ったガラスを掃除しながら、衝撃の余韻と車絡みの3連続の不運に意気消沈しつつ「これはマズい」と思い、家に入ると同時に塩の袋を取り出しました。

実はその数日前に、追突事故とパンクのことを日本人の友達に話したら、「ガレージの前と敷地の四隅に塩を撒け」と言われていたのですがやっておらず、もしあの時にちゃんと言うことを聞いていれば3度目の災難には見舞われなかったのかなとも思ったのですが、すでに時遅し。

暗い気持ちを引きづりながらのケヴィンの両親も含めた家族でのクリスマスディナーは、自分で作ったドライ・マティーニのがぶ飲みから始まりました。続いて2杯目のワインを飲む頃には少し気持ちが軽くなり、「ガレージを、ドアの横の壁にあるスイッチで閉めていなくて良かった」と思えるようになりました。ガラスの破片はボンネットの上だけでなく、かなりの広範囲に飛び散っていたのです。そこに自分が立っていたことを考えると😱

ケヴィンが上の写真のように、ガレージの隙間を埋めてくれました。次の日からアリゾナに向けてロードトリップの予定でした。その数日後に大風の予報、その翌日は雪の予報だったので心配だったのですが、近所の人に詰め物が飛んでいないかを確認してもらうことにして、予定通り9日間の旅行に出かけました。

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そして大風の予報だった12月30日、ボールダー市の南端で大規模な原野火事が発生しました。風速50mの風に煽られ火はあっという間に近隣の2つの市まで燃え広がり、住宅約1080棟と150の商業建物が焼けてしまいました。その火の広がり方は想像を絶するスピードで、1分間にフットボールフィールド1つ分が焼けるという速度だったようです。3万5千人が避難をし、消失した住宅街を復元するにはコロナ渦でなくとも最低2年はかかると言われており、長い道のりになりそうです。


この映像の始めに出てくるコストコは、私がいつも行く車で15分離れた隣街の店舗で、たまたまこの中に日本人の友人がいました。彼女が映像の如く避難後にアリゾナにいる私に連絡をくれて、火事のことを知りました。このエリアには4家族の友人が住んでおり、残念なことに2家族が全てを失ってしまいました。

我が家はBoulderと書かれた辺りです
                                                                              Reuters
空港からボールダーに戻る途中の友達の写真
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上と同じホテルの焼け跡
信号待ちの間に撮影  2.11.22

コストコの裏の住宅街だった場所 1.24.22
友人の家もこの中の一軒でした

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たまたま火事の発生直後に現場を通りかかった知り合いが2人おり、両方とも群の消防隊とディスパッチャーの連携の悪さを指摘していました。両方ともすぐに通報をしたようですが、その時街の北側でも別の山火事が起こっていたせいか、こちらの方は森林ではなく原野だったせいか、「ああ、わかってます」という返事をされて、なかなか消防車が到着しない間に火が広まったと怒っていました。

上の地図でもわかるように、ボールダー市はロッキー山脈の山麓の街で、街の西側に位置する山側で火事が発生することが殆どで、我が家もワンブロック先で山火事が発生するという経験を5年前にしています。その経験後、いざという時のためにグリーンカード等大切なものを1つの鞄にまとめて、すぐに持って逃げられる準備をしていますし、銀行に金庫を借りて重要な書類や貴重品はそこに保管している隣人もいます。

今回被害にあった人たちは今まで山火事とは縁がない人々だったので、なんだか私たちの身代わりになってもらったような気がしてしまい、アリゾナから家に戻った時にまるで生存者の罪悪感のような気持ちになりました。友人たちの間でも「明けましておめでとう」と言う雰囲気はなく、なんとも悲しい年明けとなりました。

とても長い話になりましたが、12月に私の身に降りかかった不運は、この火事で被害に遭った方々に比べると大したことではないと言う結論に至りました。原因は未だ調査中ですが、大きな意味で地球温暖化の影響は否めません。

<付け足し>

大風当日の我が家の前庭の写真を、近所のおばあちゃんが撮っていました。彼女は私達が留守とは知らず、写真を撮っただけだったそうで、誰かが全部元に戻してくれていました。近所は全員旅行中だったので、未だに”グッドサマリタン”は誰なのか謎のままです。


普段の様子:これが全部バラバラに飛ばされていました

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