2021年2月19日金曜日

山籠り

昨日の朝雪かきをしようと外に出て
この景色に見とれてしまいました


今年は暖冬ですが、最近それなりに雪が降るようになりました。

先週末からアメリカ各地は大寒波に見舞われていますが、ボールダーも今年の最低気温を記録しました。ここはテキサス州と違って冬の間パイプが凍らないような構造になっているので、大惨事に至ったという話は聞いていませんが、去年ダラス近郊に引っ越した友人一家は、2階のパイプの水漏れから始まりその後天井が崩壊するという悲劇に見舞われてしまいました。


テキサス州の問題として指摘されているのは、電力網がその他の地域と完全に切り離されている点で(ありがちな政治と金絡みの話)、近隣州からの電力供給を全く受けられなかったことが被害を更に深刻にした、と批判されています。ウォール・ストリート・ジャーナルは、この災害は政治の産物だという社説を出しています。それに反してフォックス・ニュースは、ここぞとばかりに不安定な風力発電(グリーンエナジー)への依存が問題だと指摘し、バイデン政権の気候変動対策を攻撃しています(うんざり)。

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話はコロラドに戻り、先週末はここの学区は4連休でした。

我が家は予定通りスキーコンドがあるウィンターパークに籠っていたのですが、今回の大寒波は山間部よりもボールダーを含む山麓の方がひどく、実は山の方が気温が高い週末でした。その直前に、ウィンターパーク・リゾートの若い従業員の間でコロナのクラスターが発生し、それが大々的にニュースになった為みんなに避けられたようで、普段はシーズン中最も混むこの週末が閑散とした状態になっていました。

このクラスターですが、どうやらルームメート同士が規則に違反して仕事後に連んでいたのが原因だったようで、リゾート自体は安全で、ケヴィンによるとリフト乗り場で働いている人達はみんなおじさんだったそうです。リタイアした人達が狩り出されたのでしょうかね?

コンドから出てしばらくすると山道があり
そこが私の長年のお散歩コース

情けないことに、私は連休初日の朝に冷蔵庫の一番下の段の引き出しに入っているものを確認している時、腰がグギッといってしまいました。嫌な予感がして、酷くなる前に何とかしようとできることをしてみましたが、久しぶりに重めのぎっくり腰になってしまい、完治するのに丸5日かかりました。

たまたまカリーナも、前日に体育で縄跳びをしている時に足首をひねって痛がっていたので、その日はケヴィンだけ好きに滑ってもらうことにしました。じっとしているのも腰に悪いかなと思い、午後は2人で散歩にいき、その後街に歩いていき買い物を楽しみました。

時にはのんびりするのも悪くない

しかし翌日痛みは悪化し、2日目は私だけコンドに残ることに。たまたま手に入った刺身用サーモンがあったのでカルパッチョを作り、夕食はコロラド産ライチ味日本酒と合わせてみたらなかなか美味しかったです。

これで温泉があったら完璧

3日目は山間部も気温がマイナス18℃まで下がったので、その日は家族でお休み。

カリーナとケヴィンは、たまたま同じエリアに来ていた友人達と、チュービングというタイヤに乗って雪上を滑走できる施設に行ったのですが、そこは激混みだったようでコロナの心配もあり断念。そのままコンドの近くの林間でそり滑りをすることになったものの、ほどなくして一家族の父娘が転倒し、両親が泣き続ける娘を心配してそのまま病院へ直行し、レントゲンを受けさせるという事態が発生。結果的に事無きを得ましたが、そり滑りを提案したのがケヴィンだったので、しばらく心配しました。

たまたまケヴィンは凸凹なコースをもっと踏み固めようと、車にスノーシューを取りに戻った最中だったようで、戻って様子が急変していてびっくり。その父娘の様子を観ていたカリーナは、「ミラが『こっちがいい!』と言い張って、いきなり急な方にお父さんと行っちゃって、左にぶつかった後バウンドして右にぶつかって、そりがひっくり返っちゃった」と証言。

このエリアのそり滑りの動画を2年前に載せています。これよりはかなり急な坂だったらしいです。

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4日目の朝、前屈はできるようになったものの、まだ立ったままブーツの調整は無理かなという状態だったので、諦めてまた1人でコンドに残ることにしました。その日は別の場所に散歩に行きましたが、新たなトレイルを見つけて気に入ったので、これからはこっちに向かって歩こうと。

15年もコンドに来ていてこのトレイルを知らなかったなんて!

クロスカントリースキーを楽しむひと組+可愛い犬に出会った以外は誰もおらず、1人で考え事をするのに打って付けの道でした。何を考えていたかというと、老後は日本とコロラドの比率をどうするか。春と秋はできたら日本に居たいなと思い、冬もコロラドは寒いから日本の方がいいかな?と思いつつ、静かな雪の中をこうやって散歩する年老いた自分も想像できるかなと思ったり。6月〜9月は確実にコロラドに居ると思いますけどね。


2021年2月9日火曜日

だから日本で女の子を育てるのは大変だと思う(溜息)

ネット上では「#わきまえない女」という、思わず「お見事!」と言いたくなるハッシュタグ付きで、様々な意見や経験が飛び交っているようですね。張本人は謝罪をして発言を『撤回』しましたが、日本社会で今まではびこってきた男性の意識がうっかりと世界に向けて発信されてしまい、ジェンダーギャップ153カ国中121位の現実の氷山の一角を、世界に見てもらう良い機会になったのではないかと、私は個人的に思っています。

批判が収まらないのを見かねたIOCが、9日に改めて声明を出したようですが、当初あっさりと「この問題は終了したと考えている」と発表した点には私は首を傾げました。オリンピックには、恐らく目に見えない様々な利害が複雑に絡まっているのでしょう。

いつもの癖で「どうせ上は何も変わらないのだろうな」と思っていたので、その後何百人もの五輪ボランティアが辞退したという報道を見て、そういう形の抗議に一筋の光を見た思いです。しかし、この失言に続く失言。空気が全く読めていないどころか、読む気すら見えない。今までそれが容認されてきた社会構造、そして差別を温存する笑い声を想像し、そんな中で頑張っている女性議員や委員の方々に心から同情します。

悲しいことに私のような一般的な中年女性が若かった頃は、当時インターネットがなかったこともあり、不公平を感じつつもそれに立ち向かうよりも、むしろ無駄な労力は使わずに、男性を適当に引き立てて自分達ができるだけ損をしないように立ち回る、もしくはそれを逆手に取る、という処世術を身につけてしまいました。しかし今回のようなケースを見ていると、「もしかすると何かが動くかも?」という淡い期待が湧いてきました。

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何年か前にこちらのNPRというパブリック・ラジオで、ゲストスピーカーが日本についての話をしていて、その中で「現在日本における男女格差は、まるでアメリカの1950年代のようです」と言っているのを聞きました。

1950年代って一体どういう時代?

思いつくことは、朝鮮戦争と戦争特需、小津安次郎の「東京物語」くらいしかなかったので、試しに「1950年代の流行」を検索してみました。

1950年:ビニール・レインコート。ブレザージャケット。ネッカチーフ、チラリズム。

1951年:第1回NHK紅白歌合戦(ラジオ)。LPレコード。ソフトクリーム販売。

1952年:カブ[ホンダ]販売。流行通信が創刊[日本織物出版社」。国会中継の放送開始。公衆電話が登場。鉄腕アトム連載。

1953年:テレビ放送スタート。「おこんばんは」トニー谷。オロナイン軟膏。お茶づけ海苔。 NHK紅白歌合戦 。クリスチャン・ディオール来日。 日本初のスーパーマーケット紀伊国屋開店。

1954年:第1回モーターショー 。サブリナパンツ。ゴジラ公開。

1955年:高度成長期突入。「三種の神器」電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョン。歌声喫茶。

1956年:シンタロー刈り。太陽の季節(石原裕次郎・日活)。ケ・セラ・セラ。

1957年:ホッピング(玩具) 。犯罪専用電話「110番」が全国に拡大。

1958年:東京タワー完成。即席チキンラーメン。缶コーヒー発売。日本初のバイキングレストラン。月光仮面が放送。「イカす」。

1959年:カミナリ族。タフガイ。トランジスタ・グラマー。第1回日本レコード大賞開催。週刊少年サンデーと週刊少年マガジン創刊。

ちなみにアメリカの方は、市民権運動、マッカーシー上院議員の赤狩り、音楽ではエルビス・プレスリー、映画ではジェームス・ディーン、アラスカ州とハワイ州の誕生、といったものが並びます。

....日本女性の社会的地位って、この時代のアメリカ並?!....

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日本を出て21年、カリーナが生まれてから10年。アメリカとイギリスで生活し、子供をアメリカの公立の学校に通わせる中で、ずっと当たり前だと思っていたことが実はそうではないということが結構ある、ということに徐々に気づき始めました。

私が公立の学校教育を受けた昭和50年代から60年代は、学校で出席を取るときは男子から始まり次に女子という順番でした。卒業証書を受け取る時なども、まずは男子そして女子が続いたのだと思います。

→思えば、小学生の時点で「男子の方が女子よりも立場が上だ」という意識が、私の中に自然と芽生えていた気がします。それはつまり洗脳ではないでしょうか?

中学高校になると、女子が家庭科をやっている時に男子は木工をしていたり、男子が柔道をしている時に女子はテニスをするというように、男女が分けられることが増え、男性らしさと女性らしさの押し付けが更にはっきりしてきました。(*どうやらこれは63年に改定されたらしく、現在は男子も家庭科を、女子は技術の授業もあるようで何よりです。)

→高校1年生の時に、学年全体で2泊3日で浅間山にキャンプに行った時、男子に重いまな板やキャベツを運ばせ、横でふざけて遊ぶ男子を横目に女子がカレーを作りました。今の私なら自分でまな板を担ぎ、男子にも料理を手伝わせます。

大学生になると、サークル仲間でスポーツ観戦等の恒例のイベントがある時は、場所取りをする男子のために女子がお弁当を大量に作って持っていく、ということが慣例になっていました。

→そこで女子力を発揮する先輩達の姿を見て、年上のお姉様方は素敵だなと思う自分がいました。

これが社会人になると、総合職と一般職の区別化、職場でのお茶汲みや給湯室の掃除当番は女性社員にしか割り当てられませんでしたが、それを当たり前と思い「男性も当番に混ぜて欲しい」ということすら考えたことがありませんでした。

→ロンドンで働いたオフィス2ヶ所では、男性が自分でミルクティーをいれていました。

東京で私がいた場所は女性が多い職場で、社内での地位こそは低かったものの、ある程度の仕事を任されて課を上手く回していました。時々顧客からクレームがあり「(女の)お前じゃ話にならないから上司を出せ!」(←上司が男という前提)と言われた時は、問題が上司のところに行く前に体を張ってなんとかここで解決させようと、同期の男の子を上司と偽り電話口に出して危機を乗り越えたものです。「本当に馬鹿にされているよね」と同僚と憤慨しつつ、仕方ないと諦めていました。

蛇足ですが、「これももしや差別的ではないか?」と思い始めた日本文化の1つ、それは夫婦茶碗のサイズです。調べてみると由来は江戸時代の「決まり採寸」のようですが、これも「女性は弱い」という文化の現れではないかと思いませんか?どこの文化で男女の皿のサイズが違うのか、もしそういう国があったらどなたかぜひ教えてください。

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’86年夏から1年間アメリカの高校に留学しました。ホストファミリーにお世話になりながら、外国人なんて滅多に来ない田舎の学校に通いました。そこでの数々の驚きは今でもたくさん記憶に残っていますが、まず感心したのは学生達が学年・男女分け隔てなくいい感じに混じり合って学生生活を送っていることでした。日本語のように敬語の使い分けが難しくない英語の特徴でもありますが、生徒が先生に対して同等の言葉づかいで遠慮なく意見を言い、優秀な生徒が時々先生を言い負かしている姿にも驚きました。

そんなカジュアルな雰囲気の中でもいざという時、例えば時々ある学校のダンスパーティーや、ホームカミング、プロムなどの大イベントでは、男子が女子を紳士的にエスコートする姿も印象的でした。

生まれて初めて女性のスクールバスドライバーを見たことも、私にとっては衝撃的なことでした。

大人になってこちらに移住してから有り難く思うことの1つは、女医が多いことです。我が家のファミリードクターはずっと女医さんですし、妊娠中にお世話になった産婦人科も4〜5人の先生でクリニックを回していましたが全員女医。帝王切開をしてくれたのもそのうちの1人でした。一昨年五十肩でお世話になった外科医や、時々行く内分泌科の先生もみんな女性です。

日本では小学生から社会人まで、健康診断の時にずっと上半身を裸にされていましたが、こちらに来てからあれはセクハラだったということを悟りました。アメリカ人の女医さん達は、聴診器を当てる時に誰もそんなことをしないからです。カリーナにそんな話をしたら、目を剥いて驚くことは確実です。そんなことからも、こちらの子供達は小さい頃から自然と女性の権利を学んでいるのです。

アメリカでもそれなりに女性出世の妨げになる壁というものは存在し、最近日本でも聞く表現ではないかと思いますが、それはグラスシーリングと呼ばれています。それでも私くらいの年齢になると、会社でエグゼクティブのポジションで活躍している女性の友人も少なくありません。

やや話は逸れますが、ある日本人の友人が、20年以上昔に同僚に「あいつは女のくせに俺より多い給料をもらっている」と言われて、彼女が上司にあまり深く考えずに「あの人が私をビッチと呼びました」と言ったら、その同僚は速攻でクビになって驚いた、という話もあります。

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私の母は、「鉄の女と呼ばれるサッチャーさんのように、強い女になりなさい」と、よく言っていました。NHKの放送終了時に流れるこの映像(検索したら出てきてびっくりです)を見ながら、「日本はこんなに小さな国だから、将来広い世界を見に出て行きなさい」というような要旨のことを言われたことも覚えています。(←幼い頃、父が出張で留守の時は遅くまで起きているのを許されて、嬉しかった記憶があります。)男兄弟もおらず、家の中ではジェンダー格差を全く感じないでそんな母に育てられたことは、今考えると幸運だったと思います。

アメリカ同時多発テロ事件の後、私はケヴィンに「チカは怖いから『奥様・ビン・ラディン』だよ(上手い!😂)」と命名されてしまい、しかも今や私に加担する娘まで増えてしまいました。強い女と怖い女の違いは教えないといけませんが(汗)、カリーナには私よりも強くて、どこに行っても女性のわきまえなんて気にせずに、堂々と生きていけるような人間に育って欲しいと切に願います。


2021年2月4日木曜日

いまだに続く野ネズミとのイタチごっこ

10月から続くネズミの話。昨晩久しぶりに捕まえたので、今朝散歩がてらに小川まで歩いて行き放そうとするものの、なかなか出てこない😂


ネズミ捕りがまるでお家のようになってしまい、いくら振っても出てこないので、静かに置いて自発的に出てきてもらうことにしました。


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最近またネズミが活動的になっており、家の中に潜んでいるのはわかっていたのですが、なかなかネズミ捕りにかからずにいました。しかし土曜日にダイニングルームに座っていると「ガリ、 ガリ、、、」と音がするので何だろう?と思い、一瞬上でハムスターが運動している音が振動しているのかと思ったのですが、「あ、ネズミかも(恐怖)」と家族の動きが凍りました。

カリーナが「ここ!」と引き出しを開けると、、、おお〜糞だらけになっている(涙)一体こんなところに何を食べに来たのだろう?と見ると、驚いたことにキャンドルを食べられていたのでした。しかもアルミの部分まで食べちゃって、小さなカラダは大丈夫なの?

引き出しを抜くと、壁とその空間の間に小さな隙間があり、そこから出入りをしていた様子。人がまだ起きている時間帯に活動するなんて、相当飢えていたのだろうかと思ったり。


またもや中身を空っぽにして、入っていたものを消毒するという作業をする羽目になりました。お陰で不要なモノを半分ほど捨てられてスッキリしましたが。
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その晩、ネズミ捕りに普通のネズミのベイト剤をつけて、空の引き出しの中に置いてみたのですが成果はなし。3日経過しても何も起こらないので、もういいかと匂いがするものがなくなり整理された引き出しを戻した晩に、悔しいことにしっかりと戻って来ました。「キャンドルの匂いがまだ残っていたか...」と言いながらまた中身を消毒する羽目に(溜息)

ケヴィンが「この野ネズミたちは甘いものが好きだから、今晩はチョコレートチップを置いてみる」と仕切り直したところ、思惑どおりそれを食べに戻って来ました。

秋から何度も掃除や消毒に時間を費やしていますが、上のビデオを見るとやっぱり可愛くて殺せない😅ネズミ捕りを持って小川まで歩いている時に、昨日ハイキング中に見た鷹を思い出し、「あそこに放したら一発でやられるんだろうなあ」と思い、それをケヴィンに話すと「他の家で普通のネズミ捕りで即死はかわいそうだけど、食物連鎖だったら仕方ないかもね」

うーん、せっかくここまでして生かしてあげたから、うちには戻って来て欲しくないけど、できるだけ長く生き延びて欲しい、、、。

ここに放したら一巻のお終い😇
よく見える目で小動物を探しているんだろうなぁ、と思っていたところでした