ラベル Stories の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Stories の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年3月21日金曜日

生まれて初めてすっぴんで電車に乗った日(2)・・・ショック!

振り返るとそこに立っていたのは、見知らぬ男女2人組。札幌のテレビ局のカメラマンとレポーターでした。なんと街頭インタビュー(呆然)。

国際結婚についてのインタビューに応じて欲しいというのです。

「私、声が出ないのですけど・・・」とかすれた声で言いつつ(私、化粧していないんですけど)と内心は大焦り。しかし、ケヴィンはやりたいだろうな〜という思いに負け、「じゃあ、うちの夫に喋らせますから」と承諾。先を歩いていたケヴィンを呼び状況を説明すると、「えっ☆」と彼はうれしそうに戻って来ました。

ケヴィンのうれしそうな顔と
すっぴんでカメラを見られない私 
(母撮影)

「では、はじめます」と録画開始。私は顔をできる限りカメラから背け、なんだか機嫌が悪そうな妻、カリーナも名前と歳を聞かれても、プイと顔を逸らして何も答えられず、全然かわいくない。

しばらくすると、カリーナは「降りたい」と言い、私の両親のもとへ走り去りました。5分程度と言われたインタビューは、ケヴィンがペラペラと喋るのでどんどん長引いていきます。「奥さん、声が出なくて申し訳ないですが・・・」と、何度か質問をされつつこちらにもカメラを向けられても、化粧をしていないので(顔が黒光りしているんじゃないか)とか、(睫毛がひさし状態だ〜)ということばかりが気になり、返事に切れがない私。そしてしばらくするとカリーナが私の横へ走りより、大声で「マミー、うんち出た!」。

***

これで初めて知ったのですが、3月14日は『国際結婚の日』だそうです。1873年、日本人と外国人の結婚が公式に認可されたのを記念して定められたそうです。この日はケヴィンの誕生日でもあります。

とういうことで、このインタビューは、札幌某ローカル局の朝の番組用でした。あえて北海道の両親にもリマインドしなかったので、誰も14日にその番組を目にすることはなかったのですが、果たして約10分間のインタビューの一部は使われたのか?

あまり印象に残る質問はなかったのですが、わずかに覚えている質問の内容はこんな感じでした。

*外国人男性はジェントルマンだと言われるが、本当にそうか?
*日本人女性は、結婚前に付き合った日本人以外の女性と比べてどうか?
*国際結婚のメリットとデメリット

***

よりによってなんでこんな日に・・・。化粧をしていたら、もっと喋りたかったです。


2014年3月18日火曜日

生まれて初めてすっぴんで電車に乗った日(1)・・・ショック!

これから少しずつ、過去3週間の出来事を順番にまとめていこうと思います。

***

先月末から約1週間北海道に行っていました。出発する直前に、大分生活のリズムが普通に戻り、1人で近所のバーに行ってみたり、友達に連続で会って喋り続けたりしていたら、喉の調子がおかしくなってきました。

以前にも何度かあったのですが、私は疲労(と喋り過ぎ?)のせいで、声が出なくなってしまうことが時々あるのです。初めてそうなったのは、高校受験が終わった直後の15歳の春で、最悪のタイミングだったのは妹の結婚式の時でした。

出発した日はどんどん声がかすれて来て、夜ホテルにチェックインする時にはかなり苦しい状態になっていました。

***

その晩は新千歳空港到着が18時半だったので、そのままターミナル内のホテルに泊まりました。あの空港は「世界で一番楽しい空港」と私とケヴィンが贔屓にしている空港で、おいしい食事や楽しい買い物もまとめてできるので便利です。ケヴィンは「東京から1泊2日で、この空港だけに遊びに来てもいいくらいだ」と目を輝かせて喜んでいました。

新千歳空港は数年前にリニューアルされ、ターミナル内に温泉施設までできていました。エアターミナルホテルに泊まるとその施設が無料で利用できるということで、ケヴィンは夜に出かけて行きましたが、私は声が出なくて余計な体力を使って疲れていたので、早目に休むことにしました。

***

翌日は、昼前に両親と札幌市内の寿司屋で落ち合うことになっていました。ケヴィンが「チカも絶対あの温泉に行くべきだ。カリーナは見ていてあげるから」としつこく言うので、どっちでもよかったのですが無理して行くことにしました。行こうと思った時間帯がちょうど清掃の時間にあたり閉鎖中だったので、10時のオープンと同時に風呂へ行き、10時49分の電車に乗らねばいけないという強行軍になってしまいました。

出てくると10時20分でした。どう考えても化粧と髪の毛を乾かす両方は時間的に無理だったので、化粧は省略する羽目になりました。10時半にケヴィンとカリーナを先に駅へ向かわせ、私は走ってコインロッカーに行き預けていた荷物を取り、更に駅まで走り、予定の電車に乗り込みました。

***

電車に揺られながら、「ああ、すっぴんで電車に乗るなんて生まれて初めてだぁ」と衝撃を覚えつつ、「まあ札幌だし、お寿司を食べるだけだし」と自分を納得させていました。札幌に到着し、両親と合流して食事をし、大通りと札幌駅がつながった地下道を駅に向かって家族で歩いているその時、「すみません」と不意に背後から誰かに呼び止められました。

それは一体誰だったでしょう?


(つづく)

2011年11月23日水曜日

感謝祭直前。声が出ない私。そして、、、

明日は感謝祭です。私が1年で一番好きなホリデイです。

今年はケヴィンのお父さん側の親戚一同が住んでいる街、ブエナ・ビスタでお祝いをすることになりました。おじいちゃんが今年で90歳になったので、最近はできるだけ親戚一同が集まる機会を増やしているのです。我が家での感謝祭ディナーは土曜日となりました。こちらはケヴィンの両親と私の母、そして私達3人とアシャでお祝いです。

そんな重要な時に声が出なくなってしまいました(涙)。先週から風邪をひきそうになりつつ持ち直し、という状態だったのですが、一昨日の夜から喉の調子がおかしくなり、昨日の朝からついに囁き声しか出なくなってしまったのです。すごく不便。

私は普段は滅多に風邪はひかないのですが、あまりにも疲れが溜まると喉にくるタイプのようです。前回こうなったのは6年前の妹の結婚式の時でした。あの時は日程の関係で5週間日本に滞在。妹の結婚式はアメリカに帰る数日前で、それまでに予定を詰めすぎて遊びすぎ、妹の晴れの舞台で私は寡黙の人になったのでした。

その前にこんな状態になってしまったのは、15歳の春、高校受験が終わった直後でした。あの時のストレスレベルは並ではありませんでした。

そしてもう1つ私を襲った症状は、、、円形脱毛症!

実は1ヶ月程前に髪の毛をばっさりと切りました。ついにボールダーに日本人ヘアドレッサーの方が引っ越して来たのです。その方がとても上手で、かなりいい感じに切ってもらいました。ヘアカット後に後ろ姿を鏡で眺めて満足しつつ髪の毛をいじくり回している時に、10円玉サイズのハゲを発見。以前東京でのOL時代に極度のストレスで円形脱毛症になったことがあったので、見つけた時はあまり驚きませんでした。99年の時は同時多発で、頭のてっぺんとサイドに2カ所。今回は見えない後ろ側に1カ所なので、まだいい方か、と。

ところが一昨日、久しぶりにそこを見るとハゲが500円玉サイズになっていてぎょっとしました。母に「実は円形脱毛症なの」とその部分の髪をはらりとよけると、母も仰天。「子育てのストレスじゃないの?ケヴィンに言ったの?」と心配する母を見て、急に不安になりました。Googleで調べてみると、『境界線のところの髪の毛を引っ張って抜けるようなら進行中』と書いてあり、試しに数回引っ張ってみると合計5本髪が抜けてショック!声が出なくて調子もよくなかったので、昨日の昼間はそのままふて寝をしました(カリーナの面倒をみてくれる母がいてよかった)。

そんなわけで、8ヶ月間数日を除いて夜通し寝ていない生活のつけが回って来た状態の私。円形脱毛症についていいアドバイスがある方、コメントかメールをください〜。いずれにせよ、HAPPY THANKSGIVING!

ハゲが潜む新しい髪型

2011年11月14日月曜日

スーツのズボンを翌日届け

なんだかまずいなあ・・・と薄々感じていましたが、やっぱりまた始まりました。忙しくなるといつもこうです。ケヴィンの忘れ物。

今月のケヴィンのスケジュールは感謝祭の週まで出張の連続。シカゴ、ダラス、タンパ・ベイ、NY、ラスベガス、サンフランシスコ、NY・・・と飛び回り、2週連続で休みは土曜日だけです。私とカリーナは母子家庭状態(でも運良く明日から日本の実家の母がやって来ます)。

始まりは、金曜日に出張用の会社のAmexカードを空港近くのパーキングに忘れて帰って来たことでした。私と電話で話しながら清算をしたら、そのまま受け取り忘れてしまったようです。でも、昨日ラスベガスに行く時にちゃんと受け取ったようなので、これは解決。

次は昨日の夜。ラスベガスのホテルに到着後、家に電話がかかってきました。その前に補足しますと、彼は出発直前のパニック・パッキングが常で、その理由は早く荷造りをするとスーツやシャツが皺になるから嫌なのだそうです。昨日もいつもの例にもれず、出発ぎりぎりに大慌てで荷造りをしていました。しかも、私に紙とペンを持ってその横に座らせて、自分の留守中に私に手配をしておいて欲しいことを言いつけていたのでした。私がぼけた質問をすると、気が短い返事が帰って来てこっちもイライラ。5泊6日分の荷物を機内持ち込み用のスーツケースに無理矢理詰めたので、スーツケースははち切れんばかりにパンパン。

そして、ホテルからの電話。「ケヴィンのクロゼットにちょっと行ってみて」(↑日本語で話す時、自分のことを名前で呼ぶガイジン)。何だろうと思いつつクロゼットに行くと、なんとそこに持って行くはずだったスーツのズボン2本がかかっているではないですか!あーあ、、、。まあ、あのパンパンのスーツケースには入らなかったけど、、、。

結局ズボン2本は、今日FedExでラスベガスのホテルに向かって旅立っていきました。

昨日お客さん達と接待ディナーの時に、出張の時の忘れ物の話で盛り上がったそうです。ケヴィンは以前NYにスーツ用靴下を忘れて、夜唯一開いていた土産物屋で『I♥ NY』ソックスを買い、翌日ミーティング先で足をくめなかった、という話がありますが、昨日聞いた話は結構おもしろい。

その人はカジュアルな服装で出張先に行き、革靴を持って行くのを忘れてしまったそうです。やはりNY。到着が夜遅く、ミーティングは早朝。悩んだ挙げ句、コンセルジュに靴を貸してくれと懇願したそうです。結局コンセルジュは貸してくれなかったけど、ホテル内のほかの従業員に借りて一件落着。

忘れ物ではないけど、出張先で困った話。いきなりスーツのズボンのお尻の部分が裂けてしまった人。トランクスが見えるくらいの状態だけど、すでに出先でどうにもならず、ミーティング中お客さんにお尻を見せないようにずっと壁側に背を向けるはめに。

電話で聞いていて結構笑えたけど、やはり今までに聞いた最悪の話はもとお向かいさんだった人で、今でもいい友達の話。ワシントンDCに出張に行き、そこでスピーチをしなければならないという日。目的地に向かいながら密かにオナラをしたら、なんとオナラ以上のものが出てしまった、、、。DCでトランクスを探し求めたという話。キョーレツです。

2008年11月13日木曜日

水玉模様の家

なんだこりゃ?という感じですが、我が家は約2ヶ月間部分的に水玉模様の家でした。日曜日にペンキ塗りをし、やっと元の状態に戻ったところ。

ここを買って早8年以上。このタウンハウスは突貫工事で作られたのか、断熱材がほとんど入っていなかったようで、冬はまるでシベリア状態。人一倍寒がりの私は常に手足が凍りつくような状態で、私ほど寒がりでない友人達も我が家に来ると「寒い~」と悲鳴を上げていました。家を出たら外のほうが暖かい、なんてことも。

そしてついに今年の夏、壁に穴を開けて断熱材を壁と壁の間に吹き込んだわけです。その成果の大きかったこと。家の中がやっと普通の家並の温度に。夏も熱を遮断するようで、例年より2階が暑くならないし、更に外部の音を遮断するというおまけつき。こんなすばらしい投資はない、と大喜びの私達。

しかし、そこへ我が家を襲った悲劇とは・・・。「ケヴィン梯子ごと転落」の巻。ちょっと前の話になりますが・・・。

見にくいのですが、正面一階の小さな窓の上にちょろりと屋根があるのが見えますか?ケヴィンがそこへ梯子をかけてペンキ塗りをしていたところ、ずるりと梯子が後ろへずれ、梯子ごとうつぶせ状態で地面に叩きつけられてしまったのでした。もちろん、缶にたっぷり入ったペンキごと、です。私が帰宅した時は、手から血を流しながら必死になってウッドデッキ中にこぼれたペンキを水で流していた彼。一瞬何が起こったのか全く理解できなかった私もその後状況を把握し、タワシを持って応戦しました。

そんなことがあってから2ヶ月。選挙が終わりログキャビン作りも落ち着いた先週末、やっと残りを塗る気になったようです。それにしても、大怪我しなく本当にラッキーでした。あと、アシャがこぼれたペンキの下にいたら、もう一仕事増えてました。

2008年11月2日日曜日

ハロウィーン

金曜日はご存知の通りハロウィーンでした。なぜかこの日はたまたま学校がお休みで、昼間から街は仮装をした子友達でいっぱい。ダウンタウンのメインストリートはお祭り騒ぎで、昼間は子供たちで賑わい夜は大人で大騒ぎになるわけです。

仮装して出社する人も少なくないようで、通勤時にお姫様やロックスターや農家の娘とすれ違ったり。そして驚いたことに、翌日土曜日の昼間にカウボーイや魔法使いがまだウロウロ。前の晩にどんちゃん騒ぎをして友達の家に泊まり、翌日二日酔いの中家に帰る人々でした・・・。血が流れる人の手首が首にぶら下がった犬、なんてのもいました。

我が家の近所は例年それ程子供たちがやって来なくても、やはり念のためお菓子は用意しておかないと、と前日の夜スーパーへ。お菓子の棚の前はそんな人だらけ。うちがあんなものを買うくらいだから、お菓子の会社にとってハロウィーンは強い味方なんでしょうね。

一番手はおとなりの5ヶ月の赤ちゃん、ジョゼフィーン。生まれて初めての衣装はてんとうむし。
次はボウとソレイ。1枚目は鼻をかいてしまったので撮りなおし。

…すると、2枚目は妹の指が鼻へ。

いきなりこんな人が来たので、お菓子のバスケットを取りに家に入りつつ、一体誰だろうと悩む私。様子がおかしいので更に誰だろう?と悩んでいると、なんと夕食に招待した近所のおばさんだった(やられたっ!)。ケヴィンが家に帰った時、ワイングラスを片手にマスクをしたままテーブルに座る彼女を見て、ケヴィンは悲鳴を上げました。

結果として、今年は学校が休みだったせいか子供たちは昼間にお菓子をたっぷりもらったようで、例年より更に静かなハロウィーン・ナイトになりました。残ったお菓子は、翌日オバマ・キャンペーン事務所へ。

2008年10月18日土曜日

マウンテン・ライオン

今日の早朝、生まれて初めてマウンテン・ライオンを目撃した。しかも、前の車にはねられた直後の絶命直前の姿を…。

今週末もケヴィンはログキャビンへ。今週は今年の冬を越えるための安い玄関のドア(中古で$30!)とストーブ(こちらも旧式で中古)を持っていくことになっており、ケヴィンのミニ・クーパーでは運ぶのが無理。今週末も私は山へは行けず、そしていろいろ込み入った事情があり、朝5時に四駆を持っている友達との集合場所である高速道路脇まで、私も別に車を出して荷物を運ぶことになっていた。

早朝だったのでずっと後続車はいなかったのだが、ボールダーを出て約20分くらい経ちゴールデンという街に差し掛かった時、ドアを屋根に縛り付けて遅めに走る私とその前のケヴィンを一台の四駆が時速100キロくらいで追い越した。そしてその数分後、先でその車が路肩に車を寄せた。ケヴィンもそれに続いて右側へ。

おや?と速度を落とした私の目の前に広がった光景を見て驚いた。私が見たものは、ライトに照らされた道路の真ん中で、かっと目を見開いて首をこちらに向けて苦しみもだえた大きなベージュ色の動物。一瞬にしてそこを避けて通り、鹿ではない、と思いながらわけがわからず私も車を止めて車外へ。(その時、後ろにあったストーブが前へ倒れ車内は灰だらけに。とほほ。)ケヴィンが「マウンテン・ライオンだと思う」と言った。

その倒れた動物を、はねた車の人達が見下ろしていた。ものすごく大きくて、美しい野獣という感じのマウンテン・ライオンは血を流して痙攣をおこしており、もう息絶える寸前という感じだった。ケヴィンがすぐに警察に連絡をすると、5分もしない間にパトカーが3台やって来た。懐中電灯を手にして始めに車から降りてきた婦警さんが「いつまた姿を現すかと思っていたのよ」と言った。昨日ゴールデンの街中で姿を目撃されていたらしい。その現場も、住宅街からほんの数百メートルのところだ。餌を探して山から降りてきたのだろう。そして悲しいことに、この動物はその後数分もしなにうちに完全に息を引き取った。あの見開いた透き通った目が、私の目の裏にはっきりと焼きついてしまった。

前々からこのエリアにはマウンテン・ライオンが生息するのは知っていた。数年前の夏はボールダーの街中にも姿を現して、住民に警告をしていたこともあった。調べてみると日本語ではピューマとしての方が名が知られているらしい。

マウンテン・ライオンはペットを襲ったりするだけでなく、山の中でジョギングやハイキングをする人間も襲うので危険な動物として恐れられている。近所のハイキング・トレイルにも時々「最近このエリアでマウンテン・ライオンが目撃されたので、このトレイルは避けて下さい」という看板が立っていることがある。数年前に、親と手をつないで山を歩いていた子供が、後ろから襲われてさらわれそうになる、という事件が起こったこともある(無事取り返したそうだが)。

いくら危険な動物といえども、彼らの縄張りに入っているのは私達。こういう形で野生の動物を殺してしまうのは悲しい。

2008年8月25日月曜日

天罰よ下れ

今日の夕方やっとケヴィンが山から帰ってきた。本当は日曜日の夜に帰ってくるはずだったが、ログ組み立て前にやるべきことが終わらずに、今日も会社を休むはめになってしまった。5日間風呂に入らずもちろん髭も剃らずの、泥棒みたいな顔で帰ってきた。しかも嫌な知らせと一緒に。

本物の泥棒に財布を丸ごと盗まれてしまったのだ。どうしてそんなことになったかというと、金曜日に友人の大型車を借りて買い物に行った時、彼の車の中に財布を置きっ放しにしてしまい、その彼が昨晩一足先に家に帰ってしまった。彼が今日また山に戻る途中で落ち合って財布を返してもらうはずだったのが、いざ会った時にその財布が見つからず、その時初めてGPSなど他のものもなくなっているのに気付いたそうだ(←気付けよって!)。昼間セールスの途中にドアをきちんと施錠していなかったところをやられたらしい。

財布の中身は、クレジットカードが2枚とクレジット機能付のバンクカード、そして運転免許証。現金は「縁起がいい」ということで大切に取っておいた2ドルだけ。うちのダンナも現金を持たないアメリカ人。

その知らせを聞いてすぐにオンラインの銀行明細を見ると、さっそく200ドル近くが使われていた。こりゃ大変と、すぐに私は銀行に電話をし、ケヴィンはクレジットカード会社に電話。隣同士でコールセンターのような状態になってしまった。本人を出せと言われて、途中電話を交代して相手と話す、なんていう状態だ。

クレジットカードの方は1ヶ所で1800ドル使われていた。とりあえず両方アカウントを閉じて、使われたお店の場所と時間を調べようとまた銀行に電話をかけると、その20分足らずの隙にまた180ドルほど使われていて、電話の向こう側も「まあ、今さっきじゃない!」と絶叫。犯人はその前にあと2ヶ所で使おうとしていて、両方とも拒否されていた。4ヶ所のうち3ヶ所はチェーンの店だったが1ヶ所はそのエリアに1軒しかない宝石店だった。使おうとした金額は2300ドルだ。

そこなら防犯カメラもあるだろう、とすぐに電話してみた。事情を説明すると2時間弱前のことだったので相手もはっきり覚えており、一瞬「ひぃっ」と息を飲み「ちょっと待って」とホールドになった。反対側で会社専用のカードのAMEXと話しているケヴィンが「4時15分に2300ドル宝石屋で使われたっ!」と叫んでいる。バンクカードがダメだったので、犯人はAMEXを使っていたのだ。

犯人は数時間の間に5000ドル近くの買い物をしていた。これってまるで制限時間内の買い物ゲームだ。結果的にすべてのカードに盗難時の保険があるため直接私たちには被害はないが、ケヴィンの身分証明である運転免許がそんな奴の手中にあるというのは非常に嫌な気分だ。

明日ケヴィンが直接警察署に出向く予定だが、警察経由でぜひビデオカメラに写った犯人を割り出して欲しいところ。それにしても、とんでもない経験になった。

ボロボロ

            

2008年7月29日火曜日

週末の疲れを引きずって

説明するのが面倒だったので(私は)あまり人に話していないのだが、去年友人に勧められ、3家族で25エーカーの土地を共同所有することになった我が家。私的には、ウィンターパークにコンドミニアムもあることだし、もう山は…どちらかというとビーチハウスの方が…というのが本音だったのだが、コロラド出身のケヴィンとしては、土地を所有するなんて夢が現実になったような話で、心はすぐに動いてしまったのでした。実は、親が山の広大な土地にログキャビンを持っている友達が、ずっと羨ましかったみたい。

この土地は、とある事情のおかげで時価の半値以下で市場に出ていた掘り出し物。そして、今年の夏の巨大プロジェクトはそこにログキャビンを自分達で建てること(ポイントポイントで現場監督者は雇いますが)。標高が3300mの雪が深い土地で、6月から10月の短い夏が勝負。そんな狭いウィンドウの中、今年は6月下旬まで雪が溶けず、いきなり2週間も予定がずれているし。

そんなわけで、ケヴィンは6月下旬からほぼ毎週末テントを張って山にこもり土木工事のようなことをしていた訳でして、そしてついに私も先週末手伝いに借り出されたのでした。苦しかった…。やっぱりシティ・ガールのままでいればよかった…、と週末中悩みながらいろいろな道具を駆使して砂利を運んだり、土を掘ったり。顔や頭皮まで蚊に刺されながら肉体労働に励んだ私。この経験は一生忘れません(涙)。私にはこういうことはあまり向いていないみたい。文句ばっかり言っていると怒られるので、このことはくれぐれもケヴィンに言わないように。

帰りの途中に見えた虹。これ、実は二重になっているってわかります?薄い虹がうっすらと濃い虹の外側にあるのに注目。コロラドでは虹の端から端が見えます。というか、ここに来るまでそんなものにお目にかかったことがありませんでした。

日曜日の夜8時前。「疲れた~疲れた~」とどちらかというと精神的な疲労を覚えつつメキシカンレストランに入り、迷わず巨大なマルガリータをオーダー。

で、自分の生活を複雑にするのはあまり好ましくないと思いつつ、でもやっぱりこのログキャビン・プロジェクトは記録に残した方がいいだろう、ということで専用のブログを立ち上げました。興味がある方はどうぞ。

2008年7月23日水曜日

蜂にご注意

こんな話をブログに載せるのもなんなのですが…

先週の土曜日、結婚式の会場(屋外)で友人がハチに刺された。その時に、私は一度もハチに刺されたことがないのでどんな痛みなのかわからないなあ、なんてのん気なことを言っていたら、「それならその痛みを味わってみろ」と言わんばかりに、その2日後に生まれて初めてハチに刺されてしまったのだ。そして、昨日の午後から更に腫れはひどくなり、3日目の今とっても大変な状態。

いきさつはこんな感じだ。 今まで一度も私に頼み事をしたことのないお向かいさんが、珍しく留守中に植木に水をやってくれないかと言うので、快く引き受けた。2日目の月曜日の夕方、その家の庭で何気なくホースをつかむと右手に激痛が走った。ぎゃっ、と手を引いて見ると、薬指にハチがとまっていたのだ(汗)。おぉぉぉ刺されたっ、と思った瞬間にはもう指がどくどく。まるで心臓がそこにあるかのようだ。

土曜日に「ひどいアレルギーがあると死んじゃうんだよね」と話していたことを思い出し、もし自分がここで倒れたら、果たしてケヴィンは私のことをすぐに発見できるだろうか?とふと考えた。忽然と消えた私を捜す際、お互いに向き合いながら死角になっているこの前庭に、私が水をやりに行っていたことを思い出すだろうか?

そんなことを考えながら、さっさと植木に水をやって家に戻り、コンピューターに直行。便利な世の中だ。この時点で、自分は呼吸困難に陥ることはないと確信する。できることはあまりなさそうだったが、中で「今後12-36時間内に4インチ(10センチ)以上腫れることがあります。」という一文が頭に残った。直後ではなく12時間後以降?

薬指はまっすぐ伸ばせず、曲げると血がとまりそう。普段は手の甲の骨が4本ともくっきり浮かび上がってる…。

そして結果はその通りだった。刺された直後に1時間ほと指を冷やしたらちょっと痛みが治まったので、一瞬自分は思ったよりハチに対する抵抗力があるのではないか、と思ったのもそこまでで、昨日から指がぱんぱんに腫れ上がり、いつ破裂してもおかしくないような状態になってしまった。手の甲にかけてもどんどん腫れは広がり、なんだかクリームパンみたいな手…。昨晩は夜中にかゆくて目が覚め、その後手が燃えるように熱かったので、ハンドタオルを濡らして手に巻いて寝る始末。

そして、植木の水やりは金曜日まで続くのでした。トラウマになってしまい、その家の庭に行くのが怖いこと。

2008年7月15日火曜日

偶然

最近こんな話が続くが、ここでもう一つ。

私が日本から帰ってくると、なぜかその後1日~3日くらいの間に必ずやって来る人がいる。ケヴィンの弟で、シカゴベースのミュージシャンのケントだ。

この妙な現象が始まったのは2003年。ロンドン滞在時代に遡る。その時は、彼はベルギーのラジオ局でのインタビューとショウのためにやって来た。その後2005年は帰った翌日、2007年は帰った翌々日、と私の日本帰国スケジュールと彼のコロラド帰省(もしくはギグ)が意図せずにダンゴ状態になる、という現象が続いている。そして、いつも私は時差ぼけ。

すごかったのは今回だ。もともと私は10月頃の里帰りを予定しており、彼もその頃にデンバーでギグをやるかもしれないと言っていたので、また同じタイミングになるかもね、なんて話していたのだが、先月急に夏に帰省したくなった彼はさっさと航空券を購入した。

そこへ私の日本への緊急帰国。結局いつも通り、私が戻った2日後に彼はもれなくやって来た。週末にはケヴィンの両親が到着して賑やかに。みんなが山へ行って静かになった土曜日の夜(私は犬達とお留守番)、7時にベッドにちょっと横になったつもりが最後、翌朝の5時まで眠りこけてしまった。

ケントと私の誕生日は1週間違い。ケヴィンのママが得意のエンジェル・フードケーキを焼いて持ってきてくれた。

2008年6月16日月曜日

婚約記念日

13日は9回目の婚約記念日でした。ケヴィンにとってこの日は結婚するのを決めた日なので、結婚記念日よりも重みを感じているようで、そう考えると、私にとっても日本を去るのを決めた日でもある婚約記念日の意味は重いのでした。

当時東京に住んでいた私達は、ケヴィンの大学時代の親友の結婚式に出席するためにコロラドに10日間ほど来ており、Vail(コロラドの有名なスキーリゾートがある街)近郊の山で婚約しました。海抜ほぼゼロの東京からいきなり2500mに連れて来られて、そこで数時間のハイキング。後で知ったのだけど、もしあの時私が貧弱で一緒に登って来られなかったら、プロポーズするかどうか考え直すつもりだったそうだ。そうか、あれはテストだったのか…。

そしてその5ヵ月後には、3ヶ月の新婚旅行(実際はアジアをバックパックで回った貧乏旅行)に出発し、まず21日間かけてヒマラヤのアナプルナ・サーキットをトレッキング。これまた東京からいきなりだったので、3日目くらいから「なんで新婚旅行でこんな思いをしなきゃならないんだ?」と精神的にかなりきつかったけど5415mまでなんとか行き着いた。その数年後、ロンドン在住中には5895mのキリマンジャロの頂上まで行って来た。その頃には、それが自分へのチャレンジと思えるまでになっていて、頂上に立った時になんとも言えない達成感を味わいました。

いずれにせよ、9年前のあの日を境に私の人生は文字通り大きく変わってしまったのだ。それまではいちおう東京のシティ・ガールだったのだけど…。そして、自分は東京から絶対離れられない、と思っていたのですけど、ね。

2008年6月15日日曜日

ズンバ初レッスン。もう大変。

最近私の周りでも少しずつ経験者が増えてきたズンバ。しばらく気になっていたので、ついに先週からスタートした8回のレッスンに申し込んでみた。

ズンバとは、サルサ、メレンゲ、チャチャなどのラテン系の音楽に合わせて踊るエクササイズで、アメリカでは100万人を超える愛好者がいるとか。どんなものか見たい人はこちらをどうぞ。 YouTube Zumba

金曜日の初日。東京ほどはエクササイズ時の格好には気を使わないボールダーと言えども、どんな格好をしてレッスンに行くべきかちょっと悩んだ。特に靴。ダンスレッスンなんて今まで受けたことがないので、まず靴がない。仕方ないのでワークアウトをする時の靴で登場。とほほ。

会場には15人ほどの老若男女(!)が集まっていた。ダンスとは縁遠い感じのメガネをかけたおじさんも一人いる。何期もこのインストラクターからレッスンを受けている人と初めての人の割合は、約半々だった。常連さん達は「大丈夫。すぐ慣れるわよ。コレ、本当に楽しいわよ。」と笑顔だ。前と右側すべて鏡張りの部屋の端の方に、とりあえず立ってみた。

音楽がスタート。元気なインストラクターの姿をなんとか真似てみようとするが、(わかってはいたけど)あまりにもぎこちない私…。ステップだけでも大変なのに、複雑な手の動きが入るととんでもない事態に陥ってしまう。目の前の鏡に写る自分の姿を見てげんなりする。

音楽がメレンゲに変わり、これはまだいい方かな?と思うのもつかの間、意に反してまた右と左がインストラクターと正反対になる。そして曲はタンゴに変わる。上半身をピンと伸ばし腰を低く屈めて、片手を前へ伸ばし、前へ1、2、3歩進み、Uターン。それを何度も繰り返しているうちに、ふと横に立っている私とそれほどレベルの変わらない女の人に目が行った。決して上手くはないのに、自分と比べると、立ち姿だけで私は全然負けているのだ。

まず腰の高さが違う。私は胴が長すぎ、屈むと足の短さが強調されて、どうも格好がつかない。私は日本人独特の体型で、腰のくびれがなくお尻がフラットなので、立ち姿が妙にぺろんとした感じなのだ。そしてつくづく思ったこと。それは、私は盆踊りに熱を入れていたわけでもないのに、どう見ても盆踊り調の立ち姿と物腰になっている。これは日本人のDNAの中に完全に組み込まれているに違いない、と確信してしまった。

60分のレッスンが終わる頃には、かなりの汗をかいていた。これは噂の通りいい運動だ。あと7回のレッスンで私はどれほど上達するのだろうか…?

2008年5月8日木曜日

母の日が近づいて

5月3週目と思っていたら、今週の日曜日が母の日だったことに気づいた。ランバート家の人々は誕生日、母の日、父の日、クリスマスはつらつらと優しい言葉が書かれたカードはもちろん、家族が集まってお祝いもかかさない人達なので、当然のようにケヴィンのママから「母の日はどうする~?」と電話がかかってきた。

電話に出たケヴィンが「もしスノボにいかなかったらね」(注:下を参照)と言ったというので、本来はこっちが何をするか計画するべきだったでしょう~、と二人で反省し、がっかりしたであろうママにすぐに電話をさせた。

というわけで、日曜日は中間のデンバーで落ち合うことになった。

月曜日にカードを購入し、プレゼントはヨガ用の服が欲しいと前に言っていたので、今度ボールダーに来た時に一緒に買い物に連れて行くよ、とケヴィンのパパに昨日電話で伝えると、彼女に今何が必要か知りたいか?と言う。

「それって何?」

「パンツ」

は?パンツ?

それはズボンのパンツではなく、下着のパンティーのことだった。綺麗なパンツを買ってあげたい、とのこと。本来は自分で買ってあげたいのに、どんなのを選んでいいかわからないから、義理の娘の私にお願いしたい、と。

ええ~っ?!そうなのっ?ということで、じゃあ、サイズを教えてと言うと、電話を持ったままごそごそと箪笥を探っている様子。でもわからないというので、じゃあまた後で、と電話を切った。

その日家に帰り5分も経たないうちに、ケヴィンのママから電話がかかってきた。

「チカちゃん、パンツはいいわよ~。もう恥ずかしいんだから。」(←日本語)

綺麗なパンツはちゃんと持ってて隠してあるから(?)、パンツのことは気にしないで、とのこと。じゃあ、その綺麗なパンツはいつ履くわけ?と聞くと、「学校に行くとき」。彼女は臨時教員で、時々小学校で教えているのだけど、なぜ、わざわざ小学校に?もっと素敵なときに履けばいいのにねぇ、と一連の話をケヴィンに話して二人で大爆笑。

「うちの家族って本当に変だね~」とケヴィンがしみじみ言っていたが、ケヴィンも十二分にその血を引いていると思う私なのだ。

ところで、この話を読んだこと、ママに会ったときに言わないでね。

注:スキー場は閉まっているので、バックカントリースキー。雪山を数時間歩いて登り、スノボで降りるというとんでもないスポーツ。私はやりません。

2008年1月31日木曜日

背骨の話

椎間板ヘルニアの話で思い出したこと。2年前にPTに通いだした日に、何が原因でこうなったのだろうか、とセラピストに聞いたときの話。彼女の意見は、私は重いバックパックを担いで山を登ったり谷を降りたりするには、骨が細くて骨格が華奢すぎるのでは、ということだった。プラス、手が長いので細い背骨に負担がかかっているのかもしれない、とも言われた。

へぇ、私ってモデル体型かも、と、帰ってケヴィンにその話をした。「東京にあのままいたら、私こんなことにならなかったのかもよ~」と言うと、すかさず彼は「チカはモンキーなんだよ」ときた。「まだサルからヒトへの進化の途中で、直立歩行に無理があるんじゃないの?」

最近鍼に通い始め、初日に私の背骨を見た鍼師は「あなたの背骨ってまっすぐね~。赤ちゃんの時、あまり這い這いしないで早いうちに歩き始めたでしょ?」とすかさず私に聞いた。這い這いをする時期があまりなく歩き始めた人は、背骨があまり反らずまっすぐな背骨になるそうだ。そういう人の背骨は圧縮されることが多いらしい。母に電話で聞くと、確かに私は生後10ヶ月くらいで歩き始め、1歳になる頃には小走りとまでは言わないが、結構歩いていたよ、と言われた。

これが私の椎間板ヘルニアの原因かしら、と思う今日この頃。

2008年1月30日水曜日

椎間板ヘルニアは良くなる

今日ピラティスのクラスでハードな運動をしている時に、ふと、椎間板ヘルニアと診断されて2年になるなぁ、としみじみと思った。

なった人はわかると思うが、私もよくありがちなL4/5が後ろに突起していて、それが神経を圧迫して神経痛を起こしていた。私は左側のお尻の真ん中辺りがシクシク痛み、左足の親指に痺れがあった。MRIの結果を見て、ダメにになっている椎間板は素人が見ても一目瞭然。がっくりきた。

しかし、アメリカの素晴らしいことは、PT(フィジカルセラピー)が発達していること。翌週からすぐにセッションが開始された。え?こんな簡単な運動でいいの?というようなことから始まったが、3ヶ月PTに通い、実はセラピーはピラティスの運動に似ているということを知り、一連のセッションが終わると同時にピラティスに通うようになった。私のピラティス通いはそんなことから始まり、今や生活になくてはならない運動となった。PTを開始すると同時に、水泳もいいと聞いたのでしばらく週1,2回1000m程泳ぐようにもなった。

その後痛みは続いたもののピラティスのお陰で腹筋と背筋が発達し、除々に痛みが軽い日が増え、そして痛みがない日もあるようになった。一旦控えたジョギングも再開した。ひと夏やらなかったテニスも昨年の夏は楽しんだ。アメリカでは、椎間板ヘルニアの患者にアクティブに生活するように勧めている。手術も歩けなくった場合は別だが若い世代には勧めていない。

スノーボードは無茶をしなければOK,と言われていたので、カイロを背中に貼ってしずしずと滑っていたが、今年は毎週モーグルの練習に励むまで腰の不安はなくなった。

それでも時々お尻が痛いときはテニスボールに座って筋肉をほぐすようにしている。

痛みが激減したのは、ひょっとしてこの本のお陰?

椎間板ヘルニアと診断され1年半が過ぎた去年の8月、シカゴで義理の妹に会った時に1冊の本を勧められた。彼女も結構体の調子が悪く、常にいろいろな痛みを抱えていたのが、その本を読んで痛みがなくなったという。半信半疑どころかそんな話は全く信じられなかったが、せっかくなのでその本を借りることにした。

2ヶ月間放りっぱなしにされてた本は、10月に日本行きの飛行機の中で始めて開かれた。椎間板ヘルニアのことが書かれているところだけを拾い読みをしてみると、まず「椎間板ヘルニアによって圧迫された神経が引き起こすのは痛みではなく、しばらくするとその神経は”痛み”というメッセージを送るのを止めるため、それによって引き起こるのは麻痺のはずである」という文章が頭にこびりついた。著者の結論は「椎間板ヘルニアによって起こると思われている痛みは、実はTMSという症候群によって起こるものである」ということだった。

この著者が言うTMS(Tension Myositis Syndrome)というのは、精神的ストレスが肉体的痛みを引き起こす状態で、自動神経システムが筋肉、神経、腱の中の血液の流れを減少させることにより酸素不足を引き起こし、それが一部の組織で痛みや緊張となって感じられること、だそうだ。

その本を拾い読みした後の日本滞在中の1ヶ月間、ヒールがある靴を履いて一日中歩き回っても腰が痛くない日々が続いた。ホリデイでリラックスしているからかな?とも思ったが、神経痛に気づき始めたのはちょうどその2年前に日本に帰った時に毎日ブーツで歩き回ってからだったので、その考えは辻褄が合わない。もしかして、本当に本が効いたのかも、と思い始めた。

とにかく、今までのように不安がないのである。それまではちょっとした痛みを感じると、「無理をするのをやめよう」と自制をかけていたのだが、今は「ああ、また筋肉が張っているだけだな」と済ませられるようになった。そうすると不思議なくらい痛みが長くは続かないのだ。

興味がある方は John E. Sarno, M.D.著の「HEALING BACK PAIN - The Mind-Body Connection」を読んでみてほしい。

2008年1月16日水曜日

スカンク Skunk

やられました。しかもアシャの顔直撃。

スカンクの悪臭って日本人はあまり嗅いだことがないと思うけど、すごく強烈です。私はカンザスに留学中に同乗していた車がスカンクを轢き、初めてあの臭いを嗅いだわけですが、この車はいくら洗っても臭いがしばらくこびり付いて取れなかった・・・。

で、今日ケヴィンがアシャを連れて山でジョギング中に、ケヴィン、アシャ、スカンク三者お互いの存在に気づかず、ケヴィンがあれ?と思った瞬間にアシャの口元にいたそうです。ケヴィンが一瞬アシャが死んだリスでも見つけたのかな?と思ったその時、シマシマの尻尾が見え、あっと引く間もなくスカンクが悪臭をアシャの顔の至近距離から噴射したらしい。

気の毒なアシャはそのまま狂ったように走り続け(しばらく目が見えなかったのではないかと思われる)、家に帰ってからケヴィンの手作りの脱臭液で何度も顔を洗われたわけです。かなり取れたけど、まだ臭い。

これを機にスカンクについて調べてみたら、「スカンクは肛門腺を取り囲む筋肉を収縮させることによって分泌液を相手の顔を目掛けて噴射し、これは4~5m離れていても命中させることができる。分泌液が目に入った場合、一時的に目が見えなくなる。悪臭は無風でも半径1kmの範囲まで届き、風向きによっては2km近くまで届く。分泌液は皮膚の蛋白質と強く結合するため、皮膚に付着した分泌液を取り除くことは困難である。また、分泌液が付着した衣服は脱臭が困難なため、破棄することを余儀なくされる」と書いてある。とんでもない動物だね。

ちなみに、スカンクはその後どうなったわけ?と聞くと、余裕綽々でお尻を向けたままその場に立っていたとか。記述によると、スカンクはこの武器の威力のため、敵と対峙した場合に逃走することは少ない、となっており、まさにそのとおり。

外に置いてあるアシャのリードは、プンプン悪臭を放っている。

2007年12月2日日曜日

TGIF (Thank God It's Friday!)

金曜日は太陽が出ていたにも関わらず、昼間2時すぎで強烈な底冷え。あれは0℃近かったに違いない。ケヴィンは夕方オフィス最終日の飲み会だというので、じゃあ私もどこかに飲みに行って体を温めるか~、とトモコちゃんと軽くマティーニを数杯、というつもりが長い夜になってしまったのでした・・・。

右の写真は土曜日の昼前のケヴィンの様子。

私達が落ち合ったのは、ダウンタウンの比較的新めのレストランにあるバー。トモコちゃんも気合で会社を出て来てくれて6時集合。トモコちゃんはバーテンダーに、あのウォッカがいいだのどうやって作れだの、いろいろ注文をしている。私は彼女ほどマティーニは詳しくないので、とりあえずメニューから選んで1杯目。

お腹もすいたから簡単な食べ物を注文した後、ふと見ると、バーテンダーが他のお客さんのために作っているマティーニの飾りのオリーブに、ブルーチーズが詰まっている。トモコちゃんの目がキラリと光る。2人とも2杯目はそれを注文。

その頃ケヴィンから、会社の同僚たちと居酒屋へ向かっているので、私たちもどうぞ、という連絡が入る。アルコール40度以上あるマティーニを2杯飲んだ私達は、ほろ酔い気分で居酒屋へ。この居酒屋、本物の居酒屋なのです。日本人がオーナーで日本人の料理人がやっている酒バーみたいなところで、日本人の溜まり場。お酒と焼酎のボトルキープもできる。

金曜日の8時すぎということで、それほど広くないお店は大繁盛。ケヴィンは入り口のところでお猪口を持って日本人のおじさま4人組と話込んでいる。話をしてみると、akikoちゃんと仕事で関わりがあってボールダーに来ているおじさま方でした。そこでひとしきり立ち話をした後、ケヴィンの同僚とその彼氏や奥さん、そして私達の計7人でお座敷へ。もうこの頃になると調子乗り乗りで、誰と何を話したのかのもよくわからない状態。

ばんばん食べて、トモコちゃんのキープしていた一升瓶も出てきて(しかも、彼女は注ぎ上手)かなり楽しい雰囲気に。お勘定の頃には、気づかなかったけどすでに11時を回っていました。そんなとき別の友達から、近くのアイリッシュ・パブにいるから合流しない?というお誘いが。ケヴィン車だけどもう一軒行って大丈夫?と言いつつ、先ほど歩いてきた道を引き返すようにパブへ。

妊婦のEちゃん(とりあえず、名前伏せておくね(笑)ちなみに彼女も日本人。)とその旦那さんとその同僚の3人と合流。サイダー(イギリスでいう、りんごの発泡酒)を1パイント飲む。もう時間の感覚なんて全くなし。トモコちゃんの彼も仕事のディナーが終わり、あいかわらずファンキーなジャージ姿で登場。そしてしばらくすると、バンドの演奏がいい感じでみんなで狂ったように踊りだす。何よりも驚いたのが、妊娠4ヶ月目のEちゃんがものすごい勢いで踊っていたこと!あれは元気な赤ちゃんが生まれるよ、きっと♪

バンド演奏も終わりお開きになったのは2時過ぎ。その頃にはマイナス7,8℃にはなっていたはずだけど、寒さなんて全く感じませんでした。翌朝のケヴィンの2日酔いの様子を見ていて、立派に車を運転して帰ったケヴィンの気合に感心。実はよくないんだけど。ところで、なぜ私が2日酔いにならなかったかのキーは、サイダーを飲んでいるときに、トモコちゃんがオーダーした太いフレンチフライだと思うのです。彼女が、「アルコールを吸収するのは、ラーメンでも米でもなく、芋よ!」と言うのを聞きながら、酔った勢いでカロリーも食べる時間も気にせず大量に食べた芋のお陰で、私は土曜日をケヴィンほど無駄にせずにすんだのでした。

そんなことをしながら、今年ももう師走。

2007年9月25日火曜日

私のボスはヒーロー

私のボスはER(緊急救命室)の医師ですが、先月実家のあるメイン州で家族で休暇中に、小さなセスナ機が滞在先の湖に墜落するという事態に遭遇しました。飛行機に乗り合わせていたのは家族連れとパイロット。残念ながらパイロットは即死、両親と3歳の男の子はひっくり帰った飛行機から脱出、しかし5歳の女の子はシートベルトが外れず水中に閉じ込められてしまったのです。

15分後、3度目の潜水の後にやっと引き上げられた女の子は、心臓は完全に停止し瞳孔も開きかけていたのですが、ボスによるCPRの結果呼吸をし始め、みるみる顔に血の気が戻り、無事に一命を取りとめました。

ボスは、彼女を死の淵から両親のもとに連れ戻したものの、彼女が脳にダメージを持った植物人間になってしまったら…?と不安を感じた、とその後インタビューで語っていますが、奇跡的に彼女は全く後遺症はなく水に対するトラウマもなく、その2日後には水泳教室に行ったとのこと。その家族にとってボスは一生忘れない命の恩人となったわけです。

このニュースはコロラド州でも話題になり、ボスはTVに出演するわ新聞に載るわで一躍ヒーローに。昨日は地元で表彰式が行われ、今日額縁を持ってオフィスにやってきました。写真の一番左がボス、右端がその女の子、真ん中は彼女のお母さんです。