2022年9月12日月曜日

問題になった「JR新宿駅アナウンス」をやや視点を変えて深く考えてみる

『防犯カメラは多く設置しておりますが、痴漢は多くいらっしゃいます。痴漢をされたくないお客様は後ろの車両をぜひご利用ください』

先週、不適切だったと騒ぎになった新宿駅のこのアナウンスですが、私にはこの男性アルバイト係員が実際にどんな人で、何を思ってこんなアナウンスをしたかがとても気になってしまいました。

なぜなら、アメリカ流にこの文章を受け止めると、私を含め日本人には難易度が高いsarcasm/サーキャズムという、英語では頻繁に使われるのですが日本語にはほとんど存在しないコミュニケーションスタイルに近いものが隠れているような気がするのです。

このサーキャズムには、私は日本を離れてもうすぐ23年になろうとしていますが、未だに気を抜くとうっかりと引っかかってしまうのです。言っている本人が冗談で真意と真逆のことを言っているので、そこをしっかり見抜かないといけないのですが、これが慣れていない日本人には結構難しい。

sarcasm

  1. 〔人を傷つける〕皮肉[辛辣]な言葉
  2. 〔言葉遣いとしての〕皮肉、あざけり

日本語に直訳するとかなりネガティブな言葉に聞こえますが、英語圏ではサーキャズムは、言いにくいことをウィットの利いた冗談にすり替えて言う手段で、上手く使えばポジティブな意味で「面白い」という感覚で受け入れられる方が多い気がします。アメリカの人気コメディー番組『サタデーナイトライブ』のコントはサーキャズムの嵐で、「その週に起こったニュースをこの番組のコントで観た方が、よっぽど普通のニュース番組を観るより的を得ていて勉強になる」と以前ケヴィンも言っていた程です。

小さなサーキャズムの例を挙げてみますと、例えば日本の定食屋で瓶ビールと一緒に出てくる小さなコップを見たアメリカ人が、「日本ではこんなに大きなコップでビールを飲むのだねえ!」と言ったとしたら、それは小さなコップをからかっているわけで、本当に大きいとは思っていないのです。

これが『サタデーナイトライブ』のように上級になってくると、かなり辛辣に政治家をからかったり小馬鹿にしたりします。その冗談から、いかにその政治家が言っていることが馬鹿げているかを大笑いしながら学べたりするわけです。


アメリカ人はサーキャズムをサーキャズムでバシッと返したりしていますが、私にはまだまだ訓練が必要です。ビールのコップにはどうやって切り返せば、相手をぎゃふんと言わせられるでしょうね?

***

話は新宿駅に戻り、このアナウンスを巡る論争や主な意見は、私が読んだ記事では、「痴漢行為をやめる加害者側へのアナウンスをすべきだ」「被害者になる女性が自衛しないといけないのか」「前方車両に乗ったら痴漢に遭っても仕方ないのか」「なんで痴漢に敬語を使うのか」「被害者側がなんで移動しなきゃいけないのか」「男性である自分も居づらくなりました」などでした。

これは全てもっともなご意見です。
しかし、「それじゃあ、一体どうすれば良いわけ?」と思うのは私だけですか?

「痴漢行為は犯罪です」「痴漢に気づいたら通報しましょう」というアナウンスで痴漢が激減するなら、とっくの昔に痴漢は絶滅しているはずです。それに比べると「痴漢は多くいらっしゃいます」(私はこの敬語がサーキャズムだと思う)が与えるインパクトの強さに、皆さんも気づいていらっしゃるとは思います。

実際にある男性が疑問を抱きこの様子をSNSに投稿して、ここまでの騒ぎになった時点でこのアナウンスはかなりの効果を発揮しており、「このニュースを知って、痴漢が日常的にそんなにいるのかと驚いた」という男性の感想も目にしました。

そして、そうなのです、被害者となる女性はある程度は自衛しないといけないことは否めません。なぜならば、悲しいことに痴漢は絶対にいなくならないからです。それなら、もし後ろの車両の方が今自分がいる車両より空いているなら、それを積極的に知らせて欲しいですし、私だったらホームが激混みで身動きが取れないという状況でなければ、喜んで移動します。

「前方車両に乗ったら痴漢に遭っても仕方ないのか」というご意見ですが、そういう考え方をすると水掛け論のようになってしまうので、「痴漢をされたくないお客様」(私はここにもサーキャズム的要素が含まれていると思います)を周りが守る環境、そして被害者が声を上げやすい電車内環境をみんなが作る努力をするべきです。

女性専用車両導入や鉄道警察隊がいろいろな方法で痴漢対策はしているとのことですが、私が子供の頃から50年近くも状況がほとんど変わっていないということは、この問題には何か画期的な対処法が必要だということではないでしょうか?

この問題を、JRに「もっとアナウンスを改善しろ」と言って終わらせるだけでなく、例えば専門家が分析した痴漢の心理を逆利用して、痴漢が聞いて思わず「うっ」と身を引きたくなるアナウンスを車内で流してみる、とかできないのでしょうかね?もしくは、ウィットが利いたアナウンスで「あっはっは」とひとまず乗客を笑わせて、周りに立つ人同士が声をかけやすい和やかな雰囲気を作ってみるのはどうでしょう?

話が私流にずれてしまいましたが、何れにせよ女性の意見をもっと採用して、例えば駅で被害に遭った女性がすぐに相談しやすい女性駅員を増やすとか、さらなる改善策を講じてくれるといいなと思います。

最後に、「男性である自分も居づらくなりました」という方ですが、自分が痴漢でなければそんな思いをせず堂々としていて下さい。満員電車の中で一生懸命痴漢に間違われないように頑張っている男性からは、通常はその努力がこちら側にも伝わってきます。

***

このアナウンスを「JRが(痴漢を容認して)諦めていると思う」という受け止め方をする人も少なくないようですが、批判をするだけでなく、日本社会でなぜこんなに痴漢が横行しているのかという問題の根本を、メディアがもっと率先して討論すべきです(←これは日本社会の歪みの現れの1つで、これを私に語らせると長くなります)。下に添付した性依存症治療にあたるクリニックの斎藤章佳さんのおっしゃるポイントは、私が思うところと同じです。

このニュースをネット上でサーチして感じたのは、メディアはこのニュースを浅く取り上げるだけでなく、精神科系の専門家のコメントをもっと入れるとかして、もう一歩踏み込んだ報道をしたらどうかと思いました。そういう表面的な報道の仕方をする一定数の日本のニュース記事は、欧米ではタブロイドと呼ばれる大衆紙的なものに近いような気がして残念に思えます。

***

ところで20年ほど前にロンドンに住んでいた時に、未だに忘れない光景を目にしました。ロンドンの地下鉄独特の、ものすごく長いエスカレーターに乗って上に向かっている時のことです。なんだか上の様子がおかしいので注意を払うと、変な男が足早に、女性のお尻を順番に叩きながらずんずんとエスカレーターを歩いて登っていました(驚)。ここで感心したのが女性達の反応。一瞬驚いて悲鳴を上げつつも、「あんた何してるのよっ!」と怒鳴りつけたり、咄嗟にその男にパンチを見舞ったりと、とにかくみんな強い。黙って我慢する殆どの日本人女性とは大違いです。結局その頭がおかしい男を追う人はおらずそのままになってしまいましたが、少なくともやった分だけ怒鳴られ殴られていました。

日本人女性も、こうやって声を上げたくないですか?

長くなってしまいましたが、この物議を醸したアナウンス。これだけ痴漢問題に脚光を浴びさせただけでも、私はこのアルバイト係員に一票を投じたいと思いました。

***

<付け足し>
海外の公共交通機関で移動中に、その場でどっと笑いを誘ったアナウンスをここで披露します。

ユナイテッド航空アメリカ人機長
「本日は偏西風により、当機は40分程早くサンフランシスコ空港に到着いたしました。しかし残念ながら入国審査官不足のために機内待機を命じられましたため、お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、このまましばらく機内でお待ちください。

みなさまご自宅に戻られましたら、各州の議員に苦情の手紙を書くようお願い申し上げます。」


ロンドンで停車中の地下鉄
「迷惑行為はやめなさい。GET OFF! (降りろ!)I know WHO YOU ARE.( お前が誰だかちゃんとわかってるんだぞ)」

ここで乗客がどっと笑い、一体誰のことを言っているんだと周りをキョロキョロと見回していると、楽器を持った男の子がホームに渋々と降り立ちました。どうやら演奏をして物乞いをする常習犯だったようです。子供だからちょっと可哀想でしたけど。


<参考・朝日新聞より抜粋>

初めての痴漢から逮捕まで平均8年 


依存症治療が必要

有料記事

聞き手・岡崎明子













大森榎本クリニック精神保健福祉部長 斉藤章佳さん

痴漢は日本で最も多く起きている性犯罪にもかかわらず、加害者や被害者の実態さえ知られていません。私の勤めるクリニックでは12年前に日本で初めて「再発防止プログラム」を始めましたが、参加者の多くは大卒で会社に勤め家庭を持つ、どこにでもいる男性です。被害者には、おとなしそうな女性を選んでいます。女性にもてない性欲の強い男性が痴漢になる、露出の多い派手な女性が被害に遭うといった偏見が、この犯罪の本質を見えにくくしています。

 痴漢で逮捕されれば、仕事も家庭も失うかもしれないのに、やめられない。それは、性依存症という病気だからです。彼らと接していると、職場でも家庭でも気を使ってストレスをため、人間関係が苦手な人が多いと感じます。唯一のストレス対処法が痴漢であり、生きがいとなっているのです。

 満員電車内で、たまたま女性の体に手が触れてしまうことはあり得ます。大半の男性はそれで終わりますが、痴漢の多くはその瞬間を「電撃が走った」などと表現します。回を重ねるごとに手口を巧妙化させ、「触っても騒がないのは、相手も喜んでいるからだ」と認知をゆがませていきます。こうした認知を持つ背景には、「男性なら女性に何をしても許される」など、男尊女卑的な価値観が根底にあるからだと考えています。

 痴漢は学習された行動です。やめるには、学習し直す必要があります。クリニックではどういう状況で痴漢をしてしまうのか、痴漢をしたくなった場合の対処法など再発防止計画を考え、習慣化していくところから始めます。最終的にはグループワークなどを通じて認知のゆがみや男尊女卑的な考え方に気づき、それを修正していくことで内面も変容していきます。

 犯罪白書によると、初めて痴漢をしてから逮捕されるまで、平均8年もかかっています。これだけ長期間、続けてきた行動なので、再発リスクに応じて3年間は通院するよう求めています。延べ約1200人が治療に参加しましたが、半数は1回来たきり姿を見せなくなります。でも3年以上続いている約40人に限れば、再犯率はゼロ。治療は効果があるのです。

 残念ながら現在の痴漢対策は、必ずしも効果があるとは言えません。満員電車の解消や車両の防犯カメラ設置で、初犯は減るでしょうが、常習犯はカメラの死角を見つけて痴漢を続けると思います。女性専用車両も、「その車両以外の女性には痴漢をしてもいいと思った」という認知のゆがみを生んでいます。自分の行為は犯罪ではなく相手を喜ばせていると信じているので、「痴漢は犯罪です」というポスターも効果は薄いです。

 初犯の段階で治療につなげられれば、かなり再犯者を減らせると思います。ただ国内で専門的に治療をしている施設は、片手で数えられる程度です。民間頼みではなく、国が治療につなげる制度やシステムを整えるべきです。

 被害者がもっと楽に被害を訴えられる仕組みづくりも必要だと思います。被害者の多くが、泣き寝入りしています。車内のボタンで通報できるなど、可視化できるだけで随分変わるはずです。痴漢対策の話をすると必ず冤罪(えんざい)の話が出ますが、この二つは全く別の問題です。なぜ「殺人はいけない」といっても「でも冤罪が」とはならないのに、痴漢だけそう言われるのか不思議です。

 私たちが取り組んでいるのは再発防止です。痴漢撲滅のためにはこれに加え、性教育の中で性暴力の実態を教えるなど、犯罪を未然に防ぐための対策が必要です。そして社会に根強く残る男尊女卑的な価値観を、変えていかなければならないと思っています。(聞き手・岡崎明子)

     ◇

 1979年生まれ。精神保健福祉士社会福祉士。専門は加害者臨床。著書に「男が痴漢になる理由」など。


2022年8月23日火曜日

チャウラブ 15周年

先日ブエナ・ビスタの親戚を訪れた時
午後の通り雨の後に盆地にかかる
変わった虹を見つけました


寝る準備をしていたら、ふと今日が8月23日だったことに気づきました。時間を見るとまだ23時台。うーん、まだ間に合うけどどうしよう?来年まで待ってもいいか...。

けどやっぱり15周年の記録を残しておくことにしました。

先週からカリーナは、ミドルスクールに通い始めました。まだ6年生ですがここでは中学生です。休み時間が1回しかない、授業中ずっと座りっぱなしだ、とブツブツ言っている姿をみると、日本のように6年生までは小学校にいた方がいいのではないかなぁと思うのです。まだ10歳と11歳の子供達に、中学校は無理があるのではないかと。

最近めっきり更新が減ったブログですが、これからも細々と続けて行きます。もっと時間のやりくりを上手くして、以前のように日々思っていることをもっと書きたいのですけどね。
 

2022年6月14日火曜日

小学校卒業 その2

卒業式当日と最終日のアクティビティはこんな感じでした。

ちなみにこのアクティビティの殆どは、親から集めた2000ドルの寄付金を使ってボランティアが計画して実行したもの。食べ物のデリバリーとセッティング、当日のアクティビティをリードしたりと手を挙げた8人は大忙しでしたが、これまた不思議なのは日本と違ってやりたくない人は何もしなくていい。←この6年間でこれにも慣れた

<5月25日>

9am-10am 卒業式(1つ前の記事を参照)


*Wednesday Walkersチーム*
今年度は毎週水曜日が1時間遅いスタートで8:50始業だったため、
うちの近所の5年生7〜8人が集まって25分の徒歩通学をしました。
毎週集合場所だったお家が、卒業式前に子供にはドーナツ、
親にはカプチーノを振舞ってくれました。この後正装で最後の徒歩通学!

卒業式へ向かいます

10am-11am 教室で映画鑑賞

11am-12pm イヤーブックにお互いにサインする&宅配ピザのランチ

12pm-12:50pm フォトブースで記念撮影&アイスクリームトラック登場

2:50pm    下校


<5月26日>

なんだか変ですが、卒業式の翌日も学校がありました。この日も一日中楽しいことばかり。

7:50am  登校・これが一生で最後のバス通学(カリーナの中学校はスクールバスなし)

このバスドライバーさんとは
家族ぐるみのお付き合いになりました。
(私と同学年ということが判明)
カリーナの席(見えないが手を振ってる)
キンダーが一番前で学年が上がるほど
後ろの特等席に座れる

これが見納め😢😢😢


12:50pm-1:50pm  カップケーキを食べながら映画鑑賞

9:15am-10:15am  校庭でゲーム

2:30pm -2:45pm  校舎内をパレードして在校生にお別れ

          親が花道を作って子供達を見送る 最終日の花道 

このアーチを作るのが私の役目でした
子供達が出て来る約30秒前に風でこのアーチが倒れた〜
下がっているサインの紐が片方取れてしまい片側を支えて
何とかその場をしのぐという不運に見舞われました

まだかまだかと待つ親達
こうやって使ってもらえると作った甲斐あり

先生も混じって最後の記念撮影

本当に素晴らしい小学校でした。先生とスタッフは勿論のこと、お友達もその親御さんたちにも恵まれ、私もこれから長くお付き合いできる人達に巡り会えて幸せでした。

2022年5月29日日曜日

小学校卒業 その1

5月25日の朝、カリーナの通う小学校で卒業式がありました。

この学区ではキンダーから5年生までが小学生で、6年生から3年間が中学生なので、卒業生は10歳と11歳です。

ちょっと不思議だったのが、その後2日間丸々楽しいアクティビティが学校であったので、9時から10時過ぎまでの卒業式後親は家に帰り、子供達はそのまま校内へ。翌日も朝は普通に登校して学校で過ごし、下校時に親がまた学校に行き子供達が校舎を去るのを見送りました。

まずは卒業式の様子から。

お手製の帽子をかぶった子供達がスタンドに上がります
満面の笑顔
先生達が各生徒にはなむけの言葉を送ります
カリーナの番。しかし。。。

名前を呼ばれた生徒が立ち上がるのですが・・・カリーナはたまたま横の子とおしゃべりをしていたようで、なんと3回も名前を呼ばれるまで自分が呼ばれているのに気づかなかったのでした(怒)

なかなか反応しないカリーナに向かってビデオを構えながら、頭の中で「この子は学校でちゃんと話を聞いていたのだろうか?」と黒雲が立ち込めるような思いだった私、、、。


悶々としながらも式は終わり、号泣する子もいる中晴れやかに校庭で社交的に動き回るカリーナ。

担任のリア先生

3年生と4年生でお世話になったリズ先生
(カリーナが1番好きだった先生)
この後モンタナに引っ越してそこで教鞭を取るそうです
親友のエラちゃん
残念ながら別々の中学校へ



キンダーガーテン初日に担任の先生について構内に入る姿を見送ったことを、今でもはっきり覚えています。ひとつひとつ思い返すとこのいろいろなことがありましたが、やっぱり6年間はとても短かった。特にコロナ渦の2年間はロスだった気がしますし、世の中で学校に通う子どもを持つ親の多くがそう思っているのだろうなと思います。
テキサス州の小学校で悲しい事件もありましたので、複雑な思いで迎えた卒業式。あと一年くらいこの学校に居て欲しかったなあと思います。寂しい〜。

2022年4月14日木曜日

2匹のハムスターを巡る話

先月2歳を迎えたハンフリーは、我が家にやって来た2代目のシリアンハムスターです。


2018年12月にやって来た1匹目のダズルは、悲しいことに約半年で死んでしまいました。ハムスターはサイズによって寿命が異なるのですが、一番大きい種類のシリアン(注:ゴールデン、テディベアとも呼ばれる)でも、寿命は2年〜4年と言われています。

ダズル

ちょうど3年前の今頃、ダズルがくしゃみのような音を発することに気づきました。結果的にもともと呼吸器系の疾患があった個体だったようで、それが原因で私とカリーナが日本滞在中の6月にケヴィンに見守られて死んでしまいました(涙)。その時は5月末頃から目が腫れてしまい、抗生剤を2週間飲ませた後も回復しなかったのです。

話はハンフリーに移り、土曜日に片目が開かないことに気づきました。カリーナと2人で目の周りを拭くと、なんとかうっすらと目が開くという感じでした。2歳になる頃から運動量や食欲が減って寝る時間が増え、水を大量に飲んで尿の量も増えたりしていたので、糖尿病ではないかと心配していたのですが、目やにのことも含めて全てハムスターの老化の兆候という結論に至りました。

運動に関しては、透明のボールに入れて家の中で走らせることによって食欲増進効果が見え、「人間も動物も同じだね〜」と言っていたのでした。

ところが日曜日は両目が開かず、「まるで3匹の目が見えないネズミみたいじゃない?」というような状態に。再びカリーナと目の周りを拭いている時に、カリーナが「なんか臭い」と言うので、注意を払ってみると、、、なんと下痢をしている!ハムスターの下痢は命取りの場合があるので、翌朝すぐに獣医に電話をすると、「今日は予約は一杯だけど、診察の合間に救急扱いで診てあげられると思うので、すぐに連れて来てください」と言われました。やっぱり下痢は命取りなんだ、と思いながら車を走らせた私でした。


                 ***
       
ダズルが病気になった時に初めて獣医に行った時、診察料が約7000円で薬代もそれと同じくらいかかり、「この金額って、新しいハムスターが10匹くらい買えない?」と驚いたのですが、こんな小さな生き物でも一緒に暮らせば家族の一員。見殺しにすることはできません。今はインフレでもしかするともっと高いかも?!と不安ではありましたが、抗生剤と目薬を合わせてやはり今回も1万4千円くらいで、心の準備ができていたのもあり前回ほどショックは受けずに会計を済ませました。

ところが明細をよく見ると、今回の抗生剤は前回より安く、しかし目薬が4500円もすることに気づきました。思い起こせば「目薬は人間と同じサイズで、ハムスターの目には一滴が大きすぎますが、気にしないで使ってください」と言っていたので、もしやこれは人間にも使えるのかもしれない??

ピンク色の抗生剤は
この小さなシリンジで0.5mg吸い上げます
メモリが極小で老眼には見えにくいです

ダズルの経験から「ハムスターは一度病気になるともうダメかもしれない」と、月曜日は意気消沈してお別れも覚悟していましたが、ハンフリーは力強くカムバックしました。「目が開かないまま死んじゃったら悲しいね」と心配していた目は再びパッチリと開き、下痢も結局週末だけで止まったようで、ケージの中に普通の糞が転がっているのを見て安心。

目薬は治り次第終了ですが、抗生剤は一度飲み始めたら14日間続けないといけないので、朝晩小さなシリンジで飲ませます。薬はチェリー味なのでダズルは好んで舐めていましたが、ハンフリーはイヤイヤと小さな手で押しのけるので、強引に口に差し込むとハムスターなりに「ウエ〜」という表情をするのが滑稽です😄

***

長くなりますが、ここでずっと書きたかった我が家の「凍ったハムスター」の話を書きます。友達に話すと「ええっっ!」とドン引きされる凍ったダズルの話です...2年半も。

6月にダズルが息を引き取った時、東京にいた私とカリーナはひとしきり大泣きし、そしてケヴィンに私達が戻るまでダズルを凍らせておくようお願いしました。帰ってちゃんとお葬式をしようと思ったのでした。

家に帰って凍ったダズルを見て、再びカリーナと涙した後、なかなか庭に埋めることができずにいました。そして友達の「夏に埋めると腐りそうじゃない?」という一言で、「じゃあ、春に枝垂れサクラが咲いたらその下に埋めよう」ということになったのです。

ケヴィンはイギリス土産でもらった
お菓子の缶の中にダズルを入れていた
(2013年のジョージ王子誕生記念)

その年(2019年)の秋、予想外に早い降雪があり、翌年の春には果実樹の花が咲きませんでした。昨年は一年体力を蓄えた木が満開になり梨やさくらんぼも豊作となりましたが、我が家の枝垂れサクラは2年待っても花が咲くことがなく、切り倒すことになってしまいました。ダズルを冷凍庫に入れっぱなしにしたまま2年半が経過。その間何度もこっそり凍ったハムスター付きで家をAirbnbで貸し(!!)、「早くダズル埋めなきゃねぇ」と言いつつ、2021年の冬になってしまいました。

結局ダズルは冷凍庫の外で7ヶ月生きて、冷凍庫の中で約2年半眠っていたことになります。

そしてついに11月末。完全に冬になる前に埋めないと土が固くなってしまうということで、バイオグレーダブル(=基本的な成分に分解されて土に還る)の小動物用の棺桶を購入し、実行に移すことになりました。

夕焼けが美しい11月末の夕方に決行

おそるおそる2年半ぶりに缶を開けてみると、なんとダズルの毛はふさふさで、生きている頃とほとんど変わらない姿で横たわっていました。棺桶の中に紅葉の名残の葉、リンゴや人参を入れてあげました。

***

数年前友達が、子供たちが学校に行った後にハムスターが動かなくなっているのを見つけ、「子供達に見せたくないから、速攻で外のゴミ収集箱に捨てた」という話を聞いて「捨てるなんて信じられない!」と未だに思うのですが、なかなか埋葬できないハムスターの話も一般的に信じ難いに違いない...。

我が家の2匹のハムスターの話でした。

2022年4月9日土曜日

3月・・・我が家のバースデー月間

今年気づいたのですが、我が家はハムスターまで3月生まれでした。例年この時期はバースデーパーティーの企画で忙しい私ですが、パンデミック中は大勢で集まれなかったので楽をさせてもらいました。

3月11日 11歳
3月14日 49歳
3月21日 2歳(=人間の76歳)

ハンフリーだけ何のお祝いもできず(ごめんね)、ケヴィンとカリーナが春休みにコロラド中をロードトリップしながらスキーをしている間に、家に残った私とひっそりと誕生日を迎えていました。

春休み

3月に1週間春休みがありました。ケヴィンとカリーナは8泊9日2人でコロラド内4カ所のスキー場をロードトリップで周り、私は家に残り友達と食事に出たりDVDを観たりと現実逃避のひと時を楽しみました。

今や私は一緒に滑ると足手纏い。今シーズンは数日しか滑らずに終わってしまいました.....。


↑こんなコブは朝飯前

2022年2月22日火曜日

2.22.2022

今日は2が続く珍しい日だと言うのは知っていましたが、『スーパー猫の日』というのは知りませんでした。2をにゃんと読むのは、なんだかちょっと無理がないかぁ....?と思うのは私だけ?😅 でも、22時22分の瞬間はぜひ見てみたいなと思っています。

最近週の真ん中に大雪が降ることが多く、水曜日が臨時休校になったりピアノのレッスンがお休みになったりしています。今週ももれなく雪で、今回は積雪量は少ないですがものすごく寒い。


朝7時半にカリーナをバス停に送った時は、息を吸い込むと鼻毛が凍る寒さで、家に戻った後に雪かきを少しした時は、スノボ用の手袋をしていましたが10分もしないうちに手がかじかんで感覚がなくなってしまいました。

カリーナのお迎えの時間に家を出ると暖かくなったと感じたので気温を見ると、驚くことにまだ−13℃でした。人間の感覚ってすごい!

不運が続いた12月

12月は散々な目に遭いました。今となっては”不幸中の幸い”と思えるようになりましたが、3度目の災難に見舞われた時は「これは流石にヤバいかもしれない」と真剣に思い、キッチンから塩の袋を丸ごと取り出して我が家の敷地の四隅に撒きました。

***

まず12月初旬に、後続車に追突されました。

相手はシボレーの頑丈なピックアップトラックで、私は小さなミニ(クーパー)クラブマンです。コロナ渦のサプライチェーン問題のせいか修理が混んでいるのだか知りませんが、未だ車は修理ができていません。

事故の直前、左折車線で数台の車が信号待ちをしており、私は多分3台目でした。青信号で左折した直後に私の前の車が道路右側の駐車場に入るために減速したので、私も減速しながら左に膨らんでそのままその車を超えて進むはずでした。が、そこに後ろからパーン!と衝撃が。

首がガクンと背もたれに当たった瞬間に「ぎゃっ!」と叫び、一瞬何が起こったのか訳がわかりませんでしたが、我に返って「ぶつかられたんだ!」と状況を把握しました。後ろを見ると、シボレーの女性も唖然としている様子でした。

車から出るとすぐにその人が「ごめんなさい」と言ったので、「じゃあ私は警察を呼びます」と冷静に対応できた自分に、今これを書きながら改めて感心してしまいます。

「おぉ.........」

ディスパッチャーに状況を説明すると、「怪我はありませんか?」と聞かれました。パーンという衝撃音のせいか耳鳴りはしていましたが、それ以外は平気だったのでその旨を伝えました。救急車は結構ですと言いましたが、数分後にパトカーが到着して、それに続き消防車とセットで救急車まで来てしまいました(^^;)

とても明るいお兄さん達3人が出て来て、「簡単に検査をしますか?断る権利もありますけど、これ無料ですから心配しないで」。アメリカはとにかく医療費が高いので、実は内心「これって後で請求来るの?」と心配していたのでした。

「今年は何年?」「今あなたが今いる街の名前は?」「大統領の名前は?」と矢継ぎ早に質問され、頭を押さえたり手足の痺れ等ないかと簡単な身体検査をしてくれました。「大丈夫そうだけど、私の目はレントゲンではないので、万が一体調が変わったらすぐ病院に行ってくださいね」と告げられ、彼らは立ち去りました。その時に、「その牽引棒のおかげで助かったね。この車、そのまま運転して帰れそうじゃない?」と言われてよく見ると、確かにその出っ張りがなければもっと潰れてガラスも粉々だったかもしれないなと思いました。

自転車用ラックを付ける牽引棒に救われました。

相手の車を見たら、頑丈なピックアップトラックの前は何のダメージはありませんでしたが、下の部分まるで判子のようにこの四角い跡がついていました、、、。

これがつっかえ棒の働きをしたらしい

1時間ほどで現場検証が終わり、相手の保険の情報もしっかりもらったので、レポートの紙切れ一枚ををもらって現場を去りました。車は普通に動きました。

もともとこの日に出かけたのは買い物のためでした。ショックで「今日はそのまま家に戻ろう」と現場を去りながら思ったものの、これじゃ事故に遭うために家を出たんじゃないかと思うと悔しくなり、やはりスーパーマーケットに寄ることにしました。事故に遭いたての時は、後ろがひしゃげた車を運転するのも駐車するのも、穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったです。

そして、2ヶ月以上も修理の順番が回って来ずに未だこの状態で走り回っており、まだ恥ずかしいですがそこまでは気にならなくなりました。この話をすると、やはりパーツが手に入らないとかコロナ渦の労働者不足の問題で、事故後に半年以上もレンタカーを使っている友人がいるというような話が入って来るので、それに比べれば私はラッキーな方かなと思えますし、何より幸運だったのはムチ打ちにもならず、土曜日の夕方にふと思い立って1人で出かけたので、後ろにカリーナが座っていなかったことだと思います。

今のところ、3月に入ったら修理をしてもらえる予定です。それが終わったらすぐに洗車したい。。。

***

2つ目の悪運はその2週間後でした。家を出て1ブロック走ったところで、タイヤに異常があるランプが点いていることに気づきました。パンクでした。2016年からこの車に乗っているのですが初めてのパンクで、「まったくついてないなあ」と思いながらケヴィンにタイヤ交換に持って行ってもらいました。

その数日後のクリスマスイブに、ケヴィンと2人で車を取りに行きました。ケヴィンは乗って来た車でそのまま家に帰り、私は1か所寄る場所があり用事を済ませて家に帰りました。

家に帰ってガレージに停めて、帰っているはずのケヴィンがまだだったので、どこにいるのだろうと車内から電話をしながらリモコンでガレージのドアを閉めました。すると私の目の前でガレージドアがグラグラと左右に揺れ始め、ちょうどボンネットの上あたりで半分が歪み、明かり取りの窓が割れて粉々になり、上からガラスが車に降り注ぎ、ドスンと一旦地面に着地した後に30cmほどまた上がり停止しました。ドアはそのままロック機能が働いたのか、上にも下にも動かなくなってしまいました。

「ぎゃあ〜」と私が叫ぶのをケヴィンは電話の向こう側で聞き、「どうしたの?!大丈夫?!」

この状態で9日間のロードトリップに出ることに
目張りと下に詰め物をした直後の内側の様子

ガレージ内と外側に飛び散ったガラスを掃除しながら、衝撃の余韻と車絡みの3連続の不運に意気消沈しつつ「これはマズい」と思い、家に入ると同時に塩の袋を取り出しました。

実はその数日前に、追突事故とパンクのことを日本人の友達に話したら、「ガレージの前と敷地の四隅に塩を撒け」と言われていたのですがやっておらず、もしあの時にちゃんと言うことを聞いていれば3度目の災難には見舞われなかったのかなとも思ったのですが、すでに時遅し。

暗い気持ちを引きづりながらのケヴィンの両親も含めた家族でのクリスマスディナーは、自分で作ったドライ・マティーニのがぶ飲みから始まりました。続いて2杯目のワインを飲む頃には少し気持ちが軽くなり、「ガレージを、ドアの横の壁にあるスイッチで閉めていなくて良かった」と思えるようになりました。ガラスの破片はボンネットの上だけでなく、かなりの広範囲に飛び散っていたのです。そこに自分が立っていたことを考えると😱

ケヴィンが上の写真のように、ガレージの隙間を埋めてくれました。次の日からアリゾナに向けてロードトリップの予定でした。その数日後に大風の予報、その翌日は雪の予報だったので心配だったのですが、近所の人に詰め物が飛んでいないかを確認してもらうことにして、予定通り9日間の旅行に出かけました。

***

そして大風の予報だった12月30日、ボールダー市の南端で大規模な原野火事が発生しました。風速50mの風に煽られ火はあっという間に近隣の2つの市まで燃え広がり、住宅約1080棟と150の商業建物が焼けてしまいました。その火の広がり方は想像を絶するスピードで、1分間にフットボールフィールド1つ分が焼けるという速度だったようです。3万5千人が避難をし、消失した住宅街を復元するにはコロナ渦でなくとも最低2年はかかると言われており、長い道のりになりそうです。


この映像の始めに出てくるコストコは、私がいつも行く車で15分離れた隣街の店舗で、たまたまこの中に日本人の友人がいました。彼女が映像の如く避難後にアリゾナにいる私に連絡をくれて、火事のことを知りました。このエリアには4家族の友人が住んでおり、残念なことに2家族が全てを失ってしまいました。

我が家はBoulderと書かれた辺りです
                                                                              Reuters
空港からボールダーに戻る途中の友達の写真
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上と同じホテルの焼け跡
信号待ちの間に撮影  2.11.22

コストコの裏の住宅街だった場所 1.24.22
友人の家もこの中の一軒でした

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たまたま火事の発生直後に現場を通りかかった知り合いが2人おり、両方とも群の消防隊とディスパッチャーの連携の悪さを指摘していました。両方ともすぐに通報をしたようですが、その時街の北側でも別の山火事が起こっていたせいか、こちらの方は森林ではなく原野だったせいか、「ああ、わかってます」という返事をされて、なかなか消防車が到着しない間に火が広まったと怒っていました。

上の地図でもわかるように、ボールダー市はロッキー山脈の山麓の街で、街の西側に位置する山側で火事が発生することが殆どで、我が家もワンブロック先で山火事が発生するという経験を5年前にしています。その経験後、いざという時のためにグリーンカード等大切なものを1つの鞄にまとめて、すぐに持って逃げられる準備をしていますし、銀行に金庫を借りて重要な書類や貴重品はそこに保管している隣人もいます。

今回被害にあった人たちは今まで山火事とは縁がない人々だったので、なんだか私たちの身代わりになってもらったような気がしてしまい、アリゾナから家に戻った時にまるで生存者の罪悪感のような気持ちになりました。友人たちの間でも「明けましておめでとう」と言う雰囲気はなく、なんとも悲しい年明けとなりました。

とても長い話になりましたが、12月に私の身に降りかかった不運は、この火事で被害に遭った方々に比べると大したことではないと言う結論に至りました。原因は未だ調査中ですが、大きな意味で地球温暖化の影響は否めません。

<付け足し>

大風当日の我が家の前庭の写真を、近所のおばあちゃんが撮っていました。彼女は私達が留守とは知らず、写真を撮っただけだったそうで、誰かが全部元に戻してくれていました。近所は全員旅行中だったので、未だに”グッドサマリタン”は誰なのか謎のままです。


普段の様子:これが全部バラバラに飛ばされていました