3週間前の9日、私達の生活はいきなり劇的な変化を遂げました。その日の朝9時に妊娠38週目の検診にごく普通に出かけて、そこで赤ちゃんがかなり下がってきていて、羊水が急激に減っていることが判明。すぐに陣痛誘発をして赤ちゃんを産まなければならない、とドクターに告げられて、私の頭は真っ白になったのでした。
その前日に「いろいろな準備がやっと整ったから、予定日までやりたいことをしてのんびり過ごそう」と周りに言っていたところでした。。。
そのまま午前10時に入院して、午後1時から陣痛誘発が始まりました。そして24時間が経過。思うように陣痛がおこらなかったので、翌日10日の午後1時にドクターが破水さることを決定。その途端に激しい陣痛に襲われました。
2分間隔の猛烈な痛みに意識が遠くなりつつ4時間闘った末、痛みには強い方だと思っていた私も弱音をあげ、無痛分娩に切り替えました。薬が入った途端、地獄から天国に舞い上がったような気分に。ちなみにその間ケヴィンは、私の側で私の背中をさすったり、呼吸を整えるサポートをずっとしてくれていました。まさに共同作業でした。
その後同日午後8時に子宮口が全開。そこで数時間休むように言われ、午後11時から3時間赤ちゃんを体から押し出す努力をしたものの、顔が上を向いていることが判明(逆子ではなく、顔が反対を向いていました)。ひっかかっているのでこのまま押しても無理だ、というムードが漂い始めました。ドクターが帝王切開の可能性を口にした瞬間、「それはつまり、今までの苦しみはすべて意味がなかったということ?」と落胆しましたが、無駄なことをしても意味がないと夫婦で同意して、帝王切開に切り替えることにしました。誘発開始から36時間が経過した、11日午前1時過ぎでした。
ちょうどこの頃日本は巨大地震に襲わた後でした。
午前2時23分、カリーナはこの世に出てきました。しかし首に臍の緒が2重に巻き付き、呼吸をしていませんでした。後で知ったのですが、新生児のチェックポイント10点中(呼吸、心拍、脈拍、肌の色等)カリーナは1点。私はそんなことは露知らず、でもケヴィンはドクターとナースがものすごい勢いでCPR(心肺甦生)をしている姿を目の当たりにしていたのでした。そして2分後に産声を上げて、彼女はこの世に戻って来てくれました。
そしてカリーナが生まれた1週間後、ケヴィンの父島のおじいちゃんが亡くなりました。おじいちゃんがカリーナにスピリットを受け渡してくれたのかもしれません。命のサイクルを強く感じました。