日本人は日本人論が好きな民族だそうです。
夏に北海道に滞在している時、近所の図書館に足繁く通っていましたが、その時に読んだ本の中でなかなかおもしろい日本人論を展開している本がありました。私が興味を持った部分の簡単な要約をここでご紹介したいと思います。
それは『なぜ日本人は二重人格なのか』というような書名だったのですが、残念ながら書名と著者名を控えずに返却してしまい、その後ウェブ上で探しても見当たらないので正確な情報はありません。
この著者も、一般的な日本人と欧米人を「農耕民気質」と「狩猟民気質」に分けるところから理論を始めています。これは東洋人と欧米人を大まかに分別するのによく使われる手ですが、改めて読んでみると結構納得できる部分がありました。*ところで、このポストでは二重人格論には触れません
その概要はこんな感じです。
<目標の設定と戦略の立て方の違い>
農耕民族
本質的に大事なことを直感したり、正しい方向を的確に探り当て、適切な戦略を立てる点で優れている。農作物を育てるのに標的の設定・戦略に頭を悩ます必要がない。
狩猟民族狩りは最後の一瞬が勝負なので、そこに全ての集中力とエネルギーを投入する。獲物に逃げられると簡単に諦めてしまうのが欠点でもある。その反面、深追いしない、失敗に執着しないという点が長所とも言える。
<目標に向かう姿勢についての違い>
農耕民族目標達成までの根気強さが長所。
つまり、目標があらかじめ与えられており、その目標に向かって粘り強く接近。毎日同じことの繰り返しに耐えるという根強さが、生産性の向上に求められる。
狩猟民族流れを掴む勘が良い。
狩猟は目標設定と標的接近から始まる。偶然が支配する場合も多いので、臨機応変に新たな目標を設定し次に進む。狩りに粘りは必要だが、執着心は農耕民族気質よりは必要とされない。
ここまでは「ふんふん、なるほどねえ」という感じで読み進んで行きましたが、これから先が私が「これって今の日本社会そのものかも」と強く思った部分でした。
『(農耕民気質は)目標を達成できなかった時、悔いは狩猟民族気質より強い。偶然が支配することが少ないので、失敗に執着しがち。目標が見えない時、目標が揺れ動く時、方向性を見失った時に大きな弱点を露呈。』
更に続きます、、、
『物事の本質、一番大事なことからハズレ、どうでもよいこと、枝葉末節な細部に異常にこだわり、エネルギーの浪費をしがち。』
実は最近、久しぶりに「ザ・コーヴ」を製作したOPSに関わりました。日本では夏に映画が公開された後、あの話題はどこへ行ってしまったのだろうという感じですが、彼らは諦めずに地道に活動をしています。
日本でこの映画が公開された後の反応は、上の『物事の本質、、、』に近いものがあると私は思うのです。結局日本人は、この映画の撮影方法やドキュメンタリーのあり方ばかりを問題にし、この映画が訴えようとしていた大きな図(海洋資源保護に対する姿勢、水銀問題、等)に関してのディベートまで、表立ったところでは行き着けなかったような気がします。よく探せば一歩踏み込んだ記事などもありましたが、私のように目を光らせていないとあまり人々の目に触れなかったものが多かったのではないでしょうか。
日本社会の構造上、太地町に対する同情の念も理解できなくありませんし、撮影方法をどうでもよいことと言うのは語弊がありますが、感情的な部分がナショナリズムのような流れにまで至ったのには驚きでした。どうやら日本ではドキュメンタリーは中立な立場で作成するのが基本のようですが、欧米では自分の信念や主張を世の中のより多くの人に知ってもらう、というのを目的にした作品も多いのです。
2008年の冬から日米を行き来しつつ日本で長い時間を過ごしましたが、政治を含め日本の体質が変わるのは本当に難しいことだと実感しています。
日本人による日本人論を、もう少し有効利用できないものでしょうか?