3月22日の午後、私たちが住むボールダーで銃乱射事件が発生しました。
アメリカの中で、最も安全で住みやすい街として知られているボールダー。まさかここでこんな事件が起こるとは誰も想像していませんでした。実際に、その1週間前にアトランタで6人のアジア系住民を含む8人が犠牲になった乱射事件があった後、日本人同士で「怖いね」という会話がありましたが、「でも、ボールダーでは銃乱射なんて起こらないだろうから、自分たちはそこまで心配しなくていいだろう」と100%思い込んでいました。
今回の事件は人種差別は関係していませんでしが、これで銃撃事件は治安が悪いエリアだけではなくアメリカのどこでも起こりうるということが証明されてしまいました。結局のところ、アメリカ全体で銃規制をしない限りは、自分が住むエリアで銃を購入できなくても、外部からいくらでも銃を持ち込まれて事件を起こされてしまうわけです。
普通に考えればそんなことは当たり前なのですが、ここがあまりにも平和な街なので、今までそんな心配をしたことがありませんでした。なので、見慣れた風景がワールドニュースの映像や画像で流れるのを、呆然として眺める私たちがいたのでした。
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このスーパーマーケットは、私たちが2000年にアメリカに引っ越して来てから2011年に今の家に引っ越すまで、車で数分しかかからない一番近いスーパーとして日常的に利用している店舗でした。
今でも近くを通るときは時々立ち寄っていたので、何人かいた以前顔見知りだった店員さん達はもういないことはわかっており、その点は心配しませんでしたが、そのエリアに住んでいる友達が結構いるので、まさか彼らが中で巻き込まれているんじゃないかと非常に不安になりました。
お互いに安否を確認してひとまず安心後、しばらくこのニュースから自分たちを遮断しました。
この経験でわかったことは、私の場合、あまりにも自分の日常生活に近い場所で惨事が起こると、関わりを見つけたくないというある種の自衛本能のようなものが働くということでした。
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事件から5日が経過し、ボールダー市を上げて、10日間20時から10分間、犠牲者のためにキャンドルを灯して黙祷を捧げようという動きがありました。私たちもそれに賛同し、我が家では毎晩1つずつキャンドルを増やしていこう、ということになりました。
事件直後は、知り合いとの間で必要以上のメッセージが飛び交いました。人間の潜在意識の中に、事件と自分の接点を見つけようとする心理がありますが、誰が犠牲者を知っていたとか、自分がこの店に立ち寄ったばかりだったとか、私がこの近所に10年も住んでいたので、犠牲になった従業員を知っていたのではないかと尋ねられるというような余計な雑音も聞こえてきました。
ニュースのサイクルは早いもので、あれから3週間以上が経過し、友人との会話の中でこの話が持ち上がることもなくなってしまいました。しかし、私は今こそこの話題を持ち出す時なのではないかと思うのです。
3月16日のアトランタの事件から、4月15日にインディアナ州で起こったフェデックス倉庫内で8人が犠牲になった銃撃事件の間に、アメリカ国内で4人以上が銃で犠牲になった事件は45件あったそうです。
2017年にラスベガスで起こった、58人が犠牲になり546人が負傷した乱射事件後も何も変わっていないのです。
アメリカでは、銃を手に入れる方が運転免許を取るよりも簡単なのだそうです。今まで政治的利害関係や建国の理念に妨げられて進まなかった銃規制ですが、変化を必要とする時期はとっくに過ぎており、それに加えてこの国は、精神的に病んでいる人たちへもっと手を差し伸べる社会構造を考える時期に達したのではないかと思います。