2020年12月31日木曜日

ケヴィン父 コロナワクチン接種!

見よ、この筋肉を!

コロラド州も、医療従事者へのワクチン接種が12月中旬に始まりました。医者の友人が先々週に受けたという話を聞いてしばらく経った後、75歳以上の一般人への第一ラウンドが始まり、ケヴィンのパパ(=76歳)のところへ保険会社からEメールが届きました。

連絡が月曜日に来て、接種は火曜日。(メールを毎日ちゃんとチェックしていて良かった!)

病院から帰って来て、話好きのパパは友人達に電話で「ちゃんとメールをチェックした方がいいよ」とアドバイスをしていたようですが、どうやら今回のラウンドは保険会社にメール登録をしている人に対する試験的なものだったようです。

確かに電話で連絡するよりマンパワーがかからず、簡単な通知方法です。

知り合いの中でワクチン接種第一号になったパパ。年間700人近い数の知り合いに誕生日に電話をして、ハッピーバースデーの歌を送るよう人なので、普段から行いが良い人に良いことが起こるのは、なんとも気分が良いものです。

次のラウンドは、70歳以上、教員、スーパーマーケット従業員とのことなので、ママへの順番も早く回ってくるよう願っています。

2020年

去年の大晦日には、まさか今年がこんな年になるとは夢にも思いませんでした。しかも私はあの晩に喉の痛みを覚え、元旦に家族にお雑煮を作って食べた後、1月4日の昼まで寝込むことになりました。普段は熱が出ても薬を飲めば大体1日で治るのに、あの時は丸3日間薬が効かずにベッドの中で寝たきりでした。熱であんなに寝込んだのは生まれて初めてでした。

発症する数日前にバスに乗ってデンバーまでお雑煮の材料を買いに行ったので、その時にインフルエンザが移ったんじゃないかとずっと思っていましたが、その後ケヴィンや友人達に「あれ、コロナだったんじゃないの??」と冗談半分で言われ、どうやら12月中にアメリカにもウィルスは入って来ていたと聞くと、まさか....?

(「じゃあもしそうだとしたら、どこからそのウィルスが来たわけ?」とその前の週に何が起こっていたかを思い起こすと、ケヴィンがロスを経由してニュージーランドから帰って来ていました...。)

この直後にダウン

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今年、私の運の強さが発揮されたと思われた出来事は、実は日本で初の感染者が見つかる直前の1月中旬から1週間ほど、1人でお忍びで日本に帰国していました。

たまたま12月上旬のサイバーマンデーに、ユナイテッド航空がマイレージ航空券の大幅割引をしていることに気づきました。普段の半分のマイレージで往復できると知って、「とりあえず予約しておいて、ケヴィンとうまく調整がつかなかったらキャンセルすればいいし」と思って予約したが最後、この私がそれを諦めるはずがなかったのでした。

妹夫婦と食べた今年初のお寿司

ところが年始に寝込んでやっと起き上がった後に、副鼻腔が詰まった感じがして「これで飛行機に乗って大丈夫だろうか?」と心配になりました。以前に風邪気味で旅行をした時に何回か、飛行機着陸後に最長1週間耳が通らなかった、という経験をしているので(そして気圧の変化と共にあのどうにもならない強烈な痛み!)、それを思い起こすと不安になったのです。

その後1週間で出発できるか微妙な感じだったので、妹夫婦と親友以外にはギリギリまで日本行きを知らせず予定も立てず、という状態でした。

たまたま他のことで医者に会う予約があったので、専門は違ったものの意見を聞いたところ、鼻スプレーを勧められました。早速鼻が詰まって苦しい夜間に使ってみたところ、一瞬にして鼻腔が開き「これで大丈夫だ」と確信したのが出発の3日前。そしてこの計画は決行となったのでした。

山種美術館にて

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鼻スプレー、風邪薬、のど飴、、、思いつくものを全て持参して飛行機に乗り込み、問題なく東京に到着。その後も咳止めの漢方薬を服用しつつ8日間時間を無駄なく使えました。「ちょうど私と入れ替えに、春節休暇の観光客が来るんだね」と今思えば呑気なことを言っていましたが、あっと言う間に状況は急変。その後約1ヶ月かかってその波がアメリカにも押し寄せたのでした。

日本滞在中に、いつものように買いだめをしましたが、「5月にまた来た時に買えばいいか」と思って買わなかったものがそれなりにありました。

今回の教訓:買えるものは後回しにせずスーツケースに入るだけ買っておけ

私の周りの日本人は、春から夏にかけて一時帰国する人が多く、3月ごろに「ああ〜ついに手持ちの物資が底をついてきた〜」と嘆いていました。みんな自分の帰国日程に合わせて貴重な日本の製品を1年間小出しで使っているんだなと(涙)

2月末頃にはまだ、「5月末だったらいけるんじゃないか」と思っていましたが、その後状況は良くなるどころか悪化の一方。2021年ももしかして6月頃はまだ無理ではないかと思い始めてきましたが、オリンピックは一体どうなるんだ??

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我が家のフェンスの花
水仙→アヤメ→クレマティス&コロンバイン

というわけで、2020年は1月に日本へ行った以外は一歩もコロラド州から出ないで終わりました。そのお陰で普段見逃す夏の花を楽しめ、6年ぶりに冬のキャビンへスノーシューで登りましたし、夏の静かなスキー場でハイキングをしたりしました。そういう意味では貴重な年だったと思います。

標高3300mに向けて1時間の道のり


夏のスキー場のスロープをハイキングで逆上


そして何よりも、家族が全員元気でいれれたことに感謝しなければいけません。

皆さま、良いお年をお迎え下さい。

師走

ホリデイシーズンの我が家の周りの様子です。今年は早くからクリスマスライトを点ける家も多かったです。


こちらは、ここから車で30分ほどの郊外の個人宅。カーステレオである番号に設定すると音楽が流れていて、それに合わせてライトショー状態です。これはステージ関係の仕事をしたことがある人のやることではないか?と私は思うのですがどうなのでしょう?30分で音楽が一周します。



12月も引き続きオンライン学習でした。
前にもちょっと書きましたが、今回は韓国からお父さんのお仕事で約1年半こちらに滞在予定のクラスメートを誘って、週2回合同学習にしてみました。去年の8月末から3月上旬まで学校に通ってせっかく英語を覚えたのに、自宅にずっといるのでは気の毒です。少しでも彼女の滞在を楽しいものにしてあげられたら良いなと。そしてこの子がとっても優秀。さすが研究者のお子さんです。

なぜか頭にパンツをかぶってオンライン授業を受けるカリーナ


ケヴィンの仕事チームのオンラインクリスマスパーティーの様子。クリスマスソングの歌詞を今年風にアレンジして歌い、ギラギラのコスチュームで披露していました。


今年は初めてカリーナと2人でクリスマスクッキーを焼いてみました。このスイス風クッキーを焼くのはほぼ10年ぶり!


ケヴィンの両親にプレゼント


そしてクリスマスイブ。今年もプレゼントはシンプルにしようと言っていたにも関わらず、ツリーの下は所狭しとプレゼントが並びました。


しばらく誰とも接触していなかったので、クリスマス当日は家族全員でプレゼントを開けました。その後ケヴィンはバタバタとスキー場へ。(道連れとなった気の毒なカリーナ)



クリスマス翌日は、気温が16℃まで上昇。もしかすると私が2000年にここに来て以来最も暖かいクリスマスだったかもしれません。

友達と半袖でハイキング!

上の写真を取った直後に山から1時間半走って降りてくるケヴィンに遭遇😂

ハイキング後はワインとチーズ
歩いている時間より喋っている時間の方が3倍以上?


アメリカに住んでいても、やはり日本人として一年のけじめはつけたいと毎年思うのですが、周りがパーティーやスキーのことを考えている時に大掃除をするのはいつも大変。

今年は社交行事がないのである意味楽なはずだったのですが、いざ掃除をしようと思っていた週末があまりにも暖かかったせいで時間差で友人達が我が家のポーチに集まり、それ以外にもやるべきことが終わっておらず、結局2階まで手が回らず心残りでした。それでもカリーナの手を借りて、できるだけ掃除をして一年を締めくくりました。

2020年12月22日火曜日

野ネズミ捕獲&解放の日々

*2021.1.4. <アップデート>
物置に今シーズンまだ出していないダウンジャケットを取りに行ったら、フードのファーの部分が全てかじられていることが発覚(愕然)。巣作りに使われたものと思われます...。


秋の話に戻ります。

ある朝、前の晩に使ったため蓋が開けっ放しになっていた檜風呂(我が家の1階にはカスタムで作られた檜風呂があります)の蓋を閉めようとしたケヴィンが見たものは、なんと野ネズミ!

どうやら夜に誤って中に入って出られなくなったらしい

ケヴィンを見て慌てたそのネズミは排水溝に入りそうになったので、彼が咄嗟に水を出して反対側に行かせようとした為に水を浴びて、文字通り濡れネズミになってしまいました😓

どうやって捕まえようかと考えた結果、靴箱で捕まえて道を渡った反対側の教会に逃すことにしました。

チーズをあげてみました(食べなかったけど)


あまりにも可愛らしいので毛づくろいをする姿をしばらく眺めていると、動きがハムスターにそっくりなことに気づきました。やはり同じ齧歯類なのだなあと感心。ちなみに、こちらはうちのハムスターの動き。



***

その10日後、キッチンの横の食材置き場からコーンスープの入った箱を取り出し中を覗くど、ぎょぎょっ👀小さなネズミの糞のようなものが入っている!

この糞のサイズだと、あの時に逃した野ネズミが戻って来たのかなあと思いつつ、コーンスープがあった場所に戻ってカートを動かしてみると、小さな糞と噛みちぎられたキャンディーの包み紙が散らばっていました。外のソファの下にドブネズミが住み着いたり、家の中に野ネズミが入って来たりするのは決まって寒くなるこの時期です。

現場近辺のものを全てどかしてみると、このネズミは甘いものしか食べていないことに気づきました。その直前の5日間の旅行中に砂糖の味を覚えたようで、犠牲になったものはハイチュウみたいなキャンディー3つ、カリーナが大切に取っておいた日本のマンゴー飴1つ、ケヴィンのチョコレートの一角のみでした。

小さなネズミにとっては相当な量。周りにクラッカーや穀類もたくさんあったのに、全く手をつけていないということは、重度の砂糖中毒になってしまったのではないかと不安になりました。

午前中1時間以上かけてそのエリアを掃除する羽目になった私は、あの可愛い野ネズミでも殺意を覚えましたが、動物愛護の第一人者のカリーナは頑として殺さない方法をと訴えた為、生捕りにして殺さないネズミ捕りを仕掛けて夜を迎えました。

23時頃にコンピューターに向かっていると、横でカチンという音に驚いて思わず椅子の上で飛び上がりました。その後カサカサと音がするも、しばらくすると静まり返ったので、恐る恐るネズミ捕りを見るとやっぱり入口がしまっており、持ち上げてみると中からの動きは感じないけれどそれなりに重くなっていました。その晩は、一晩置くのは気の毒だと思いつつもベッドに入りました。

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「カリーナ、ネズミ捕れたよ」
と言うと、普段ベッドでだらだらしている人があっと言う間に飛び起きました。

以前、「ネズミを逃すのなら、何マイルも先まで連れて行って放さないとまた戻ってくる」と誰かが言っていたので、今度は道を渡ったところではなくちょっと離れた公園に行くことにしました。

「じゃあ、オンライン授業が始まる前に行くか!」
カリーナと2人で車に飛び乗り、1マイルほど離れた公園に向かい、入口を開けると、、、

さようなら〜!

前のネズミの写真とよーく見比べると、やはり同じ種類のネズミのようです。ネズミは1匹捕まえると複数潜んでいることがあると聞いた通り、その後3匹捕まえて逃しました。最後の目撃は、トイレに座っていたケヴィンの前に出現し、目があった後にまた小さな隙間に戻ったそうで、結局その後は戻ってきていません。冬になったので動きが鈍くなったのかもしれません。

3匹捕まえたうちの1匹は、うっかり14時まで逃すのを忘れてしまい、入り口を開けたら出てこないので中を覗いたら、奥で丸くなって眠っていました😂 叩いても振っても出てこないので、小さな枝で突いてまた振って中を再度覗くと、今度はネズミ捕りの両方の壁部分に脚を踏ん張らせて落ちないように頑張っていた!


うちから1ブロック先で老人ホームを建設している大きな工事現場があるので、もしかすると今年はそこから野ネズミが流れて来たのかもしれません。住む場所を奪われた野ネズミにとっては災難ですね。

2020年12月18日金曜日

さようなら アシャのプレイメイト達

数日前に友人のインスタグラム(以下IG)の投稿で、「今年は別れの年でした。父、仕事、そして次は可愛いマイガール.....」と書いてあるのを見て、彼女の愛犬のハスキー犬タシャが亡くなったことを知りました。彼女は去年から今年にかけて人生の大きな変換期に差し掛かり、そうでなくても大変な思いをしていたので、IGにコメントを残すのではなく直接連絡してみることにしました。

アシャとタシャ
2009年 10月


先ほど、別の友人から来たクリスマスカードをじっくり眺めていたら、いつものように写っている愛犬シンガの写真の下に小さく「2009~2020」と書いてあることに気づき、「おお、ここも...」

昨日IGの彼女に連絡する際、懐かしいタシャの写真を送ろうと思い2009年のアルバムを見直している時に、シンガの写真も久しぶりに見たところだったのでした。

シンガ
2009年 11月

この犬は本当にやんちゃで、当時の自分のブログを今読み直して「ああ〜、そうだった〜!(涙&笑)」

どれほどやんちゃだったか興味がある方はこちらを→シンガ襲来(注 トップにこの12/18の投稿が出ますが、下にスクロールダウンすると続いて2009年の投稿が出てきます)お預かり中のドタバタが細かく記録されています。


秋には別の友人夫婦の愛犬レイブンも亡くなり、そのアナウンスメントのEメールを読んで寂しくなったなあと思っていたところでした。飼い主達はみんな私達と同世代。私達がイギリスから本帰国した2005年頃に知り合い、3組ともその後ほどなくして結婚して犬を飼ったので、この3匹の犬達はアシャよりかなり年下でした。

我が家はアシャがいなくなって6年。未だにアシャはいい犬だったねえ、と話ながら、犬の寿命がもうちょっと長ければいいのに、と思うのです。