2010年2月26日金曜日

サンフランシスコでの1日半

もう3週間前になりますが、サンフランシスコ(SF)に行った時の話。またケヴィンの出張に便乗しました。火曜日の夜にin、木曜日の昼にoutというショートステイ。しかも1泊目はSFから若干南のケヴィンのオフィスの近くに泊まり、水曜日の朝電車と地下鉄を乗り継いで先に1人でSF入り。翌日もケヴィンより一足先にコロラドに帰りました。ケヴィンが本社でプレゼンをし、SFでお客さんを回っている間にに遊んでいて申し訳ないなと思いながら、つかの間の滞在を楽しみました。

まるでもものような花が満開でした

水曜日はスプリングコートで歩ける程の小春日和。さっそくミュージアムへ向けて出発。しかし、なんとこの街は水曜日はほとんどのミュージアムが休館だったのでした。。。何年か前にも全く同じ経験をしたのに、忘れてたー!

仕方ないのでウロウロと歩き回り、そろそろ買い物にでも行くかなと思った矢先、目についたこの建物を見て咄嗟にピンと来ました。これはデンバー美術館をデザインした人と同じに違いない。調べてみるとこの現代ユダヤ美術館は、やはりダニエル・リベスキンドによってデザインされたものでした。彼自身もホロコーストから逃れた両親を持つユダヤ系アメリカ人です。

この人のデザインする建物って斜めのものが多く、デンバー美術館が数年前にオープンした時は、建物の中で目眩を覚える人が続出。何を隠そう私もその1人でした。

こちらがデンバー美術館

結局ミュージアム系は全滅だったので、パロアルト在住の仲の良い友人Aさんとの待ち合わせまでの数時間、久しぶりに買い物に走りました。とりあえずデパートに行ってみるものの、欲しいものはすべて予算オーバーで手が出ず(涙)。結局H&Mに吸い込まれました(←何も心配せず、超伸び伸びと買い物ができた♪)。ちなみにこの店舗はガラガラでした。

Aさんと9ヶ月振りの再会を祝い、素敵なレストランで乾杯。

Aさんが食事をする場所はすべて選んでくれ、私が行きたいエリアに行くバスの路線までしっかり調べてきてくれました。彼女のブログ いまここ・らいふにとても詳しい1日の流れが出ていますので、そちらも合わせてご覧下さい。ここFilmore Street はツーリストエリアから離れていてお洒落なお店が多く、私はとても好きです。

この日は2人で、ランチ→ショッピング→ハッピーアワー→ディナー→ケヴィンとお客さんに合流、という流れになりました。ハッピーアワーは「1杯飲んで1杯タダ」という所へ行き、2人で1杯ずつのはずが、1杯目が空になったら全く同じ物が自動的に出て来てしまいました。すでにランチで1杯、ここでマティーニ2杯、ディナーではおとなしめにと思いつつ、結局2人でワイン1本を空にしました。。。Aさんと一緒にいると、楽しくてついついお酒が進んでしまいます。

翌日はどんよりと曇りで、街を去る頃には霧雨が降ってきました。これはGrand Hyattの部屋からの眺め。

NYCもそうですが、ここもチャイナタウンとイタリア人街が隣同士。

ここは、いつ来てもおもしろいなと思う風景。2重構造でしかも上が坂道というところがSFらしいと思いません?

これは路面バスの中でチャンスを待ち構えて撮った、坂を登る様子。同じ場所の往復で、坂道か平坦な道を行くかの差で時間が倍くらい違いました。やっぱり登るのは大変なんだ、と身を持って体験。

Aさん、楽しい一日をありがとう!次はもっとのんびり滞在したいです。

2010年2月25日木曜日

耳を疑いたくなるような質問

昨日ピラティスのクラスでインストラクターにされた質問があまりにもキョーレツだったので、ついついここで披露したくなってしまいました。

昨晩は急に用事ができたので、30分でクラスを早退することを始めに言っておいた私。ちなみにこのインストラクター(♀ 約50歳)は天真爛漫で教え方も上手いので、過去3年間彼女のクラスに通っています。クラスに来るメンバーも、3年間ほぼ同じ顔ぶれ7−8人。

昨晩の用事は日本人の友人達と待ち合わせて、映画のスクリーニングでした(この話はまた後ほど)。私が日本人と集うと知った彼女は、「その後お寿司食べに行くの〜?」といつものように明るい。しかし、次の質問は・・・

「ところで、どうしてあなた達日本人って集まると英語しゃべらないの?」「え?」。一瞬耳を疑い質問を半分復唱し「どういうこと?もう一回言って」と質問の意味を確かめる私。彼女の質問は文字通りでした。どうして日本人同士では英語をしゃべらないのか、と。

「あなただって、アメリカ人同士でフランス語(話せたら、ですが)でしゃべったりしないでしょ?」「だってアメリカにいるから」

そこで彼女の横にいた生徒の1人(♂)が「そうじゃなくて、フランスにいたってアメリカ人同士では英語で話すでしょ」と呆れ顔で助け舟を出してくれました。その向こう側にいる女性2人は混乱した表情で成り行きを見守り、私の真横に居た子は気の毒そうな顔を私に向けている。

「外国語を話すのって大変なのよ」と私。「ユーモアのセンスとか格段に落ちたりするのよ。だからいつも私まじめでしょ?」とニヤリとしながら言いつつ(これをサーキャズムと言います)、外国語を話す概念がない人って、こういう質問をしちゃうんだ、とびっくりしながらクラスを去ったのでした。

ちなみに、今朝の筋トレのクラスのインストラクターは陽気なメキシコ人(♂約50歳)。今日クラスに来ていたメンバーは、メキシコ人、メキシコの大学で2年勉強したことがあるというアメリカ人と私だけ。さっそくこの話をしてみんなで盛り上がりました。

2010年2月23日火曜日

思い出深い1ヶ月間

この1ヶ月間、久しぶりにアメリカの東と西へ旅をし、サンフランシスコで仲の良い友人に会い、そして東京から念願の親友夫婦のコロラド訪問、という大イベントもありました。旅行&計画や大切な友人達との交流、ビーチホリデイに向けてのシェイプアップ(←まだ気合いが入っています)、という日々を送るうちに2月も残りあとわずか。今年も6分の1が終わりです。

親友夫婦滞在中の記念すべき出来事の1つは、彼らが建設中のログキャビンまで行き着いためての日本人となったことでありました。冬は車ではキャビンまで行けないので、駐車場からスノーシューもしくはスノーモービルで4km上まで行かなければなりません。標高は3300m。空気はかなり薄いです。

ログキャビンを一緒に作っている友人達と更に別の友人夫婦、総勢9人でキャビンへ向かいます。木曜日の夜にコロラドに到着し、金曜日はボールダーで勢力的に動き回り、土曜日には雪の降り積もる中先頭を切ってキャビンまで歩くY夫妻の体力にみんな脱帽。

コロラドだからこそできること、ということで、この後スノーモービルに初挑戦し、その翌日はスキー場へと忙しいお2人(よく頑張ったね−)。ちなみに、その日スキー場の頂上は−35℃という寒さでした。

いろいろ見て経験してもらいたいとう私達の思い入れもあり、とんでもないハードスケジュールになってしまいましたが、やることリストはすべてクリア。5泊6日があまりにも現実離れした毎日で、ホストしている自分たちもホリデイ気分になってしまうほど。後で全行程を振り返り「時間ってこんなに有効に使えるんだ」と改めて驚く私とケヴィン。ここに書いてあることは、やったことのほんの一部です。

いろいろ食べて、いろいろ飲みました。

(上&以下2枚、Y夫妻撮影)

アシャもとってもかわいがってもらい、いい写真もたくさん撮ってもらいました。2人が帰ってしまった後はゲストルームで半日寝ていた彼女。よほど淋しかったのか、いくら呼んでもそこから頑として動かなかったのでした。

また遊びに来てね♪

2010年2月9日火曜日

日本と日本のイルカの行く末 4 <ザ・コーブ>

昨日のOPS(海洋資源保護協会)の発表によりますと、日本での『The Cove』の配給先が決まり、4月頃の公開が検討されているそうです。ここしばらくこの問題についていろいろ考えてきましたが、アカデミー賞にノミネートされ、そしてついに日本公開が決定。状況が変化してきました。

これを機に、日本のメディアとジャーナリストがもっとイルカ漁に関する情報を流すことを期待しています。私が今まで目にしたものはあくまでもワンサイドからの情報なので、もう片方からの見解にとても興味があります。今まで日本語で読んだものは感情的なものが多かったので、冷静な態度で日本の姿勢を世界に向けて発信してほしいと思います。

「この映画の撮り方は強行だ」と言う人も少なくないようですが、結果としてこの映画は、多くの日本人すら知らなかったイルカ漁の実態を明らかにし、私達に考えるきっかけを作ってくれました。そして、私は映画を観ていて「日本人は野蛮だ」というメッセージは全く感じませんでした。監督はあるインタビューでこのように語っています。

『「ザ・コーヴ」は私にとってはただの「入り江」についての物語ではないのです。もし観客がストーリーの展開に注意を払って、そして私がちゃんと映画作りの仕事をしていれば、物語は徐々に大きくなっていき、ついにはそれが日本の問題ではなく世界中の問題であることを理解出来るはずです。わたしたち全員がその問題をつくっているのです。』

私がこの映画を観たのが年末。拒絶反応→ケヴィンに説得されてそのまま鑑賞→沸き上がる疑問→イルカを救いたい、という心境の変化があり、翌日にはこの映画を作ったOPSという団体に500ドルの寄付をしました。その後6週間、いろいろな記事を読み、いろいろな人と意見を交換し、そしてこのブログにあくまでも1つの意見として書かせてもらいました。

最後に、この写真を載せるべきかどうか悩みましたが、やはり載せることにしました。

監督でOPSのエグゼクティブ・ディレクターでもあるルイ・シホヨス氏のインタビューに興味がある方は、こちらをご覧下さい。

ルイ・シホヨスPart 1
ルイ・シホヨスPart 2

2010年2月8日月曜日

日本と日本のイルカの行く末 3 <ザ・コーブ>

『The Cove』ではイルカ類の肉の毒性についても強調しています。日本における魚介類水銀含有の暫定基準値は銀水銀で0.4ppmのところ、イルカ肉はその5倍から場合によっては5000倍を含むというのです。映画の中でイルカに蓄積される水銀の危険性を裏付けする報告が、日本人によってされています。太地町ではこれを機に、学校給食が見直されたり住民の水銀値を調査する動きが起こっているというので、信憑性が高まります。

日本では捕鯨は文化の一部と考えられており、イルカ漁もそれと同じだという考え方が存在するようです。その考えに基づき、「ではイヌイットがアザラシを食べたり、スペインの闘牛や、アフリカのゴリラ狩り、イギリスのキツネ狩りはどうなんだ」という意見に対して私の意見を述べたいと思います。

捕鯨問題に関しての私のスタンスですが、私はシーシェパードの行為は行き過ぎだと思っています。そして日本における捕鯨の歴史に関しては敬意を持っています。日本人は油のためだけに捕鯨をした欧米人とは違い、獲った鯨をたんぱく源にし、油はもとより皮やヒゲは工芸品になり、全く無駄なく使ったいうのを読んだことがあります。しかし、現在それを続ける必要があるかどうかは、モラルの問題ではないかと思います。

イルカに関しては、やや状況が違う気がしてならないのです。水族館用のイルカの供給は世界中からの需要があるので仕方がない気がします。でも、残ったイルカを皆殺しにする必要があるのでしょうか?(*水族館に生きたまま売られるのは、全体の1%だそうです)しかも、殺されたイルカすべてが食用になるわけではないようなのです。これは命の無駄ではないでしょうか?

先進国の日本には他にもたんぱく源のチョイスがありますし、ましてや人間に危険な肉を食べる理由が見当たりません。イルカが近海にそんなにたくさんいるのなら、それを別の方法で収入源にできないのでしょうか(世界からの観光客を相手にエコ・ツーリズムとか)?捕獲数が減ることにより収入源が減る太地町が気にはなりますが、でも残念ながらこれはエコノミックスであり、いい例が近年の自動車産業です。需要が減れば供給もなくならざるを得ないのが、世の中ではないのでしょうか?

その他の動物保護の動きに関しては、まず闘牛ですが、こちらも動物保護団体の努力とモラルの観点から、最近は闘牛を見に行く若者が減少しているようです。イギリスのキツネ狩りは2005年から禁止になっています。アフリカではゴリラ狩りをする場所がまだあるようですが、700頭しか残っていないマウンテンゴリラを食用にしていたコンゴの反乱軍は、2007年に狩りを停止することに同意しています。

世界は動いています。文化・伝統も時代の流れと供に変わることは、各国の歴史が物語っています。私は日本に帰るたびに、特に東京の姿が着々と変化することに驚き残念に思うことがよくあるのですが、日本には、イルカ漁の伝統よりも守るべきものが他にあるのではないのでしょうか?

2010年2月7日日曜日

日本と日本のイルカの行く末 2 <ザ・コーブ>

イルカは集団で行動する優秀な海洋哺乳類と言われており、野生の生き物の中で唯一人間を助けるとも言われる動物です。

試しに日本語で「The Cove」を検索してみると、あちこちのウェブサイトでこの問題に関するいろいろな意見が飛び交っていました。その中で一番多い意見は「野生のイルカを殺して食べてはダメで、牛や豚など家畜は殺して食べても許されるのか」というものでした。

私の意見は、かわいそうですが家畜はあくまでも家畜で、食肉になるために人間によって生産され飼育されるもの。しかしイルカは家畜ではなく、養殖されることもなく自由に海の中で生きる生き物です。牛・豚・鶏には気の毒ですが、海の中を自由に泳ぎ回るイルカと彼らを同じレベルで比較するのは根本的に無理があるような気がするのです。

日本語のサイトをいろいろ読んで気になったのは、「欧米人に日本文化についてとやかく言われる筋合いはない」というプライドと感情的な部分が先立ってしまい、この問題の核心が見失われてしまっているのではないか、という点でした。そして日本には「プロテスト」という考え方があまり浸透していないため、外国人によるこのような行為を「バッシング」と受け止めてしまう傾向があるように思えます。

アメリカでは国内のジャーナリストやフィルムメーカーがいろいろな業界を取り巻く問題を調査し、人々に疑問を投げかけるドキュメンタリーや映画を作り自国批判をどんどんしています。数を挙げればきりがありませんが、日本で最も知られているのはマイケル・ムーア監督の映画ではないでしょうか。彼のメッセージが正論かどうかというのは個々の受け取り方であり、重要なのはその問題について人々が考えることではないかと思うのです。

「欧米人の価値観の押しつけだ」という意見もかなり目にしましたが、しつこいようですが、私の知っている限りアメリカやイギリスは自国批判をかなりしています。

『Food Inc.』(2009年米国)というアメリカの畜産業の実態を暴いたドキュメンタリー映画では、アメリカの大手食品メーカーによって支配された養豚場での残虐な屠殺シーンをしっかり見せています。大量の豚が1つの部屋に集められ、悲鳴を上げながら動く壁に押しつぶされて死んで行くシーンを見ると、肉を食べるのは罪ではないかと一瞬思ってしまう程です。しかし私はベジタリアンではありませんし、他人に肉を食べるなと強要もしません。でも、肉を断てない自分にできることは何かと考え、極力大手メーカーの肉は裂け、信念を持って家畜を育てる畜産家の肉を購入するようにしています。

日本人は批判を嫌がる民族の1つと言われていますが、プロテストと批判を混同しないよう注意する必要があるのではないかと思います。これは捕鯨問題とも若干違う気がするのです。

次のポストでは、イルカ肉の危険性の角度からこの問題を考えたいと思います。

2010年2月6日土曜日

日本と日本のイルカの行く末 1 <ザ・コーブ>

『The Cove』がアカデミー賞の候補作になりながら、日本語で検索するとそのニュースがほとんど出てこないのはなぜでしょうか?

このドキュメンタリー映画は、60年代に有名になったイルカ「フリッパー」のトレイナーだったリチャード・オバリー氏が率いるアクティビスト・グループが、日本でのイルカ追い込み漁の実態に迫るという内容で、その舞台は和歌山県太地町。監督はナショナル・ジオグラフィック誌の元写真家で、現在OPS(海洋資源保護協会)のエグゼキティブ・ディレクターのルイ・シホヨス氏。

この映画が昨年7月末から上映された欧米諸国では当然のごとくイルカ漁への批判が高まり、日本国内では「地元民の感情を踏みにじった隠し撮り映画」「ジャパンバッシングだ」と非難囂々。11月の東京国際映画際では、太地町が「名誉棄損」だとして上映中止を申し入れたものの、主催者側は「表現の自由」を主張。海外ですでに多くの賞を受賞していたこともあり上映されました。

私も12月末にこのDVDを観た後この話が気になり考え続けていたところ、1月に米放送映画批評家協会の2009年ドキュメンタリー賞を受賞。そして先日のアカデミー賞候補のニュース。日本ではまだ配給会社が決まらない様ですが、今後世界中の人が日本人の私ですら最近まで知らなかった太地町の名を知ることになりそうです。

この映画の始まりは、外国人クルーが太地町に潜入し警察に尾行されながら撮影を進めるシーンから始まります。それまでの背景を知らずに見ると、自分の家の中に土足で入られるような不快感を覚えます。地元の警察が相手に合わせてわざわざ英語で質問しているのに、その応対はそっけなく敬意を感じない。しばらくケヴィンに説得されながら映画を見続けました。

ところで、日本が世界中のほとんどの海洋公園や水族館、そしてイルカと一緒に泳ぐ施設へイルカを供給し、このアクティビティーの中心になっていることをご存知でしたか?実は私は日本でイルカ漁が行われていることすら知りませんでした。日本では長い間イルカは「魚」として扱われてきたため、今だにイルカ漁と言われるようです。毎年23000頭のイルカが日本で殺されているというのです。

音に敏感なイルカ達を、騒音を出す何隻もの漁船が囲い込み入り江に追い込む。イルカのトレーナー達がやって来て欲しいイルカを選び、水族館に売られて行く。残ったイルカは驚いたことに一頭一頭モリで突き刺され、苦しみながら死んで行く。そしてその肉が市場に出回るというのです。映画ではその肉は「鯨」と表示されて店先に並んでいると説明しており、そう言われれば「イルカ肉」なんて見たことがないな、とも思う。

しばらく見続けていると、いろいろと疑問が湧いてきました。一番大きな疑問は、どうして水族館に売られなかったイルカを逃がしてやれないかということ。

この話は長くなりそうなので、次のポストに続けたいと思います。

2010年2月1日月曜日

番外編:NYCで手に入れたもの

最近は旅行中にあまり買い物はしませんが、気に入ったアートワークを見つけたら即買うことにしています。

楽譜を探すのならシアター・ディストリクトにあるColony Recordsをお勧めします。あんなに楽譜を置いている店に足を踏み入れたのは初めてでした。店内がジャンル別に分類され、その中で今度は楽器別に分類されています。場所柄ミュージカル関係の楽譜の種類も豊富でした。そこでアメリカでは楽譜が妙に安いというこに気づき、ジャズピアノの楽譜を3冊購入しました。

Colony Records
Neighborhood: Theater District
1619 Broadway(between 49th St & 50th St) New York, NY 10019
(212) 265-2050

NYCにはユニクロがあるので、そこで$9.90に値下がりしたヒートテックを2枚購入♪ 日本では品薄になっていると友人から聞きましたが、NYCには山のように置いてありました。お店の規模は予想以上に大きく、あれは多分少なくとも3フロア。ものすごく混んでいた上レジは日本のようにきびきびしていないので、列での待ち時間は約10分でした。

これでNYC編はおしまい。明日は西へ飛び、2泊3日でサンフランシスコへ行ってきます。

ご用心!チャイナタウン

「洗吹」「電髪」!

いくつか前のポストの中でもちょろっと書きましたが、木曜日の夜にNYCに到着後からひたすら歩き回り、土曜日の夕方チェルシーマーケットでお茶をした時にはかなり疲労困憊していた私。もともと歩き回るのは平気なはずなのに、履いていたブーツのせいかそれとも歳のせいか・・・

それが午後5時。ディナーの予約が8時だったので一瞬ホテルに帰って寝ようかと思いましたが、結局そのまままた歩き続けることに。しかもケヴィンの提案で、チャイナタウンを抜けてアンファン・テリブルまで歩く羽目になりました。

ディナー後駅まで歩く途中に「あ〜足のマッサージしたいな〜」と私。「ねえ、チャイナタウンを歩いている時にいろいろ看板なかったっけ?」とケヴィン。その後数分も歩かないうちに「Back and Foot Rub」という看板を見つけ、吸い込まれるようにその店に入ってしまいました。

ワインを1本空けた直後でしたので「ONLY 20 minitues」と私は強く言ったものの、「1 hour, YES?」とおばさんは強引。それでも時間がないと言い張り、20分ということで合意。ケヴィンは足だけでよいと言い、私はバッグを持つ肩も疲れていたので肩を少しと足、ということでマッサージ開始。この時点では何も考えなかったけど、ガラガラの店内で2人バラバラの階に連れて行かれたのが後でネックになったのでした。

アラームをセットして背中マッサージを始めた私担当のお兄さん。しばらくして背中と肩に時間がかかりすぎなので「そろそろ足へ」とお願いし、一瞬ウトウトしてしまいました。アラームの音で目が覚めると「左足は終わったけど、もし右足もやりたかったら10分延長だよ」と言う。ずるいことをするものだと思いつつ、アンバランスにマッサージを終わらせるわけにいかないのでしぶしぶ30分に延長。私はそれで終了。そこで「だんなさんも延長したみたいだよ」と言う。いつ誰から聞いたのよ?

支度をしてフロントに出ると、ちょうど地下室からお兄さんが戻ってきて「だんなさんは40分に延長したらしいですよ」とニコニコしながら言い、「肩を中途半端に終わらせちゃったから、あんたもあと10分やってだんなさんに合わせたら?」。こいつら・・と思いつつマッサージチェアーに座った私でした。

40分きっかり経過後、下から「寝ちゃったよ〜」と言いながら上がってきたケヴィンを見てびっくり。顔がパンパンに腫れている!彼はマッサージ開始後すぐに眠りこけたようで、ウトウトしている時におばさんに「あともう1人呼んで2人で合計40分やってあげるよ」という囁きについ同意してしまったらしい。私の隣にいたらそんなことはさせなかったのに、と思いつつ、おばさん2人分とお兄さんの分計120ドルを支払い、夜中のチャイナタウンを去ったのでした。

ちなみに効果の方は、若干体が軽くなった気がしたような、しないような・・・。