2008年12月25日木曜日

札幌よりメリークリスマス

テレビ塔-大通り公園のクリスマスライトアップ。生まれて初めて大通り公園へ。

サッポロビール博物館のクリスマスデコレーション。レンガ造りの建物が日本らしくない雰囲気をかもし出す。

ビール博物館の中でおりがみでオーナメント作り。サンタを作ったのはケヴィン、トナカイは私。

みなさま楽しいクリスマスと良いお年を。

ケヴィン、日本食を堪能(その2)

待ちに待ったお寿司。回転寿司のチェーンの「はな丸」時計台店にて。札幌に住む大学時代の同級生が、ここは回転寿司ではなく普通のカウンターがあって雰囲気が良い、と言うので行ってみて大正解。新鮮なお寿司を破格で。家族4人で大満足。

板前さんが他では食べられないものをどんどん薦めてくれた。これは「ちゃんちゃん焼き」。味噌とねぎを乗せて炙ったサーモンの腹の部分、ものすごくおいしかった。

サッポロビール博物館ではビールのテイスティング。

夜は両親と別れてすすきのへ。ケヴィンがぜひ行ってみたいというので。クリスマスイブにすすきのねぇ、と思いつつ、UKベースのガイドブックrough guideを手に歩き回ってみたらおもしろかった。さすが、行き着いたところはこの13席しかない渋い焼き鳥屋「じゃんぼ」。ジャズ通のマスターがとても親切にしてくれた。

焼き鳥はどれもジューシー。お勧めをお願いしたら、とりの心臓が出てきた。女性もこれなら満足してくれる、というマスターのお言葉通りおいしかった。

クリスマス当日の朝は、なんと近所で餅つき。

まずは炒った黒豆と塩を入れて。

次はよもぎ。香りがいい。

やわらかくておいしいお餅のできあがり。

大福作りに気合が入りました。全部冷凍してボールダーに持って帰りたい!

2008年12月23日火曜日

ケヴィン、日本食を堪能 (その1)

土曜日の昼、前日の夜に到着したケヴィンを連れて札幌の街へ。さっそくヘンテコリンな英語の表示を発見。

一番初めに食べたいものは、もちろんコレ。短期留学中の大学時代は毎日学食でハーフカツ丼、駐在時代は最低週一回はとんかつ定食を食べていたという経歴の持ち主。日本食はすべてヘルシーだと思い込んでおり、事実を知った時は驚愕したんですって(そりゃそうだろうな)。

ボールダーでは典型的なヘルシー志向・アウトドアオタクの彼が、なぜか日本に来るとどうも様子が…。食べる量が断然多くなり、体に悪いものを立て続けに食べる。

こちらは、両親の家から近い石狩太美駅前のなかむらラーメンにて。特製テールラーメン。アナウンサーの小倉智昭がのれん分けをしてもらってオーナーをやっているというこの焼肉&ラーメン店 は、中野坂上とホノルルにもあるらしい。

これからまだまだ食べ歩きます。

留寿都村 民宿・ドライブイン池田

今年の冬、夫婦揃って日本に来るきっかけになった民宿について少し。

10年前のちょうど今頃、東京で親友を通じてケヴィンに知り合った私。彼はその翌週クリスマス休暇を利用して一人淋しくルスツへ5日間スノボへ行くというので、紹介者の彼女ともう1人の女友達と3人で「私達もルスツに行っちゃおうか?」という話の流れに。その時に彼が予約していた宿がここ。

このスノボ旅行がきっかけで私たちの長い付き合いが始まったので、その親友は私たちのキューピットとなり、私達のなりそめを人に聞かれるたびに登場するのがこの民宿なわけです。その旅行の10周年記念でルスツに戻ってみてはどうか、という話がそもそも今回の里帰りの発端というわけ。

今回は札幌近郊に移住した両親と家族4人でこの懐かしい民宿でお世話になろうと、11月にアメリカから電話をしてみたところ、4人はちょっと厳しいかもしれないというお返事。電話するのが少し遅かったと内心後悔しつつ、一応私たちがそこへ行こうとしている目的を宿のご主人に話してみると、「もしかして、ケヴィンさん?」

うれしいことに、10年経ってもちゃんと名前まで覚えていてくれたのでした。そして無理をして私達のために部屋繰りをして下さいました。

ここはいろいろなウェブサイトにも記述されている通り、食事目当てのリピーターが多い様子。10年後も期待を裏切らず、というよりさらにグレードアップした食事と優しい家族が私達を迎えて下ったのでした。それにしても、当時11歳だったお嬢さんが今や綺麗な娘さんに成長していたのには、さすがに時の流れを感じさせられました。自分はそれほど変わっていないつもりでも、確実に歳を取っている、と。

これが客の心を捕らえるお食事。これ↑ を食べた後に 更にこれ↓です。

2日目の夜。昼食の量を減らしてしっかりとお腹を空かせて夕食に臨んだ私達。上で全部だと思いきや、途中で生姜焼きとベイクトポテトが登場!

朝ごはんもしっかりいただきます。夜あんなに食べたはずなのに、これが一体どこに入るかが疑問。

ルスツリゾート

今年の北海道は積雪量が異常に少なく、先週ゲレンデ情報で積雪量を調べたらなんとたった65cm。これではちょっと…と期待せずに行ったところ、21日の夜から少し雪が降りこれが思ったより良かった、というかやっと良くなってきたみたいです。やっと運が向いてきた?!

一日曇ったり雪がちらちらと舞ったりしていたのが、降りるころになって天気が回復してきた。写真では雲に覆われた羊蹄山も、時々雲の間から姿を見せるまでに。終わりが良ければ残る思い出も更に良し。

月曜日ということもあり、ゲレンデはガラガラ。アジア方面からのスキー客が多くなっていたのに驚いた。

樹氷が素晴らしく綺麗でした。両親ともども一日フルでゲレンデを満喫。(写真by母&ケヴィン)

2008年12月15日月曜日

札幌で買い物

現在1ドル90円という超ドル安なので、たいした買い物はできずにフラストレーションが溜まるだけとわかりつつ、でもやっぱり日本で買い物に行くのは楽しい。日本のものは質がいいしデザインもいいし、そして何よりもお店が多い。駅の地下街には100円ショップならぬ315円均一ショップ、なんていうのもあって、掘り出し物が見つかったりするけど、一歩大丸なんかに入ると「え~これが2万5千円?!」みたいなものも、たくさんあるある。

私が大好きなお手軽ブーケたち。私が日本に住んでいる頃はこんなのなかった。

日本に住んでいる頃にケヴィンのママが遊びに来た時の話。4900円のTシャツを買って帰宅した私を見て、「まあ、そんな高いTシャツを買ったの?」と言われてあまりピンとこなかったのだが、今はその気持ち、よ~くわかります。アメリカ人は、一部の人を除いて洋服にそんなにお金をかけない。縫製がダメな代わりに、結構手ごろな値段でまあまあの洋服が買えるからだろうか。

ボールダーに越して一旦地味になった私も、ロンドンにいる頃に感覚が戻って、一度「エルメスの腕時計を買いたい」とアメリカ人の女友達に話した時「私だったらそんなお金を使うなら新しいマウンテン・バイクを買う」とケヴィンに優位な発言をされ、立場が更に弱くなったこともあります(結局その時計は諦めた)。あの時のケヴィンの勝ち誇った顔の憎らしかったこと。

そんなわけで、アメリカでは慎ましく暮らしている私が(まあ、そんなに好きなものもないし)、日本にくるとやっぱり感覚が若干狂う傾向にあるので、危険。「アメリカではこんなの滅多にないしぃ」と、気に入ったものが見つかると、同じものを色違いで二色ばばっと買ってしまったりするわけです。興味深いもので、日本で1万円以下のものは即「買い」なわけで、後でドルで計算するととんでもなく高いものを買ってしまった、という罪悪感の波に襲われる私。(一瞬だけど。)「日本のものは、ベーシックな形だったら10年来ても新品同様に着れるしね」と、自分を納得させてhappy shopping!

さすが雪国。JR札幌駅の改札を入ったところに、ストーブとテレビが置いてある待合エリアが。走る電車も強そうなディーゼルの電車で「特急オホーツク 網走行」なんていうのがあったりして、いい感じです。

イトーヨーカ堂にて。ずっと存在は忘れていたけど「そうそう、日本にはこんなものあったね~」と懐かしくなってしまった。子供の頃、中身を食べた後にこの長靴を底が抜けるまで履いて遊びました。ちなみに、これはアメリカのクリスマス・ストッキングがなぜか長靴に変化し、お菓子を詰めて売られるようになったということですね。

しかし、中にベビースターラーメンが入っているとは…。夢がなくてちょっと悲しくなってしまった。

海外に出て気がついた日本のおかしな習慣の一つが、クリスマスケーキというものの存在。日本人以外の友人とクリスマスの話になると、「日本ではジーザスの誕生日にケーキを食べるの」と説明している。私の子供の頃は、ケンタッキーフライドチキンの「パーティーバーレル」なんていうのも、クリスマスのハイライトだったような。東京のデパ地下なんかで売られるクリスマスケーキは高級で、つくづくすごいなぁと思ってしまいます。

洋服を着た犬たち

ボールダーにはどちらかというと外で一緒にハイキングをするための犬が多いので、都市に来るとお洒落をした犬がたくさんいて、私の目をとても楽しませてくれる。しかし、ここ北海道は防寒のために本当に洋服が必要な犬もいるみたい。この子たちはどうかな?

うちの母が一瞬ぬいぐるみかと思ったスタンダードプードル。頭にくっついている白いものの正体は…

…この子。写真を撮られるのに慣れている模様で、カメラを向けると視線がばっちりこちらへ。プードルはお母さんに引かれて、この子はお父さんの体にたすきがけ。

今度はフラッシュ付きでもう一枚。なかなかこちらを向いてくれない!

2008年12月12日金曜日

坐禅会

12月8日はお釈迦様が悟りを開いた日、ってご存知でした?この日は「成道会(じょうどえ)」と呼ばれ、多くの国の仏教寺院では「成道会」法要が行われるらしい。ちなみにこの時、お釈迦様は35歳だったそうです。

両親が住んでいる地域のお寺でも、この日年に一回の坐禅会が開かれ、その数日前にうちにもお誘いの電話がかかってきた。両親は去年参加したことがあり、特に母が「ものすごく寒かった」というので一瞬迷ったが、坐禅なんてやったことがないし滅多にこんな機会はないので、私も参加することにしました。しかし、人一倍寒がりの私には、その「ものすごい寒さ」というのは大きな問題。スノボの時に履くモモヒキやメリノウールのシャツ、フリース、ダウンジャケット、そして靴下を2重に履きカイロまで張っての完全防備で出席(しかし、坐禅中は靴下着用禁止だった)。

午後5時過ぎにお寺へ到着。広いお部屋でカレーライスをいただく。20人程がすでに来ていたが、その後宗教学の先生が率いる近くの大学の学生さん達も到着。午後6時、お坊さんが初めての人のために、坐禅の説明をしてくださった。それは正にここに書いてある通り。坐禅の作法

完全防備のおかげか思ったより本堂は寒くなく、坐禅は直接床の上に座るのかと思い込んでいたが、床には坐蒲(ざふ←上のサイトの絵を参照)が置いてあり思ったより苦しくない。準備が整い、鐘の音とともに第一ラウンド20分開始。

その後立ち上がり、経行(きんひん)と言われる方法で周りを歩き休憩後、第二ラウンド20分開始。なかなか頭の中の雑念は取り除けないが、妙に気持ちがいい。ただ、約1メートル先45度の角度に視線を落とすのはかなり難しく、でも眠くなるので目を決して閉じるなと言われたので、目は正面を見据えたままに。本当は目はぼんやりと開く程度だそうです。(眠らずぼんやり、という微妙なところが難しい)

また経行後、今度は休憩なしで第三ラウンドへ。さすがにそろそろ眠気が襲って来た。ところで、坐禅と言えば肩を叩くあの行為。警策(きょうさく)と言います。あれは姿勢が悪い人や居眠りしている人を叩くだけでなく、睡魔が襲われた時や心が乱れた時に自分から受ける方法があるとのこと。それを聞いた時からぜひ私も経験してみたいと密かに思っており、この機会に合掌してお坊さんの注意を引き、渇を入れてもらいました。音よりもずしりときて肩に気持ちよかった。

頭から雑念を取り除き、無の状態にするのとは程遠い感じではありましたが、これはとても良い経験に。そして、「人々が抱える悩みや苦しみの根源は執着である」というお坊さんのお言葉、ぎくりときました。

2008年12月10日水曜日

地球温暖化はここにも

北海道にやって来ました。2年半前にここスウェーデン・ヒルズへ越してきた両親に、「冬は窓が雪に覆われるくらい積もる」と脅されていたので覚悟して来たにもかかわらず、最近の異常な暖かさのため雪ではなく雨が降る始末。両親もこんな冬は初めてだ、という言葉を連呼しているのです。

週末の雪もすっかり融けたのでジョギングができて私には好都合なわけですが、(背中にブーツをしょって来たので)スノボをするのに雪がしっかり積もってもらわないと困るわけです。来週ケヴィンがやってくる前に、スキー場にもう少し雪が積もるよう願う毎日。コロラドは寒いようですね。

今回の滞在はいつもよりのんびり。しかも初めて北海道まで直接やって来ました。デンバーからはやっぱりきつい。ドア・トゥ・ドアで27時間。朝8時台のフライトが取れず6時のフライトだったので、ボールダーを3時過ぎに出発。サンフランシスコ線は鬼門なのでびくびくしていたら、予想を裏切らず2時間半の遅延。朝4時、オープン前のカウンターでまたもやがっくりきてしまいました。東京-デンバ-直行便が実現すると、コロラド在住の日本人の人生がぐんと楽になりますね。

成田空港で初めての乗り継ぎ。普段はアメリカに帰る直前のラスト・ミニット・ショッピングの場なので、目をギラギラさせて走り回っている私ですが、今回はこれから先があるので心に余裕が。それにしても、ここ数年で成田空港はずいぶんと設備・ショップが充実しました。

そんなわけで、しばらく日本からのブログ更新となります。

こちらに来る直前のアシャ。感謝祭のホリデイであちこち車で連れ回され、小さな子供達に家の中で追いかけられ、お疲れぎみ。4本の足を複雑に組み合わせて昼間深い眠りに落ちていました。アシャにしばらく会えなくて、淋しい~。

2008年12月8日月曜日

Snooze

ケヴィンの大学時代の後輩に、デンバーでレストランを経営している人がいる。そのレストランの名はSnooze。ここはクアーズ・フィールドから程遠くない、ファンキーなブレック・ファーストとブランチ専門のレストラン。経営者のジョンは、大学でホテル・レストランマネージメントの勉強をし、卒業後に何ヶ所かのレストランのマネージメントを経験後(ちなみに彼は数年前までデンバーの有名すしレストランのマネージャーでした)、自分が経営するレストランはディナーはなしにしようと心に決めていたらしい。 週末の朝は軽く1-2時間待ち。入り口付近は、コーヒーやブレックファースト・カクテルを手に待つ客で溢れかえる。行く方は早めにどうぞ。

メニューはなかなかクリエイティブなもの揃い。こちらは写真写りがあまり良くないのですが、今回私が食べた「Pork's Benedictian」。3種類のチーズのポレンタケーキの上に、ポーチド・エッグとプルド・ポークが乗っており、そこにホーランダイズ・ソースがかかってる。一瞬ヘビーな感じに聞こえるけど、量が程よくペロリと平らげました。一番上にパラパラと見えるピクルスがいい味を出しているのが意外。

オープン後3年弱。いろいろな新聞や雑誌に取り上げられてきたこのレストラン。先日たまたま乗ったユナイテッド航空の機内誌を開くと、12月の特集はThree Perfect Days in Denver。2日目の朝一番のお勧めに、Snoozeが出ていて驚き。うーむ、これでもっと待ち時間が長くなる?

2008年12月5日金曜日

感謝祭 #2

ちょっと変わった感謝祭のお祝いの体験談を。

9月にメキシコのビーチで知り合ったサンフランシスコ在住のライターカップルが、感謝祭の週に彼女の実家があるコロラドに来るということで、そこの家の感謝祭翌日のディナーにお呼ばれした私達。彼女の両親はデンバーに住んでいるのですが、毎年感謝祭のホリデイ中は別宅のあるグランビーというマウンテンタウン過ごすとのこと。

家族と友達が大人数集まって感謝祭翌日は適当にディナーを作る、というようなことを言っていた気がしたので気軽にお邪魔したところ、こんなセッティング。両親の別宅の近くにロッジを借りて、両親、お兄さん夫婦、お姉さん、従妹夫婦、友達夫婦が集まっており、総勢大人20人と2歳児3人。なにやら興味深い展開の予感。

キッチンは10人以上が分担して一斉に料理をして、まるでレストランの厨房状態。てっきり余り物を使って(普通の家庭はこの時期何日も七面鳥を食べ続ける)何かを作ると思っていたので、いちから感謝祭用のディナー(2回目)を作っているのを知って驚き。真ん中あたりに移っている白髪の二人が彼女のご両親。

生まれて初めて「フライド・ターキー」にお目にかかりました。ルイジアナ州あたりではよくやる方法らしい。ちなみに、皮が硬いのでフライド・チキンのようには油っぽくなりません。お味の方は、実はローストとそれほど変わらなかった気がするけど、この方法だと皮がぱりっとして中がジューシーになるみたい。

長いテーブルで全員揃って食事。「Happy Thanksgiving Number 2!」と乾杯。2日連続感謝祭のディナーをいただくことになるなんて。この頃までには一通り全員と自己紹介をし合い、超部外者の私達も打ち解けた雰囲気に。

お父さんがワイン係らしく、まるでイタリアのトラットリアの共同テーブルに備え付けてあるテーブルワインのように、ボトルを間隔をあけて置いていました。一口飲んで非常においしかったので、一体どんなワインかとボトルを繁々と見ると、1990年という普段あまり縁のない数字が…。よく聞くと、なんとこのお父さんは1960年代後半にパリで弁護士として働いている時に、当時のクライアントに誘われてボルドーのヴィンヤードのパートナーになり、今だにそのヴィンヤードを所有しているとのこと。現在はナパのヴィンヤードも持っているらしい。アメリカ人で60年代にワインとは、なんと先見の明があること!

そして現在はとても裕福そうな感じでした。アメリカの興味深いところは、親が裕福でも子供はそんな素振りを全く見せず、むしろつつましい生活をしていたりすること。そんなことも露知らずお邪魔した私達は、何から何までお世話になってしまったのでした。(結局雪が降ったので引き止められ、泊るところまでお世話してもらってしまいました)そして、2ヶ月前にメキシコで知り合ってそれ以来会っていない私達みたいな人間を、気軽にこんな機会に招待するという寛大さ。

言うまでもなく、思い出深い感謝祭#2となったわけです。

パパのパンケーキ

一週間前の話になりますが… ケヴィンのパパと言えばパンケーキ。コロラド・スプリングスの家に行くと、滞在中ほぼ毎朝心のこもったパンケーキをご馳走してくれるのです。こうやって見ると、まるで日本のたこ焼屋のよう。

今回はかぼちゃのパンケーキ。もちろん、家庭菜園から。