2008年7月29日火曜日

週末の疲れを引きずって

説明するのが面倒だったので(私は)あまり人に話していないのだが、去年友人に勧められ、3家族で25エーカーの土地を共同所有することになった我が家。私的には、ウィンターパークにコンドミニアムもあることだし、もう山は…どちらかというとビーチハウスの方が…というのが本音だったのだが、コロラド出身のケヴィンとしては、土地を所有するなんて夢が現実になったような話で、心はすぐに動いてしまったのでした。実は、親が山の広大な土地にログキャビンを持っている友達が、ずっと羨ましかったみたい。

この土地は、とある事情のおかげで時価の半値以下で市場に出ていた掘り出し物。そして、今年の夏の巨大プロジェクトはそこにログキャビンを自分達で建てること(ポイントポイントで現場監督者は雇いますが)。標高が3300mの雪が深い土地で、6月から10月の短い夏が勝負。そんな狭いウィンドウの中、今年は6月下旬まで雪が溶けず、いきなり2週間も予定がずれているし。

そんなわけで、ケヴィンは6月下旬からほぼ毎週末テントを張って山にこもり土木工事のようなことをしていた訳でして、そしてついに私も先週末手伝いに借り出されたのでした。苦しかった…。やっぱりシティ・ガールのままでいればよかった…、と週末中悩みながらいろいろな道具を駆使して砂利を運んだり、土を掘ったり。顔や頭皮まで蚊に刺されながら肉体労働に励んだ私。この経験は一生忘れません(涙)。私にはこういうことはあまり向いていないみたい。文句ばっかり言っていると怒られるので、このことはくれぐれもケヴィンに言わないように。

帰りの途中に見えた虹。これ、実は二重になっているってわかります?薄い虹がうっすらと濃い虹の外側にあるのに注目。コロラドでは虹の端から端が見えます。というか、ここに来るまでそんなものにお目にかかったことがありませんでした。

日曜日の夜8時前。「疲れた~疲れた~」とどちらかというと精神的な疲労を覚えつつメキシカンレストランに入り、迷わず巨大なマルガリータをオーダー。

で、自分の生活を複雑にするのはあまり好ましくないと思いつつ、でもやっぱりこのログキャビン・プロジェクトは記録に残した方がいいだろう、ということで専用のブログを立ち上げました。興味がある方はどうぞ。

家庭菜園

5月に植えた我が家の野菜たち。農夫・ケヴィンのお陰ですくすくと育っています。

トマトは有機栽培だととっても甘く、まるでフルーツのよう。

しそとバジルは、せっせと食べないとこんなにすごいことになります。
私が一番うれしいのは、このしそ。エイジアン・マーケットに足を運ばずに、毎日しそが食べられるなんて夢のよう。 その他収穫できるものは、いちご、スイス・チャード、そしてケール。ピーマンはなぜか全く実がつかず、ブロッコリーは虫にやられてしまった。ケヴィンの毎日のミッションは、ケールについている青虫を箸で取ること。さっきはモンシロチョウをすごい迫力で追っ払っていました。

2008年7月24日木曜日

先週の富良野

なんと見事なラベンダー畑!北海道でリタイア後の人生を謳歌している母から、先週富良野へ行ったときの写真が送られてきた。いつかこの目で見てみたい風景。

10年以上前の7月末に、友人と2人でラベンダー畑を見にいくバスツアー、というのに参加したことがある。その時は時期が遅すぎて、すでに株主たちにラベンダーが配られた後で畑はスカスカ。少しでもラベンダーの量を多く見せるために、斜めのアングルから写真を撮った。(涙)

ちなみに、ラベンダーの横の植物は:カリフォルニア・ポピー、小町草、スペアミント、大麦、カスミソウ、ペパーミント、ポピーだそうです。 写真:富田ファームにて母撮影

2008年7月23日水曜日

蜂にご注意

こんな話をブログに載せるのもなんなのですが…

先週の土曜日、結婚式の会場(屋外)で友人がハチに刺された。その時に、私は一度もハチに刺されたことがないのでどんな痛みなのかわからないなあ、なんてのん気なことを言っていたら、「それならその痛みを味わってみろ」と言わんばかりに、その2日後に生まれて初めてハチに刺されてしまったのだ。そして、昨日の午後から更に腫れはひどくなり、3日目の今とっても大変な状態。

いきさつはこんな感じだ。 今まで一度も私に頼み事をしたことのないお向かいさんが、珍しく留守中に植木に水をやってくれないかと言うので、快く引き受けた。2日目の月曜日の夕方、その家の庭で何気なくホースをつかむと右手に激痛が走った。ぎゃっ、と手を引いて見ると、薬指にハチがとまっていたのだ(汗)。おぉぉぉ刺されたっ、と思った瞬間にはもう指がどくどく。まるで心臓がそこにあるかのようだ。

土曜日に「ひどいアレルギーがあると死んじゃうんだよね」と話していたことを思い出し、もし自分がここで倒れたら、果たしてケヴィンは私のことをすぐに発見できるだろうか?とふと考えた。忽然と消えた私を捜す際、お互いに向き合いながら死角になっているこの前庭に、私が水をやりに行っていたことを思い出すだろうか?

そんなことを考えながら、さっさと植木に水をやって家に戻り、コンピューターに直行。便利な世の中だ。この時点で、自分は呼吸困難に陥ることはないと確信する。できることはあまりなさそうだったが、中で「今後12-36時間内に4インチ(10センチ)以上腫れることがあります。」という一文が頭に残った。直後ではなく12時間後以降?

薬指はまっすぐ伸ばせず、曲げると血がとまりそう。普段は手の甲の骨が4本ともくっきり浮かび上がってる…。

そして結果はその通りだった。刺された直後に1時間ほと指を冷やしたらちょっと痛みが治まったので、一瞬自分は思ったよりハチに対する抵抗力があるのではないか、と思ったのもそこまでで、昨日から指がぱんぱんに腫れ上がり、いつ破裂してもおかしくないような状態になってしまった。手の甲にかけてもどんどん腫れは広がり、なんだかクリームパンみたいな手…。昨晩は夜中にかゆくて目が覚め、その後手が燃えるように熱かったので、ハンドタオルを濡らして手に巻いて寝る始末。

そして、植木の水やりは金曜日まで続くのでした。トラウマになってしまい、その家の庭に行くのが怖いこと。

2008年7月21日月曜日

結婚式 #2

今年はベイビーシャワーや結婚式が多い年。お向かいに住むカップルの結婚式に招待され、週末1泊2日でボールダーから1時間ちょっと離れたロッキーマウンテン国立公園の近くに行って来ました。このかわいらしいフラワーガールは、新郎の姪っ子たち。 こちらの結婚式にはテーマカラーがあり、この花嫁はすべてを大好きなオレンジとピンクで統一。ブーケ、フラワーガール、そして後に登場するカップケーキもオレンジとピンク。

とてもきれいな花嫁とドレスであります。

この2人、この日に行き着くまでいろいろとドラマがあり・・・ 

最近アメリカではカップケーキが流行、しているらしい。

マウンテンバイクとロードバイクが大好きな2人ながらのウェディングケーキ。

新郎新婦によるファーストダンスは・・・なんとスウィングだった。

これがものすごく上手で、みんな驚き。

朝早く起きて、レックセンターのダンススタジオで練習に励んだそうだ。

新郎新婦のダンスが終わると、ダンスフロアは子供達で大賑わい。かなり遅くまで踊っていた。

その間大人はベランダで他の出席者と交流。

そして山での夜は刻々と更けるのでありました。

自分でデザインしたドレス。縫ってくれた人の反対を押し切ってオレンジの紐をつけたそうだ。(なんと靴は動きやすいダンスシューズ!)

私の使命は(近所のよしみもあり)、彼女の育てた花を庭から摘んでアレンジし、各テーブルに飾ることでした。

2008年7月18日金曜日

鶏肉のローマ風煮込み(なんて、実は単に鶏のトマト煮)

本日は、新婚のT子ちゃんからリクエストがあったこの簡単料理をご紹介(遅くなってごめん!)。この写真ではそんなにおいしそうに見えないけど、実際は見た目よりもおいしいです。

  材料

  • 鶏骨付きもも肉4本
  • 玉ねぎ 1個
  • ジャンボピーマン (赤・黄) 各1個
  • にんにく(みじん切り) 1かけ
  • 白ワイン、オリーブ油 各1/3カップ
  • ローズマリーの葉(ざっと刻む) 小さじ1
  • 塩・こしょう 各適量

1、鶏もも肉は1本3つに切り分けるのだが、今回は骨なしで代用。この肉に、塩、こしょうをきっちりとふり、全体にすり込んだあと、ローズマリーの葉もまぶす。ここでかなりしっかりと味付けをするのがポイント。私はローズマリーを育てているほど好きなので、多めに使います。

2、鍋にオリーブ油とにんにくのみじん切りを入れて熱し、香りが出たら味付けした鶏肉をいれてじっくりと焼き、表面に香ばしいきつね色をつける。実は、大きめの鶏肉でここまで調理しただけでも、おいしい一品になります。

3、5mm程度に切った玉ねぎをを加え、油がなじんだら縦2-3cmに切ったピーマンを加えて、軽く痛め合わせる。

4、白ワインを加えて沸騰したら、トマトの水煮をつぶしながら缶汁ごと加え、ソースがとろりとするまで15-20分煮込み、塩、こしょうで味を調える。トマトをつぶす際、予期せぬところに汁が飛び散るので、色が濃い目の洋服に着替えてから調理するのをお勧めします。

ぜひ、お試しあれ。

2008年7月15日火曜日

ドッグ・サイコロジー

私が日本から帰ってきた晩、リッキーも我が家に到着した。1ヶ月以上前からこの時期に預かる約束を、友人としていたのだ。

この犬は近所で人気者の♂犬だ。うちのアシャはチャウチャウとラブラドールの両極端な性格を持ち合わせており、人間に対しては100%いい子なのだけど他の犬に対してはちょっと傲慢なところがある。なので、あまり他の犬と一緒に遊んだりしない犬なのだが、どうしてかリッキーのことは大好き。彼がうちに向かって歩いてくると、見えないうちから窓に駆け寄り鼻を鳴らすほどだ。

普段はヨタヨタ歩きのオムツ犬スクラップス(♀)までが、リッキーの姿を見れば飛び跳ねる。人間の目から見てとても愛らしい容姿のリッキーだが、犬の間では何が決め手なのだろう?

翌日の朝から、体重20キロ強の犬を2匹連れての散歩が始まった。リッキーがオシッコをかけた所にアシャが上からオシッコをする…ということの繰り返しで、しかもこの犬達、1回の散歩で2回ずつウンチをするものだから文字通り手一杯。リッキーはさっさと前へ行きたがり、アシャは後ろでモタモタしているので、腕が両方向に引っ張られながら歩くこともしばしば。

これは、散歩中に地面に伏せるポーズでもある。

「リッキーは最近去勢をしたので、前みたいに引っ張らなくなったよ」というブルガリア人の飼い主の言葉どおり、確かに以前に比べて勢いがなくなったようだ。しかし、この犬はかなりの頑固者だった…。行きたくない方向に引かれたり、前へ進みたくない時にガバッと地面に伏せて動かなくなるのだ。そうなると歩くまでズルズルと地面の上を引きずらないといけない。しかも、最近以前に比べて太り気味で、散歩中に疲れやすくなっているようなのと、家の中では常にお腹がすいているらしく、台所に来ては食べ物をねだる。

ちなみに、BFがお泊りでハッピーだったはずのアシャも、いざ2匹の犬が一つ屋根の下で暮らし始めると、なんだか妙によそよそしい。お互いに一定の距離を保って生活しており、目も合わせない。犬も人間も、いざ一緒に暮らし始めるといろいろあるようで…。

偶然

最近こんな話が続くが、ここでもう一つ。

私が日本から帰ってくると、なぜかその後1日~3日くらいの間に必ずやって来る人がいる。ケヴィンの弟で、シカゴベースのミュージシャンのケントだ。

この妙な現象が始まったのは2003年。ロンドン滞在時代に遡る。その時は、彼はベルギーのラジオ局でのインタビューとショウのためにやって来た。その後2005年は帰った翌日、2007年は帰った翌々日、と私の日本帰国スケジュールと彼のコロラド帰省(もしくはギグ)が意図せずにダンゴ状態になる、という現象が続いている。そして、いつも私は時差ぼけ。

すごかったのは今回だ。もともと私は10月頃の里帰りを予定しており、彼もその頃にデンバーでギグをやるかもしれないと言っていたので、また同じタイミングになるかもね、なんて話していたのだが、先月急に夏に帰省したくなった彼はさっさと航空券を購入した。

そこへ私の日本への緊急帰国。結局いつも通り、私が戻った2日後に彼はもれなくやって来た。週末にはケヴィンの両親が到着して賑やかに。みんなが山へ行って静かになった土曜日の夜(私は犬達とお留守番)、7時にベッドにちょっと横になったつもりが最後、翌朝の5時まで眠りこけてしまった。

ケントと私の誕生日は1週間違い。ケヴィンのママが得意のエンジェル・フードケーキを焼いて持ってきてくれた。

2008年7月11日金曜日

長い旅

*この下にあと2つ旅のポストをアップしました。 今週始めにボールダーに戻って来ました。今回の日本行きは、行くと決めてから出発まで1週間足らずだったにもかかわらず、数々の友人や家族のおかげで短期間ながら充実した滞在でありました。

しかし、今回痛感したのは、航空機を使った移動が不便になったこと。まず、デンバーでチェックインの際に、荷物の重量制限が32キロから23キロになっていて驚愕。今回は荷物が少なかったので行きは問題なかったのだが、帰りに行商のおばさんのように日本から物を運んでくる私にとってはかなりの痛手。まあ、当面の間は23キロ以上32キロ以下間のオーバーは3000円のようなので(デンバーでは一律100ドルだったような…)、まあそれは何とかなるとしても、今のご時世いつどう変わるかはわからない。

次は、機材到着遅れによる遅延の多さ。この厳しい情勢の中、各航空会社が各便のロードファクターを上げるために便数を減らしているのと、少ない機材をぎりぎりのスケジュールで回しているためであると思われるが、夕方になると積もり積もった遅延が1時間単位になってしまう。そしてアメリカ国内は日本国内と違って、夜中も発着が可能なため、「遅延 出発予定12:15am」なんてことになる。そこで旅客が早い他の便に流れるため混乱が発生する。

もともと私も航空会社にいたため、どちらかというと同情的ではあるが、空港のスタッフ不足のために聞きたいことがあっても人がなかなかつかまらない。カスタマー・サービスはこの混乱の中で長蛇の列で、ゲートに1人から数人いるスタッフも搭乗の準備でてんてこ舞いという感じだ。それに比べて、日本国内はまだまだスタッフが多く、今だにサービスは抜群だった。しかし、この波はいつ日本に届くのかちょっと心配。

写真は大分空港に到着直前の風景。日本って美しい島国だな、とつくづく思った瞬間。翼の日の丸もいい味を出している。

旅の縁とは、不思議なもので・・・

遅延や乗り継ぎ失敗に悩まされた今回の飛行機の旅は、後で振り返ると妙な出会いがいろいろあった。それはデンバーでチェックインの列に並んだところから始まり、帰りにデンバー空港からボールダー行きのバスに乗るまで続いた。

SFから東京行きのフライトで、横に座った年配の女性はアリゾナに在住の台湾人と日本人のハーフで、東京にいる高齢のお母さんに会いに行くという。今年日本は3回目というその人のお母さんは、私の妹夫婦同様杉並区に住んでおり、成田からのバスまで同じだった。日本に行くと必ずはずさないものは?と聞くと、「寿司とパチンコ」。「西荻窪の駅前のパチンコ屋に居るわよ。」お母さんも一緒にするそうだ。

空港の各所で目につく人が、意外と同じフライトだったりすることがある。帰りの成田のチェックインカウンターで前に立っていた白人の若い男の人は、ゲートでたまたま私の横に座った。その後シアトルで乗り継ぎに失敗し、やっと搭乗かと思った矢先にその人が現れてまた私の横に座った。この人もデンバーに行くんだ、と思いつつ搭乗。空港からボールダー行きのバスの中に座っていると、また彼が現れた。これってすごいと思わない?

帰りの国際線の中で、通路を挟んだ向こう側に座ったカップル、特に男性の方はひっきりなしに飲み物をオーダーしていた。まず、搭乗直後のシャンパンを最低でも2杯。その後、ミールの前にシャルドネをオーダーし、その後もボタンを鳴らしてフライト・アテンダントを呼んではワインのおかわりをオーダーする。

通路を歩くフライト・アテンダントに数回無視され、その時に目が合ったのがきっかけで話しかけられた。聞くとボールダーに住んでいるという。バリ島からの帰りだというそのカップルは、前便キャンセルのためにこの便に振り返られ、満席のエコノミークラスからアップグレードしてきたらしい。なるほど、予想外のアップグレードをした人にありがちな行動だ。(フライト・アテンダントは誰がアップグレードしたかわかっているのよ!)その人達に、日本人と一緒に寿司屋に行ったことがないので、ボールダーに帰ったら是非一緒にお寿司を食べに行きましょう、と何度も言われたけど、ちょっと困ったな…。そう思っているくせに、ノーと言えない日本人にいきなり戻って、電話番号を交換してしまった私…。

東京で食べたもの

今回の帰国の目的は基本的には遊びではなかったので、普段の帰国時のように友人と話題のレストランに行く、ということはなかったものの、食べるものはちゃんと食べてきました。 夏は涼しげな和菓子がたくさん。お菓子売り場ぐるりと巡り、まず目をつけたくず笹。 前回足繁く通った林屋茶園。今回もぜひあの抹茶パフェを食べたいと。有楽町西武の6Fにあるこの和カフェはかなり穴場。 2005年の帰国時から気になっていたにもかかわらず、ずっと行けなかったピエールマルコリーニのチョコレート・カフェ。銀座にあります。このチョコレート・ムース、あまりにも濃厚で食べている途中に頭痛が…。この部分だけで300円はするんじゃないかという、上に乗っている貴重な格子状のチョコレートを残すはめに。 驚異の穴子のにぎり。こんな大きなネタはお目にかかったことがありません。梅丘の美登利寿司にて。 ちなみに、11時開店時に入るためには1時間前から並ばないとだめ。ここにいる人達は全員ここの寿司が目当て。私達より一足早めに到着した妹の旦那様のご両親のおかげで、開店と同時にいい場所に着席。 仲のいい女友達と一度だけ集まる機会があり、焼き鳥屋へ。その後のお茶漬け屋もなかなかでした。 今回は、何回も妹夫婦と一緒にご飯を作って食べました。これは、サーモンとマグロを混ぜて作ったポキ丼。 日本滞在中に誕生日を迎えた私。偶然なことに、妹の旦那様と同じ誕生日。彼のご両親に買っていただいたケーキでお祝い。 そのケーキを購入した梅丘駅前のケーキ屋さんのショウケース。ついつい写真を撮りたくなってしまいました。ボールダーにもこんなケーキ屋さんがあったら、私はもっとハッピーになれるのに。

2008年7月3日木曜日

梅雨空の東京

事情があって急に日本に帰国した。

9年ぶりの日本の梅雨。覚悟はしていたものの、一旦カラリとしたコロラドの夏に慣れてしまうと、自分は本当にこんな環境で生活していたのかと思うほどの湿度。足にローションを塗らなくていいどころではなく、お風呂から出たその瞬間からすでに顔はナイト・クリームを塗りたくったような状態なのだ。

今週はずっと九州にいたため湿度と気温は東京より更に高く、そしてそこにもう1つ加わった嫌なものは蚊。夜電気を消したとたんに耳元でぷ~ん、というあの経験もずっとしていなかった。私は蚊に刺されやすく腫れ易いので、せっせと蚊を殺し続けた。(必要に迫られてのスキルか、私は蚊を一発で殺すのが結構上手い。)

昨晩東京に戻ってきて、妹夫婦の家に戻るために羽田空港から新宿行きのリムジンに乗った。出張帰りだろうかビジネス客が回りに多いバスの中、久しぶりの東京の夜景がもの珍しくずっと左右をきょろきょろしていた。1X年前の新入社員時代に研修で通った見慣れたはずの天王洲の辺りなんて、まるで近未来都市のように見える。夜の東京、特にここ15年くらいで開発されたエリアはとても無機質な感じがする。それを「発展」だと言うのかもしれないが、東京は世界の大都市に比べて温かみがないと思うのは私だけだろうか?古いものが姿を消し、常に「発展」し続ける東京。下を見るとまるで深海魚のような形の新幹線が走っていた。

しばらくすると、ちらりと東京タワーが見えた。ライトアップされているその姿を見て、じーんとしてしまった。大学が近くにあったので、これも見慣れていたはずなのになぁ。

アメリカに住んでいて損をしているなとつくづく思うのは、食料品売り場を歩く時。自分が食べたいものをちょこちょこ買って帰り、妹夫婦と食べる楽しみ。季節の和菓子なんかにも目がないけど、肉屋で買う一個120円のメンチカツ、なんていうのも涙が出そうになる。日本で普通に生活する、というのが今とても貴重な経験。これを、東京からパリへ旅行へ行き、アパルトマンをしばらく借りて、地元でお惣菜やパンを買って生活するみたいな感じ、と説明したら、私のこの気持ちをおわかりいただけるだろうか?