2008年1月31日木曜日
背骨の話
へぇ、私ってモデル体型かも、と、帰ってケヴィンにその話をした。「東京にあのままいたら、私こんなことにならなかったのかもよ~」と言うと、すかさず彼は「チカはモンキーなんだよ」ときた。「まだサルからヒトへの進化の途中で、直立歩行に無理があるんじゃないの?」
最近鍼に通い始め、初日に私の背骨を見た鍼師は「あなたの背骨ってまっすぐね~。赤ちゃんの時、あまり這い這いしないで早いうちに歩き始めたでしょ?」とすかさず私に聞いた。這い這いをする時期があまりなく歩き始めた人は、背骨があまり反らずまっすぐな背骨になるそうだ。そういう人の背骨は圧縮されることが多いらしい。母に電話で聞くと、確かに私は生後10ヶ月くらいで歩き始め、1歳になる頃には小走りとまでは言わないが、結構歩いていたよ、と言われた。
これが私の椎間板ヘルニアの原因かしら、と思う今日この頃。
2008年1月30日水曜日
椎間板ヘルニアは良くなる
なった人はわかると思うが、私もよくありがちなL4/5が後ろに突起していて、それが神経を圧迫して神経痛を起こしていた。私は左側のお尻の真ん中辺りがシクシク痛み、左足の親指に痺れがあった。MRIの結果を見て、ダメにになっている椎間板は素人が見ても一目瞭然。がっくりきた。
しかし、アメリカの素晴らしいことは、PT(フィジカルセラピー)が発達していること。翌週からすぐにセッションが開始された。え?こんな簡単な運動でいいの?というようなことから始まったが、3ヶ月PTに通い、実はセラピーはピラティスの運動に似ているということを知り、一連のセッションが終わると同時にピラティスに通うようになった。私のピラティス通いはそんなことから始まり、今や生活になくてはならない運動となった。PTを開始すると同時に、水泳もいいと聞いたのでしばらく週1,2回1000m程泳ぐようにもなった。
その後痛みは続いたもののピラティスのお陰で腹筋と背筋が発達し、除々に痛みが軽い日が増え、そして痛みがない日もあるようになった。一旦控えたジョギングも再開した。ひと夏やらなかったテニスも昨年の夏は楽しんだ。アメリカでは、椎間板ヘルニアの患者にアクティブに生活するように勧めている。手術も歩けなくった場合は別だが若い世代には勧めていない。
スノーボードは無茶をしなければOK,と言われていたので、カイロを背中に貼ってしずしずと滑っていたが、今年は毎週モーグルの練習に励むまで腰の不安はなくなった。
それでも時々お尻が痛いときはテニスボールに座って筋肉をほぐすようにしている。
痛みが激減したのは、ひょっとしてこの本のお陰?
2ヶ月間放りっぱなしにされてた本は、10月に日本行きの飛行機の中で始めて開かれた。椎間板ヘルニアのことが書かれているところだけを拾い読みをしてみると、まず「椎間板ヘルニアによって圧迫された神経が引き起こすのは痛みではなく、しばらくするとその神経は”痛み”というメッセージを送るのを止めるため、それによって引き起こるのは麻痺のはずである」という文章が頭にこびりついた。著者の結論は「椎間板ヘルニアによって起こると思われている痛みは、実はTMSという症候群によって起こるものである」ということだった。
この著者が言うTMS(Tension Myositis Syndrome)というのは、精神的ストレスが肉体的痛みを引き起こす状態で、自動神経システムが筋肉、神経、腱の中の血液の流れを減少させることにより酸素不足を引き起こし、それが一部の組織で痛みや緊張となって感じられること、だそうだ。
その本を拾い読みした後の日本滞在中の1ヶ月間、ヒールがある靴を履いて一日中歩き回っても腰が痛くない日々が続いた。ホリデイでリラックスしているからかな?とも思ったが、神経痛に気づき始めたのはちょうどその2年前に日本に帰った時に毎日ブーツで歩き回ってからだったので、その考えは辻褄が合わない。もしかして、本当に本が効いたのかも、と思い始めた。
とにかく、今までのように不安がないのである。それまではちょっとした痛みを感じると、「無理をするのをやめよう」と自制をかけていたのだが、今は「ああ、また筋肉が張っているだけだな」と済ませられるようになった。そうすると不思議なくらい痛みが長くは続かないのだ。
興味がある方は John E. Sarno, M.D.著の「HEALING BACK PAIN - The Mind-Body Connection」を読んでみてほしい。
2008年1月29日火曜日
ちょっと一言 This is how things are shipped in the US!
2000年に私がボールダーに引っ越してきたころ、1ガロン(約4.5リットル)$1.30台だったガソリンが今や$2.80台後半。日本やイギリスに比べたらまだまだ安いけど、それでもここ8年で2倍以上になり、去年は大型自動車の売り上げががくんと落ちたという時世。こんな無駄は許せません。
ちなみに、私が知っている中で一番ひどいのはOffice Depot。内容量によって箱のサイズを変える、という作業にかける人件費を節約しているのかどうだか知りませんが、こんな無駄をしている会社ってサポートしたくないと思うのです。
2008年1月24日木曜日
Mini Sushi
2008年1月22日火曜日
2008年1月21日月曜日
山でも大活躍
ケヴィンのもう一つのプライドは、小さなトランクに計算してぴっちりと荷物を詰め込むこと。アシャも一緒に連れていくことも多いので、当然余計な荷物は減らしてコンパクトにする必要に迫られるわけです。しかし、先週パンパンのトランクを無理やり閉めようとして、私のヘルメットにヒビを入れられてしまいました。もちろんすぐに新しいのを買ってもらいましたが。
このボードは明子ちゃんの旦那さまのJackがCoors(ビール会社の)のためにデザインした特別モデルで、市販されなかったモデルをコネで譲ってもらった貴重品。ボードをつけているものは取り外しが可能で、夏は自転車を運びます。
Baby Shower
2008年1月18日金曜日
今週の生花
2008年1月17日木曜日
久しぶりにランチ
そして彼女のファッションセンスには目を見張るものがあり、今回もさすが「日本とNYでin」の紫のコーディネートでございました。1年ほど前まで、彼女はダウンタウンでブティックを経営しており、私が好きなイギリスのブランドを仕入れてくれていたのでお世話になったのですが、お店を畳んでしまってとても残念!
2008年1月16日水曜日
スカンク Skunk
スカンクの悪臭って日本人はあまり嗅いだことがないと思うけど、すごく強烈です。私はカンザスに留学中に同乗していた車がスカンクを轢き、初めてあの臭いを嗅いだわけですが、この車はいくら洗っても臭いがしばらくこびり付いて取れなかった・・・。
で、今日ケヴィンがアシャを連れて山でジョギング中に、ケヴィン、アシャ、スカンク三者お互いの存在に気づかず、ケヴィンがあれ?と思った瞬間にアシャの口元にいたそうです。ケヴィンが一瞬アシャが死んだリスでも見つけたのかな?と思ったその時、シマシマの尻尾が見え、あっと引く間もなくスカンクが悪臭をアシャの顔の至近距離から噴射したらしい。
気の毒なアシャはそのまま狂ったように走り続け(しばらく目が見えなかったのではないかと思われる)、家に帰ってからケヴィンの手作りの脱臭液で何度も顔を洗われたわけです。かなり取れたけど、まだ臭い。
これを機にスカンクについて調べてみたら、「スカンクは肛門腺を取り囲む筋肉を収縮させることによって分泌液を相手の顔を目掛けて噴射し、これは4~5m離れていても命中させることができる。分泌液が目に入った場合、一時的に目が見えなくなる。悪臭は無風でも半径1kmの範囲まで届き、風向きによっては2km近くまで届く。分泌液は皮膚の蛋白質と強く結合するため、皮膚に付着した分泌液を取り除くことは困難である。また、分泌液が付着した衣服は脱臭が困難なため、破棄することを余儀なくされる」と書いてある。とんでもない動物だね。
ちなみに、スカンクはその後どうなったわけ?と聞くと、余裕綽々でお尻を向けたままその場に立っていたとか。記述によると、スカンクはこの武器の威力のため、敵と対峙した場合に逃走することは少ない、となっており、まさにそのとおり。
外に置いてあるアシャのリードは、プンプン悪臭を放っている。
2008年1月14日月曜日
バブルバス Bubble Bath
裏に書いてある説明を読むと「日本では昔から風呂桶に、パワフルなアロマを発する檜が用いられてきました。檜は緊張を和らげ、ストレスを解放し、皮膚の炎症等を治し、うっ血除去の効果があります」と書いてあり、へぇ~檜風呂ってこんな効用があったのかと感心。ちなみに生姜の方は「疲労、風邪、インフルエンザ、筋肉痛、悪血行と戦います←(combatという単語がわざわざ使用されている)」となっている。コロラドの寒い冬にはとてもうれしいプレゼントだ。しかも裏には「湯」の字まで。なんともうれしいデザイン。Thanks Alison!
眠り犬 Sleeping Dogs
2008年1月10日木曜日
アメリカ南端の地 キー・ウェスト Key West
おばあちゃんはマイアミから車で北へ3-40分くらいのポンパノ・ビーチというところに住んでおり、そこからキーウェストまでは車で約4時間。ハイウェイを抜けて片側1車線の道をずっと進む。島と島を結ぶ橋の上を走るのは本当に気持ちがいい。横にはペリカンが一列になって飛ぶ姿も。キーウェストからキューバはたったの140キロ。しかし、アメリカ人のキューバへの渡航は基本的に禁止されている。
南国のクリスマス X'mas in the island
野良ニワトリ Wild Chickens
ホット・ソース テースティング Hot Sauce Tasting
店へ着くと納得。店の真ん中にカウンターがあり、中に立つオーナー2人を囲んでまるでバーのようだ。ビールを差し出すと彼らは喜び、みんなで1杯やりながらソースのテースティングになった。
目の前にばさりとチップスが盛られ、順番に出てくるソースにチップスをちょこっとつけて口へ運ぶ。初級者用から始まり、どんどん辛さはエスカレートする。10種類目くらいになると、辛いものに強い私でも、口に入れた瞬間鼻から汗がどっと吹き出る。ケヴィンは口に入れる量の調整に失敗し目がウルウルしている。ケントとアリソンは2回目とあって慣れたものだ。
悩んだ挙句、数本買って店を出る。ビールとチップスでお腹はいっぱい。おもしろい経験だった。
2008年1月8日火曜日
コロラド州 アスペン Aspen, CO
ここは世界中の大金持ちとセレブが集まる街。この街とその周辺に不動産を所有する有名人の名を挙げると、アントニオ・バンデラス、マライア・キャリー、ケヴィン・コスナー、ジョン・デンバー、マイケル・ダグラス、ゴールディー・ホーン、カート・ラッセル、ジャック・ニコルソン、etc.etc.、そしてディズニーの元社長や実業家達、サウジアラビアのプリンス(彼の家は最近135億円で売りに出たそうだ)などもリストに名を連ねる。ビクトリア・ベッカムも最近お家を買ったそうだ。この街に不動産を所有する人の中の41人が億万長者(それも100億万単位)。お金持ちは自分のジェット機で移動する。私達が強いられるボールダーからの長いドライブはジェット機では30分程度らしい。
ここはスキー場もあり、ケヴィンは毎年4日間のパスを購入する。コロラドでも比較的アクセスがいい主なスキー場から更に2時間ほど離れているので、コンディションがすごくいい割にはいつも空いているらしい。もちろん、彼らはアスペンの街中には泊まらず車で20分ほど離れた近郊の町に泊まる。
私はそこまで興味がないので毎年パスは買わないし、彼が男友達とスノボ三昧の時はボールダーで女の子たちとパーティをしたりディナーに行ったりしている。しかし今年は、ケヴィンが近郊にかわいい町を見つけたからそこに一緒に行こう、と言い始めた。フランス人の旦那さんとスウェーデン人の奥さんがやっている感じのいい小さなレストランもあるよ、と言われて食べ物に弱い私は珍しくついて行く気になった。
元旦に宿に電話をしてせっせと手配をするケヴィン。9月に結婚した例の「男クリスと女クリス」と4人で行くことになった。女クリスも今回はスキーをしないで、犬と一緒にスノーシューをするというのでとても楽しみになってきた。
前日に荷物を詰めながら「ベッド&ブレックファーストなの?」と聞くと、「ホテルみたいなところだよ」と言うので、そうか、とちょっとがっかりしつつ出発。いつの間にかもう一人の友達コナンも合流することになっていた。そして着くと「え?ここに5人と犬2匹?」と愕然。そこは寂れたモーテルのようなところだった。
<左>入り口から見たところ。奥に一応独立した一部屋あるが5人分の荷物で部屋は散乱し歩くのがやっと。私が立って写真を撮った位置は入り口のドアぎりぎり。その向こうは廊下ではなくいきなり外。<右>コナンはトイレの前でしかもテレビの真横の細い通路にキャンプ用のマットを敷いて寝ることになった。彼は身長195cmなので横になると長い。彼が横になるなり犬2匹が喜んで彼の顔をべろべろ舐めまくっていた。世界中のお金持ちが集まる街の近くまで来てこんなところに泊まるなんて… でも、和気藹々として楽しかった。
冬は本当に忙しいです
しかしふと思うと、ケヴィンの「平日仕事、週末遊び」型生活は、私の独身時代の生活にそっくりだ。実家から通勤し、家に帰る途端にご飯が出てきて、洗濯物は脱衣所に置いておけばベッドの上に畳まれて戻ってくる、という典型的な独身パラサイトOLだった私。そんな生活だったら毎週末遊びに行く余裕があるでしょうねぇ。
4日間外食が続いた今夜のご飯は、サーディーン丼。森瑤子さんの本を久しぶりに読み返していて見つけたレシピで、書いてあった通りこれがはまる味。缶詰のサーディーンをオリーブオイルで両面しっかり焼いて、最後に醤油を回してかけて出来上がり。温かいご飯の上に置いて、グリーンオニオンをたっぷりかけて食べる。私はこれに、ケール(青菜の代わり)とちりめんを醤油で炒めて(たまたま残り物を合わせてみたのが大成功!)、サーディーンの下に敷くのがお気に入り。初回ケヴィンは食べられるかなぁと心配だったのだけど、ケヴィンもうまいうまいと食べてくれる。またもや手抜き料理のレパートリーが増えてうれしい。
2008年1月1日火曜日
迎春
大晦日のところで、アメリカ人と日本人の新年を迎えるという感覚の違いに触れましたが、この差は本当にすごいです。今日はダウンタウンでもほとんどのお店やレストランが普通に営業してしているようで、明日から普通に仕事。つまり、正月という感覚は全くないということですね。むしろ、なぜ1月1日は会社は休みなの?という感じ。ちなみに31日もあえて休みを取らない限り通常通りに仕事です。
年末いろいろあり予定が大幅に変更になり、大掃除ができなかった我が家は今日はどこにも出かけず家の片付けに追われてお終い。二日酔いで目覚めたといい、ちょっと不安げな新年のスタートであります…。
ボールダーのダウンタウンでは、毎年餅つきが開催されます。日本人経営のレストラン主催で長い間やっているようで、あの喜太郎さんが毎年餅をついている、という噂は聞いていましたが、今日トモコちゃんから写真を送ってもらいました。こねている方が喜太郎さんだそう。
本来の今日の選択肢は、1.スノーボード、2.コロラドスプリングスでレストランを経営している中島さんのところで豪華おせちをいただく、3.餅つきに行ってみる、のどれかのはずだったのが、こんなことになってしまった。どうしてそうなったかは、後ほどゆっくり。。。
今年もどうぞよろしく☆
大晦日 New Year's Eve
それはさておき、今年はライアンがアラスカン・キング・クラブとステーキでみんなをホストしてくれると言うので、私はこの日を心待ちにしておりました。彼は蟹で人をもてなすのが得意なのだ。集合写真左手前が彼。話がちょっと逸れるが、ライアンは自然の写真を撮るのが上手で、壁の写真は全て彼の作品。
8時前に集まった会は空のワインボトルが増えるともにどんどん盛り上がり、時計が12時を指す頃はゲームの最高潮。みんな年が変わることなんて全然気にしていない。とりあえずライアンが正確だかあやしい自分の腕時計で秒読みを始め、年が明けるとともに一応「蛍の光」を歌い、そのままゲームは続く。私の横に座っているカーリー(一番右の眼鏡の彼女)は、ディナー前にがばがば飲んでいたシャンパンのせいで笑い上戸になっている。
1時を過ぎた頃、9月に結婚したばかりのChris&Krisが「犬が下痢ぎみだからそろそろ帰った方がいいかな」と席を立ちあがるとともにお開きの雰囲気になった。しかしケヴィンは疲れ気味だった上にちょっとワインを飲みすぎたようだったので、一眠りしてから帰ることに。ソファの上で目が覚めたらなんと4時15分だった。
家に帰って寝る支度をし、こんな新年の迎え方をするなんて悲しい、とげんなりしながらベッドに入ったは5時。9時すぎに目が覚めたときには私も例に漏れず二日酔いでした。